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七、予選会(2)
日期:2025-06-27 16:56  点击:281

「ただし」

  清瀬はつけくわえた。「先頭集団が速すぎる場合は合図するが、それ以外のときは食い

ついていかないと、予選通過は難しいと思え。十人全員が全力でゴールしないことには、

俺たちに明日はない!」

  ほとんどのものが内心で決意を新たにしたが、王子とキングは早くも腰が引け気味だ。

「できるかなあ」「つらそう……」と、囁きあう。

「俺もちょっと質問なんだが」

  と八百勝が手をあげた。葉菜子が「お父さん」といさめても、八百勝は気にせず発言を

つづける。

「ほかの大学のやつらは、ユニフォームを着てる人数がおまえらよりも多いみたいだぞ。

こりゃいったいどういうことだ?」

「勝ちゃん、俺もそれが気になってたんだよ」

  左官屋が周囲を見まわした。「数えたんだけどよ、東体大も西京大も、ユニフォーム着

てるのが十二人いるぞ。うちは十人しかいないのに」

「いやなところに気がつきましたね」

  清瀬は苦笑いした。「予選会には、最大で一チーム十四人を出場予定者として申請でき

るんです。体調などを考慮して、当日に十二人に絞る」

  眼鏡を押しあげ、ユキが補足する。

「そのなかの上位十人の合計タイムで、各大学が箱根をかけて競うんですよ。選手が多い

チームは、二人ぶん余計に保険をかけられるということです」

  選手が十人しかいない寛政大は、だれか一人でもゴールできなかったら、その時点で箱

根への道が断たれる。改めて知った責任の大きさに、王子が青ざめて腹を押さえた。走は

逆に闘志が最高潮に達し、早く走りだしたくてたまらなくなった。

「頑張ろうよ」

  意のままにならない膀胱のことは諦めたのか、ジョージがにこやかに言った。「今日は

大家さんの弔とむらい合がつ戦せんだもん!」

「死んでない」

  と走はつぶやいた。

  そろそろスタート地点に集合する時間だ。

「行こう」

  と清瀬はあっさり言った。

「円陣を組んで気合いを入れたりしないのか?」

  とキングがそわそわして尋ねる。

「したいのか?」

「いや、まあ……」

  キングは言葉を濁した。テレビカメラを意識し、なにかしないとさまにならないのでは

ないかと、気を揉んでいるのだ。清瀬はキングの意を汲み、

「箱根の山は天下の険!」

  と言った。「じゃ、行こう」

  さっさと歩いていく清瀬は、いつもどおりの冷静さだ。あっけにとられたり、笑いを

み殺したりしながら、竹青荘の面々はあとを追った。

「行ってこい!」

「勝って帰れー!」

  と、商店街の人々が見送る。

「ゴールで待ってるから!」

  という葉菜子の言葉にだけ、みんなは手を振り返した。選手がスタートしたら、見物客

は広い公園内を横切って、ゴール地点に移動をはじめるのだ。葉菜子たちは荷物を持っ

て、芝生広場に陣地を取っておく手はずになっていた。

「なんだよなあ、あいつら。鼻の下のばしやがって」

  と、八百勝と左官屋はむくれた。

  各大学の応援合戦がはじまっている。空を舞うヘリコプター。そこここに設置されたテ

レビカメラ。併走して選手を撮影するバイク。スピーカーのついた先導車。コース沿いで

選手の通過を待つ見物客たちのざわめき。

  はじめて体験する華やぎと熱気に、竹青荘の面々はたじろぎを隠せない。

「箱根駅伝って、予選会からこんなに人気があるんだね」

  と神童は感慨深そうだ。

「さっき、王子さんとトイレに行ったんだけどさ」

  とジョージが言う。「びっくりしたよ。個室に列ができた男子便所って、はじめて見

た。出場選手が入れ替わり立ち替わり、大のほうに入ってくの」

「僕は、スポーツをやってるひとへの偏見があったな」

  王子はあいかわらず腹をさすっている。「脳みそまで筋肉なのかと思ってたけど、みん

な案外、繊細な神経の持ち主みたいだ」

  ジョータは死人のように横たわっていたのが嘘のように、いまはうきうきした足取り

だ。緊張を集中力で克服したらしい。

「箱根での優勝に向かって、いよいよ一歩を踏みだすわけだね」

  優勝?  走はちらりと清瀬をうかがった。予選会を通過できたとしても、このメンバー

で本戦で優勝するのは無理だろう。清瀬は走の視線に気づき、黙って少し笑った。いまは

士気を落とすようなことを言うな、と目が語っていた。

  スタート地点は、出場者で混みあっていた。前列を形成するのは、前回の箱根駅伝で惜

しくもシード落ちした大学だ。東体大のユニフォームが、人垣の向こうに見えた。寛政大

は後方からの出発となる。

  こうして見ると、と走は思った。体つきが全然ちがう。前方の箱根常連校の選手は、引

き締まり、余分をいっさい削ぎ落とした体型だ。だが、後ろからスタートする大学の選手

には、見るからに重そうな骨格をしたものや、走りこみがまだたりないのではないかとう

かがえる脚の筋肉をしたものがいる。

  なによりもちがうのは、顔つきだった。弱小校と呼ばれる大学の選手は、場慣れしてい

ないし、レース前から自信のなさそうな表情だ。残酷なもんだ、と走は思った。長距離

が、いくら努力でなんとかなる割合の高い競技だとはいえ、やはり持って生まれた身体能

力や資質は厳然とある。それに加えて、選手が競技に打ちこめる環境や設備や指導者をそ

ろえられるかどうかには、大学の資金力も関係してくる。

  それでも、この場に集ったものたちの、箱根を目指す真剣な思いには、なにもちがいは

なかった。どんな立場であれ、境遇であれ、走りのまえでは、全員が同じスタートライン

に立つしかない。成功も失敗も、いまこのとき、自分の体ひとつで生みだすものだ。

  だから楽しく、苦しい。そして、このうえもなく自由だ。



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06/29 15:55