日语学习网
六、魂が叫ぶ声(5)
日期:2025-06-27 16:54  点击:230

  心を充分に伝えきれていない気がして、走は一生懸命に言葉を探した。慣れないことな

ので、「俺は」と言ったあと、「俺は、なんだろ」とつづきに詰まった。考えをまとめる

まであいだ、清瀬は走を見ていた。走を通して過去の自分を見るような、遠い眼差しをし

ていた。

「俺はもう、縛られるのはいやです」

  と、走は言った。「あんなに苦しいことはなかった。俺はただ、走りたいだけだ」

  なんのためでもなく、自由に。体と魂の奥底から聞こえる、どこまでも走れという声に

のみ従って。

「 は東体大の規律に満足してるみたいだけど、俺はちがう。ハイジさんがあの鬼監督み

たいだったら、俺はいまここにはいない。練習の初日に、アオタケから出ていったでしょ

う」

  清瀬の目が再び、走のうえではっきりと焦点を結んだ。走の肩に軽く手を触れ、かたわ

らをすり抜ける。

「おやすみ、走」

  部屋の扉が閉まる寸前に見えた清瀬の背中は、もう弱さも揺らぎも微み塵じんもない、

いつもどおりのものだった。

「おやすみなさい」

  つぶやいて、走も自分の部屋に戻った。

  夏の疲れを完全に取らなければならないし、試合前には徐々に体を休めていく必要があ

る。秋のあいだも充実した内容の練習が組まれていたが、合宿中ほど走りっぱなしではな

かった。それでも、さすがに走も、肉体的にも精神的にも疲労を感じはじめていた。

「これだけやったのに、当日うまくいかなくて、すべてが無駄に終わってしまったらどう

しよう」というプレッシャーのせいだ。

  これまでの記録会とちがい、予選会はやり直しのきかない一発勝負だ。思うようなタイ

ムが出なかったら、また次に賭ければいい、というものではない。その緊張感が、走の心

と体を重くする。

  練習メニューは、密度が濃くなっていた。クロスカントリーは二十キロが当たり前だっ

たし、トラック練習ではビルトアップも導入された。たとえば七千メートル走るとして、

最初の千メートルを三分十秒を切るペースで入り、走りながら最後には二分五十秒まで上

げていく。

  長距離を走るなかで、どんどんスピードアップもするわけだから、苦しさは並ではな

い。持久走の最中の呼吸のままならなさと、全力疾走したあとの動悸の激しさが、同時に

襲ってくる。溺れながら水球をするようなつらさに、王子などは何度も吐いた。しかしそ

のたびに清瀬は、「なるべく我慢して」と注意する。

「吐き癖がつく。こらえて走れ」

「無理だっての」

「ゲロで窒息する」

  王子はトラック脇の草むらに突っ伏し、介抱しようとした双子も連れゲロを吐く、とい

う惨憺たる状況だった。

  だが、適度な休息を挟んで練習を重ねるうちに、竹青荘の住人たちは、ビルトアップに

も二十キロのクロカンにも、だんだんついていけるようになっていった。予選会が行われ

る立川の昭和記念公園へ行き、全員でコースの試走もした。

  予選会まで半月を切ったある日、清瀬はクロカンを終えたところで全員を集めた。日暮

れの迫った原っぱには、肌寒い風が吹いていた。草の先は勢いをなくし、夏の面影はもう

どこにもない。だれも採るもののいない柿の実が、夕日と同じ色をして揺れている。

「これから予選会までは、集中力の勝負だ」

  と清瀬は言った。「予選会の日に、体調も精神も最高潮を迎えられるよう、集中して自

分をコントロールしていくんだ」

「そりゃ、口で言うのは簡単だけどな」

  ニコチャンはため息をついた。緊張から来るストレスで、このごろ異様に食欲がある。

それを摂生するのに、ニコチャンは苦労していた。

「俺の繊細なハートは、早くも最高潮を迎えそうだぜ」

  キングは練習中も、胃が痙けい攣れんしてならなかった。「予選会までもつかなあ」

「おそれるな」

  清瀬の口調は、みんなを安心させる穏やかなものだった。「きみたちは十二分に練習を

積んでいる。あとはプレッシャーをやすりに変えて、心身を研磨すればいいだけだ。予選

会でうつくしい刃になって走る自分をイメージして、薄く鋭く研ぎ澄ませ」

「詩的な表現だね」

  とユキが言い、

「でも、よくわかる」

  と王子は言った。「研ぎすぎて、予選会よりまえにポッキリいっちゃいけないし、研ぎ

が鈍くて、予選会当日にまだ曇っているようでは話にならない。そういうことですよ

ね?」

「そのとおりだ」

  清瀬はうなずく。「この加減ばかりは、闇雲に練習していてもつかめない。自分の内面

との戦いだからだ。心身の声をよく聞いて、慎重に研いでいってほしい」

  そうか、と走は思った。長距離に要求される強さとは、ひとつにはこういうことを言う

のかもしれない。

  長距離は、爆発的な瞬発力がいるわけでも、試合中に極度に集中して技を繰りだすもの

でもない。両脚を交互にまえに出して、淡々と進むだけだ。大多数のひとが経験したこと

のある、「走る」という単純な行為を、決められた距離のあいだ持続すればいいだけだ。

持続するための体力は、日々の練習で培つちかっている。

  それにもかかわらず、走はいままで何度も、試合中に、試合直前に、調子を崩す選手を

目にしてきた。最初は順調に走っていたのに、突如としてペースを乱す。体はうまく仕上

がっていたのに、レースの三日前になって急に練習時のタイムが失速する。すごく気をつ

けていたはずなのに風邪を引き、試合当日にメンバーから外されたものもいた。

  走は不思議でならなかった。練習は万全。あとはただ走ればいいだけなのに、なぜ自滅

してしまうのか。走自身も、高校時代に最後に出場したインターハイでは、下痢になっ

た。冷えたわけでも、腐ったものを食べたわけでもないのに、なぜか突然、腹具合が悪く

なったのだ。それでも走れたから問題はないが、「どうして、よりによってレース前に腹

なんか下したんだろう」と、ずっと引っかかっていた。

  いまならばわかる。「調整の失敗」と言い表されるもの。それらの原因のほとんどが、

プレッシャーなのだ。どれだけ練習を積んでも、「これで充分なのか」とふいを突いて浮

上してくる不安。充分だと確信したとたんに、「それでも失敗したら」と湧きあがる恐

れ。肉体と精神は研げば研ぐほど、脆もろくもなっていく。風邪も引きやすくなるし、腹

も壊しやすくなる。精密機械が、ちょっとの埃ほこりであっけなく壊れてしまうように。

  不安と恐れに打ち勝って、どんな塵ちりにも耐えうるほど、鋭くなめらかに磨きあげ

る。その力が、清瀬の言う「強さ」の一面なのだろう。


分享到:

顶部
06/29 15:53