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七、予選会(4)
日期:2025-06-27 16:57  点击:226

  走と清瀬は、十人ほどになった第一集団にしっかり入っていた。まわりは東体大、喜久

井大、甲府学院大などのエース級の選手ばかりだ。 の姿がないことを、走は確認した。

優越感も、もちろん同情も、走の胸にはきざさなかった。ただ、「ああ、ペースについて

こられなかったんだな」と思っただけだ。でも俺はもっと行く。この集団から抜けでてみ

せる。

  そのころ、テレビカメラを積んだ先導車のなかではスタッフが、「おいおい、寛政の選

手がいるよ。頑張るじゃないか」と感嘆の声をあげていたのだが、もちろん走と清瀬は知

るよしもない。どこでレースが動くか。周囲の選手たちと、無言の駆け引きを繰り広げて

いた。

  大きな陸上部は、沿道に控えの部員を配置して、各選手の位置や、監督からのペースの

指示を伝達できる。だが寛政大は人手不足だ。清瀬は自分の走りだけではなく、ほかの選

手にも気を配らねばならなかった。たまに振り返って、様子を見る。竹青荘の八人はまだ

固まって、膨ふくれあがった第二集団の後方に位置を取っていた。これまでの第二集団と

第三集団もばらけ、脱落しなかったものたちが、第一集団からこぼれたものと合体したよ

うだ。

  双子、ムサ、ユキはまだまだ余力があることが表情からうかがえた。神童とニコチャン

は泰然として、自分のペースの維持に努めている。キングはそれになんとかついていって

いるが、王子がそろそろ危ない。竹青荘の塊も、縦にのびつつあった。

  これ以上、メンバー同士で固まっていては、遅いペースのものに引きずられ、全員がず

るずる後退してしまう可能性がある。

  七キロを通過。第一集団のこの一キロのタイムは、三分〇五秒だった。最初のハイペー

スから、やや抑え気味に変わっている。後半でばてることを恐れる集団心理が働いたこと

と、少し離れた前方を走る、三位のイワンキがペースダウンしたことが原因だろう。

  第一集団のなかでスパートをかけてくるものが出るのは、十キロ過ぎだ。清瀬はそう判

断した。そこで走と清瀬が食いつくのはもちろんだが、さらに後方への影響も考える必要

があった。脱落し、スタミナがたりずにペースを崩すものがきっと出る。竹青荘の面々

が、それに振り回されてはいけない。

  清瀬はセンターライン側に寄り、後ろの塊へまた指示を出した。右腕を大きくまわす。

「そろそろ動く」。こめかみ付近で右手の五指をピラピラと動かす。「きみたちもばらけ

てよし」。つづいて、右手で拳を作り、親指を立てる。「健闘を祈る」。

  余裕のない王子を除き、みんな軽く手をあげて「了解」の意を示した。

「走。十キロ地点から、このレースの最初の勝負どころが来るぞ。遅れを取るな」

  清瀬の囁きに、走はうなずいた。第一集団を走るものの息づかいからも、抜けだしやす

い位置取りが激しくなってきたことからも、それは察知できた。選手が互いをうかがいあ

い、牽制しあって、好機を待っている。

  駅前通りを離れ、モノレールの高架が迫っても、沿道には観客が並んでいた。だがその

声も遠い。潮騒のように耳を撫でるだけで、あっというまに後ろへちぎれていく。レース

に集中しているためだ。走は今日、自分の体がよく動くことを改めて意識した。

  体が軽いと思っても、実際にはペースに反映していないときがある。逆に、今日はどう

もよくないと感じたのに、とてもいいペースで走れているときもある。どんなに練習して

も、実戦で体と脳がうまく連結せず、錯覚を起こすことは多い。

  走は念のため、はじめて腕時計に目を落とした。一キロ二分五十七秒ペースでここまで

来ている。錯覚じゃない。俺はやっぱり、今日はいい調子だ。レースのペースがあがって

も、まだいける。もっと速く。

  走の自信を敏感に嗅ぎ取ったらしい。隣を走る清瀬が、「どうどう」と馬に対するよう

になだめてきた。

「待てよ、走。十キロを過ぎたら、きみの好きにしていいから」

  あまり早くスパートをかけすぎては、自滅する。走は「はい」と答え、ペースを落とさ

ないまま、ぐっと我慢した。

  モノレールの高架を過ぎ、十キロ地点の標識を見たとたん、第一集団に案の定動きが

あった。

  喜久井大の三年生と、東体大のキャプテンがスパートをかけたのだ。走と清瀬以外の選

手たちは引き離された。

  走は風よけがわりに、競りあう喜久井大と東体大の背後にぴったりついた。そのまま五

百メートルほど走ったところで、「俺、行きます」と走はつぶやいた。清瀬が無言でうな

ずく。

  走は、喜久井大と東体大の二人をセンターライン側からまわりこむ形で追い越した。そ

のまま自分のリズムで走りつづける。振り返るような暇も気持ちもなかった。足音が遠ざ

かることで、自分が彼らを引き離し、単独四位に立ったことは充分わかる。

  心地いい。切り裂く風も、踏みしめる道も、この瞬間だけは俺のものだ。こうして走っ

ているかぎり、俺だけが体感できる世界だ。

  心臓が熱い。指の先まで血が流れているのがわかる。重い、まだまだこんなものじゃな

いはずだ。もっと体を変化させろ。苦しみを知らず草原を駆ける、しなやかな獣のよう

に。暗闇を照らす、銀色の光のように。

  十一・二キロの折り返し地点を、走は流線型の最新マシンかと見まごうほど無駄なく曲

がった。スピードを落とすことは罪悪だ。走るために、俺のすべてはあるのだから。

  走は前方を行くイワンキを、すでに射程にとらえていた。

  加速する走を目の当たりにし、清瀬は恍惚となった。

  あの走りを見てくれ。走るために生まれた存在のうつくしさを。

  悔しさも羨望も軽々と凌駕りようがする姿。べつの生き物のようだ。重力に縛られ、酸

素の供給に汲きゆう々きゆうとする俺との、なんというちがい。

  清瀬は叫びだしたい気持ちを、なんとかこらえた。やっぱりきみしかいない。こんなふ

うに、走ることを体現してくれるのは。俺を駆り立て、新しい世界を見せてくれるのは、

走、きみだけだ。

  走に追いつきたかったが、脚に爆弾を抱えた清瀬には無理だった。喜久井大と東体大の

二人のペースに合わせる。スパートをかけたのに、逆に走に追い抜かれた二人は、衝撃か

ら立ち直るのに精一杯だ。公園に入ってからのアップダウンで、この影響がどう出るか。

体力を温存し最後に賭けるしか、清瀬に残された戦法はない。後ろを見る余裕も、もうな

かった。

  だが、感じられる。ほかの八人も、集団から飛びだした走を、確実に目撃した。きらめ

きを放つその走りを目にし、奮い立っているのがわかる。

  折り返し地点を過ぎて走ってくる走を、ジョージは正面から見た。ジョッグをしている

みたいに、息も乱さず、苦しそうでもない顔だ。でも、目がちがう、とジョージは思っ

た。走の真っ黒い目は、喜びに輝いていた。走るという行為のただなかにいる喜びに。

  自分がどんな表情で走っているか、走は気づいてないんだろうな。ジョージはうらやま

しさと愛おしさを感じた。俺は走ほど純粋に走れているか。残酷なまでに無邪気に無心

に。走りたい。ジョージは思った。俺も、走みたいに走りたい。

  すぐ横をすれちがった走の走りに、ニコチャンはうなった。これほどとは思わなかっ

た。本気になった走の速さときたらどうだ。輝きが目にまぶしい。選ばれた人間はいるの

だと、有無を言わさず証明するようじゃねえか。


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06/29 15:57