その事実を、ジョータがすんなりと、当たり前のこととして受け止められたのは、親が
そう接してくれたからだ。ジョータは双子の弟を、自分に一番近いところにいる、自分と
はまったくちがう人間として、ごく自然に愛している。
ジョータとジョージは、いつも一緒だった。同じ部屋で寝起きし、同じ学校に通い、同
じようにサッカーをした。喧嘩の数と同じだけ仲直りし、共通の友人たちと遊んだ。
ジョータはジョージのことなら、ほとんどすべて知っている。食べ物の好みも、右の足
首に小さなホクロがあることも、いつだれとはじめてキスしたかも。でも、ジョージが自
分とはまったくちがう性格であることも知っている。
ジョータとジョージには、友だちが多い。周囲からは、明るくて楽しい人間だと思われ
ていると思う。それはまったくそのとおりだし、そう思われることになにも不満はない
が、自分に関して言えば、その表現は少しちがうとジョータは感じる。
ジョージのほうが、俺よりも無邪気だ。
ジョージは本当に、いるだけでその場の雰囲気をなごませる。ジョージが怒っても笑っ
ても、それはなんの計算もない、素直な感情の発露だからだ。
ジョータはそこまで天真爛漫ではない。「こうしたら、ひとに好かれるだろうな」と計
算して行動することもある。どちらかといえば、ジョージのように屈託のないひとのほう
が少数派だろう。だからこそ余計に、ジョータは双子の弟のことが好きなのだ。
ジョージはまだ気づいていないと思うけど、とジョータは考える。そろそろ、べつの道
を行くときが来た。いつも一緒に、同じことをしてきた俺たちだけど、いつまでもこのま
まではいられない。
浜須賀の交差点から南下し、湘南海岸道路に入る。海沿いの道を走ると、風が正面から
吹いてきた。
ジョータとジョージは、学力も運動能力も、ほぼ同じようなものだった。だから、同じ
高校に通い、サッカー部でともにレギュラーとして活躍していたのだ。
でも、走ることはジョージのほうが向いている。
いまは、タイムにそうちがいはない。だがジョータは、ジョージのことをだれよりも
知っているからこそ、気づくことができた。
俺はたぶん、ここまでだけど、ジョージはもっと速くなる。俺が見ることのできない世
界へ、行くことができる。それだけの素質があるし、走るのが好きでたまらないみたいだ
から。
多くのひとから愛され、だれのことも等しく好きでいられるジョージ。そんなジョージ
が、走ることに対して見せた熱意と執着は、ジョータにとって驚きだった。
どうせすぐに飽きてしまうと思ったのに、ジョージは毎日毎日、走りに打ちこんだ。
清瀬ですら気づいていないようだが、ジョージはたまに、深夜にこっそり自主練してい
る。ジョータを起こさないように静かに布団を抜けだし、一時間ほど表を走って帰ってく
る。
部屋に二人でいるとき、ジョージはしょっちゅう走の話をする。今日の走の走りはすご
かったね。どうしたらあんなふうに走れるんだろう。少しでも走に近づこうと、「兄ちゃ
ん、俺のフォームをチェックしてよ」と、畳のうえでポーズを取る。そういうときの、
ジョージの目の輝き。
ジョータとジョージは、同学年の気安さもあって、走としばしば喧嘩する。ジョータか
らすると走は、純粋だからこそアンバランスな存在に見えた。それがときに苛立たしく
て、つい突っかかってしまう。
でもジョージは、そういう走に憧れている。走を認めてしまう自分自身に照れがあるか
ら、反発してみせているだけだ。
大人になったんだなあ、ジョージ。ジョータはさびしくもうれしく思うのだ。双子の弟
にとって、これまで一番のライバルは、いつだってジョータだった。お互いがお互いの目
標であり、影響しあって生きてきた。そんなジョージが、ついに走というライバル、目標
を見つけたのだ。
走らなければ、知ることはなかった。まだまだ一緒に、同じものを見ていられた。
だけどもう、ここまでだな、ジョージ。
ジョージの熱意に引きずられるように、ジョータも走ってきた。竹青荘の住人たちと、
とうとう箱根駅伝に出るところまで来た。そしてジョージは、まだ先を目指すだろう。
ジョータがどうやっても追いつけない、彼方まで。
まあいいさ、とジョータは思う。ジョージが俺の大事な弟だということに、変わりはな
いんだから。弟の独り立ちを歓迎してやらなきゃいけない。俺にできるのは、いま精一杯
走ることだ。これから時間をかけて、さらに高みを目指そうとしているジョージに、はな
むけしてやることだ。
いつか、ジョージが勝つといい。何年かかろうとも、走みたいに、走以上に、速く強
い、だれにも負けないランナーになるといい。そのとき自分がなにをしているのか、
ジョータにはまだわからない。だが、いまと変わることなく、弟を心から応援しているの
はたしかだ。
走っていると、防砂林に視界が遮られてしまい、海が見えない。交通規制された道路の
うえを、潮しおの香りだけが風に乗って渡る。
地味だって言うけどさ、とジョータは思う。むちゃくちゃきついよ、このコース。
戸塚から平塚に至る三区は、つなぎ区間だと思われがちだ。東俣野で国道一号からそ
れ、南下。八キロ地点にある藤沢駅近くを過ぎると、地味な町なかの道になる。浜須賀の
交差点で右折し、国道一三四号、通称湘南海岸道路に入ってからは、ひたすら単調な景色
がつづく。人家があまりなく、駅からも遠い道なので、このあたりでは沿道の応援の人垣
も、さすがに途切れることがある。
期待されただけやる気が出てくるジョータとしては、だれも見ていないところで走るの
は苦手だった。湘南海岸道路に出るまでは細かいアップダウンがあるのに対し、海沿いに
なると道がほぼ一直線で平坦だというのも、走りにくい原因だった。
気温は五・七度。左手には防砂林。そのうえから、冬にしては強い日射しがジョータを照
らす。風はあいかわらず前方から吹きつけてくる。よく晴れているから、正面に富士山が
見えてもおかしくないが、確認する余裕はない。
やっぱり、箱根駅伝はテレビで見るもんだよなあ、とジョータは思う。おせちでもつま
んで、ゴロゴロしながらさ。三区のあたりでは、海と、延々とのびる道と、富士山とを、
ヘリで空撮した映像で楽しむってのが、お約束なのに。正月気分の盛りあがる、穏やかで
晴れがましい風景だ。
ところが実際に走ると、このつらさはどうだろう。
戸塚中継所でムサから襷を受け取って、ジョータの箱根駅伝はいきなり上り坂ではじ
まった。戸塚では十七番目に襷を受けた北関東大の選手が、猛然とジョータを追い抜いて
いったが、気にしない。ジョータより六秒遅れで出発した東京学院大にも追い越された
が、あせりはなかった。俺はアップダウンのある道は苦手なんだよ、とジョータは思っ
た。