走は説明をはじめた。「この段階では、だれがどの区間を走るかまでは、明らかにしま
せん。次に、十二月二十九日に区間エントリーがあります。十六人を十四人に絞り、その
うちの十人がどの区間を走るかを申告するんです。残りの四人は、補欠扱いとなります。
区間エントリーの変更は、箱根駅伝の当日に許されます。往路と復路のスタート一時間前
に、最終的な走者が発表になるんです。ただ、一度、区間からはずされた選手を、ほかの
区間に登録することはできません」
「よくわかんない。どういう意味?」
とジョージが質問した。走は少し考えてから、 み砕いて答えた。
「たとえば六道大の藤岡が、十二月二十九日の時点で、二区にエントリーされていたとす
る。そうしたらもう、箱根当日の最終エントリー変更で、藤岡を五区に変えたりすること
はできない、という意味だ。箱根の一日目に、藤岡の体調が悪かったら、補欠枠の四人の
なかから、だれかを二区に入れるしかない。二日目に藤岡が復調したとしても、走ること
は許されない」
「なるほど」
ムサがうなずく。「逆に、二十九日の時点で藤岡さんが四人の補欠枠に入っていたら、
六道大は箱根当日のエントリー変更が当然ある、と考えていいわけですね」
「そのとおりだ」
と清瀬が言った。「補欠枠に力のある選手が入っていたら、それは体調が思わしくない
か、隠し球として当日の朝に、重要な区間のエントリー変更を狙っているか、どちらか
だ。二十九日の区間エントリーを見たうえで、各大学は戦略を練り直し、相手の腹のなか
を読もうと駆け引きを繰り広げる」
「スタート直前まで、気が抜けないんだな」
キングは気圧されたようだった。「けどさ、俺たちは十人しかいないんだから、関係な
いじゃないか。駆け引きもなにもないだろ」
「たしかに、俺たちは二十九日の区間エントリーで、手の内をすべてさらすことになりま
す」
走は不安を覚え、清瀬を見た。寛政大には補欠がいないし、一度エントリーしたら、選
手の区間を入れ替えることもできないのだ。それについて清瀬がどう考えているのか、知
りたかった。
「選手層が薄いのは、なにもうちだけじゃない」
清瀬は落ち着きはらって言った。「当日にエントリー変更するのも、善し悪しだ。突
然、走れと言われても、うまくいかないこともあるからね。現に、よっぽどのことがない
かぎり、区間エントリーを変えない方針の大学も多々ある。エントリーに関して駆け引き
があることを知ったうえで、早い段階で、自分がどこの区間を走るのか確定していたほう
が、腹づもりもできるってものだ」
「ハイジは、もう俺たちの走る区間を決めてるんだな?」
ユキが聞く。清瀬は「ああ」と言い、姿勢を正した。
「もちろん、異論があれば相談に応じるが、俺はいまのところ、これがベストじゃないか
と考えている」
清瀬はジャージのズボンからメモを取りだし、輪の中心に広げた。みんなは身を乗りだ
して紙を覗きこみ、驚きの声をあげた。
箱根往路(一日目)
一区 大手町~鶴見 王子
二区 鶴見~戸塚 ムサ
三区 戸塚~平塚 ジョータ
四区 平塚~小田原 ジョージ
五区 小田原~箱根 神童
箱根復路(二日目)
六区 箱根~小田原 ユキ
七区 小田原~平塚 ニコチャン
八区 平塚~戸塚 キング
九区 戸塚~鶴見 走
十区 鶴見~大手町 清瀬
「私が二区? 無理ですよ」
ムサがぶるぶると全身を震わせた。「二区はエース区間なんでしょう? なぜ走ではな
いんですか」
「王子さんが一区ってのも、かなり大胆だよね……」
ジョージが遠慮がちに首をひねった。当の王子でさえも、
「最初から勝負を捨ててどうするの」
とつぶやく。
走は、清瀬の考えた布陣を見て、すぐに意図するところがわかった。ハイジさんは、後
半で勝負をかけようとしている。本気でシード権圏内に入ることを狙ってるんだ。いや、
ハイジさんの読みどおりのレース展開になれば、シード権どころじゃない。この配置な
ら、もっといい順位を狙えるぞ……!
来年度の存続も危ぶまれるほどの弱小部なのに。素人の寄せ集めで、ようやくここまで
這いあがってきたというのに。清瀬は諦めるということを知らない。いつでもうえを見
て、夢と目標を掲げ、竹青荘の住人たちを強く導く。走りの高みを目指して。個人競技と
団体競技の、究極の中間形態――箱根駅伝での頂点を目指して。
エントリー表から清瀬の真剣さが伝わってきて、走は拳を握りしめた。そうでもしない
と、奮い立つあまり、獣のように吼ほえてしまいそうだ。
「一区は王子しかいない」
清瀬は優しく言った。「きみは三次元に興味がないからか、記録会でも予選会でも、物
怖じするということがなかった。注目を集める一区に、最適の人材だ。ものすごくタイム
が遅かったのに、ここまで練習についてきたタフさもある。競りあいになっても、踏ん張
れるだろう」
またさりげなく失礼なことを言ってる、と走は思ったが、清瀬の期待に嘘はなかった。
王子もそれを感じたのだろう。目に光が宿った。
「でもここ数年、一区はハイペースな展開が多い」
集めたデータをもとに、ユキが疑問を挟んだ。「今回も、各大学はスピード重視で一区
の選手を選ぶんじゃないか?」
「反動で、スローペースな展開になる可能性もある。そこは賭けだな」
清瀬はあっさりと認めた。「だが、たとえ王子が引き離されたとしても、一区ならまだ
取り返しがつく。そのために、二区から四区まで、走力のある手堅いメンバーを選んだ。
五区の山上りは、神童以外にいないだろう? ムサと双子なら、そこまで着実につなげる
はずだ」
「私がエース区間なんて、荷が重すぎます」
ムサは納得がいかないようだった。清瀬は、
「どう思う?」
と走に話を振ってきた。「ムサは、きみに二区を走ってほしいようだが」
「いいえ。俺は、ムサさんがふさわしいと思います」
走は確信をもって答えた。「ムサさんは、どんなプレッシャーもはねのけて練習してき
ました。長距離をやったことがなかったのに、いまでは十キロ二十九分台前半のタイムの
持ち主です。それにムサさんは、いつも俺を励ましてくれた」
その努力も、人格も、どんな選手にも負けない。ムサはエースのなかのエースだ。