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三、練習始動(9)
日期:2025-06-27 16:44  点击:214

「ほかのものは、いまのところ特に問題ない。ただ、ニコチャン先輩」

「おう」

  清瀬に呼ばれたニコチャンは、シューズの紐ひもを直していた手を止め、顔を上げた。

「最近、あまり食ってませんね」

「そんなことねえよ」

「嘘をついちゃいけない。だれが飯を炊いてると思ってるんです?」

  清瀬である。練習計画ばかりでなく、住人の食事も作っている竹青荘の支配者に、隠し

ごとはできない。

  ニコチャンは を きながら言い訳した。

「ほら、俺は骨格ががっちりしてるだろ?  ちょっと体重を減らさないと」

「必要ありません」

  清瀬はぴしゃりとさえぎる。「練習で体を動かしているんだから、いままでどおりに食

べていたって やせる。無理なダイエットは体を壊す原因です。バランスよくちゃんと食

事を摂ってください」

「わかった。だが、練習でうまく体を絞れなかったら、俺はダイエットするからな」

「夏には確実に絞れるはずだと計算していますが」

  清瀬は譲歩した。「駄目そうだったら、そのとき考えましょう。絶対に一人で無茶しな

いでください」

  やりとりを聞いていた神童が、

「体重が軽いほうが有利なんですか?」

  と首をかしげた。「 せたら、そのぶん体力も減っちゃうでしょう?」

  神童の疑問には、理論派のユキが答えた。

「もちろん、無理なダイエットは厳禁だ。貧血になるし、そうすると心臓に負担がかかっ

て危険だから。でも基本的には、体は絞るべきだね。余計な脂あぶらは削ぎ落とし、心肺

機能を高める。レーシングカーだって、車体はなるべく軽く、エンジンを強力にするだろ

う。それと同じことだ」

「なるほど」

  と、神童は納得して引き下がった。

「ユキの言うとおりだ」

  清瀬が全員を見渡した。「レーシングカーが、試走を繰り返して車体のバランスをたし

かめ、エンジンの性能を高めていくように、ランナーも毎日走ることによって、体を作っ

ていく。急激な変化を求めると反動も大きいから、気をつけてほしい」

  練習後に少しでも筋肉が熱を持っているようだったら、すぐに氷で冷やすアイシングを

すること。ストレッチとマッサージを欠かさないこと。サプリメントを飲んで、不足しが

ちな鉄分などを摂取すること。

  故障を防ぎ、体調を維持するための方法をあれこれ教えると、「じゃあ解散」と清瀬は

言った。

  竹青荘へ帰る道すがら、走はたまたまニコチャンと並んで走る形になった。ニコチャン

は体重のことが気がかりなうえに禁煙中で、うまくストレスを発散できないようだ。なん

となく沈んだ様子だった。

  こういうとき、楽しい話題を提供できたらいいのだが。走はあれこれ考えてみたが、な

にも思い浮かばない。

「走、今日の夕飯はなんだろな」

  しまいには、ニコチャンのほうから話しかけられてしまった。俺って本当に、走る以外

はなにも芸がないなと、走はさすがにがっくりした。

「たぶん、カレーです。ハイジさんに言われて、本練習のまえに商店街へルーを買いにい

きましたから」

  走の脳裏に、またたくものがあった。そうだ、商店街。晩のジョッグを見にくるよう

に、ムサから誘われていたではないか。もしかしたら、ニコチャンの気晴らしになるかも

しれない。

「ニコチャン先輩、今夜俺と一緒に走りませんか?」

「なんだおまえ、急にナンパの文句みたいなこと言いだしやがって」

  少しまえを走っていたユキが振り返り、

「どこにつれてってくれるの、ダーリン」

  と、鋼鉄の仮面をつけたような無表情のまま、からかって話に割りこんできた。

「商店街です」

  走は生真面目に答えた。この三人は、ジョッグを一人でやっているメンバーだ。ちょう

どいいので、集団ジョッグ組に起こっているという「おもしろいこと」を、つれだって見

物しにいくことにした。

  夕飯はやはりカレーだった。清瀬の手抜きをしない性格は、炊事においても発揮されて

いた。本練習前にとろとろになるまでタマネギを煮込んでおき、走が買ってきた数種類の

市販のルーを独自にブレンドして味を調えてある。

  しかし、ルーの味の深みに気づくものはいなかった。カレーに豚バラ肉がたくさん入っ

ていることのほうに、だれもが喜びを表明してみせる。彩りよく盛りつけられたサラダ

も、目で味わう暇もなく一瞬でたいらげた。

「作り甲斐がない」

  清瀬は憤りと哀しみの中間ぐらいの表情で、空いた皿を流しに下げる。きちんと食べる

ことにしたらしいニコチャンが、

「ちょっとだけおかわり」

  と炊飯器のまえに立った。「味よりなにより、こいつらには肉を食わせておけばいいん

だよ、肉を」

  台所には、全員が食事できるような大きなテーブルは入らない。食卓がいっぱいになる

と、あとからご飯を食べに来たものは、小さな卓袱台を出して、台所のまえの廊下に座る

決まりだ。

  走がまだカレーを食べているところへ、神童とムサがやってきた。食卓はすべて埋まっ

ていた。双子はデザートに差しかかっているというのに、席を空けようともしない。イチ

ゴにかけるのは練乳か、牛乳と砂糖かで、激しく喧嘩中だ。

  どうしても上下関係が気になる走は、スプーンをくわえ、カレーの入った皿を抱えて、

食卓を譲ろうとした。神童が急いで、

「いいんだよ、走」

  と押しとどめる。

「アオタケでは、先輩後輩は関係ありません」

  とムサも言った。「だから居心地いいです。ね?」

「はい」

  走はもとどおり食卓につき、カレーのつづきを食べた。陸上部の寮で高校三年間を過ご

した走にとって、先輩が廊下で、後輩が食卓でご飯を食べるなんて、信じられなかった。

  走の経験からすると、下級生のころには先輩の身のまわりの世話をしなければならない

ものだった。シューズを洗ったり、洗濯したり。風呂の順番ももちろんあとだ。その程度

のことで、先輩にやっかまれることなく練習に打ちこめるなら、べつにかまわないと思っ

ていた。


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06/29 06:05