日语学习网
九、彼方へ(12)
日期:2025-06-27 17:07  点击:257

  あ、兄ちゃんは「俺たち」って言ってたっけ。それってどういう意味?  俺たちのうち

のどちらか、と言いたかったのかな。それとも、「葉菜ちゃんは友だちとして俺たちのこ

とを好きでいてくれてる」ってことかな。だとしたら、やだなあ兄ちゃん。そんなこと、

俺はとっくに知ってたよ。俺だって葉菜ちゃんのこと、友だちとしても好きだし。できれ

ば、もっと仲良くなりたいなあなんて思ってたわけだし。

  えー、でもでも、葉菜ちゃんがホントにそういう意味で、俺のこと、まあ兄ちゃんのこ

とかもしれないけど、俺のこと、好きだとしたら?  どうしよう、俺すごくうれしいんだ

けど。やっぱりここは思いきって、俺から告白してみるべき?

  いろいろ思いめぐらすと、走るジョージの顔面は際限なくにやけていくのだった。

  べつのことに気を取られているせいで、ジョージの走りは散漫になっていた。大磯から

国道一号に戻り、東海道の松並木を過ぎたことにも、まったく気づかなかった。景色はた

だ流れ去るだけで、機械的に体を動かしてまえに進んでいる状態だ。

  平塚から小田原に至る四区は、二十・九キロある。箱根駅伝の区間のなかでは、距離が短

いほうだが、五区の山上りに好位置で襷を渡すためにも、気を抜くことはできない。

  二宮、国こ府う津づと国道一号を走り、小田原の城下町に入るまでは、相模湾にそそぐ

細い川が、何本も流れている。小さな橋をいくつか渡らねばならず、そのたびに細かい

アップダウンがあった。

  ジョージは平坦な道よりも、少し起伏があったほうが、リズムに乗って走れるタイプ

だった。おかげで、集中しきれていない脳みそでも、なんとかペースを保って進むことが

できていた。

  まえを行く喜久井大と東体大を追おうという気迫に、いまのジョージは欠けていた。平

塚中継所で襷を受け取ったときから、二校とのタイム差は広がっても縮んでもいない。

ジョージはただひたすら、葉菜子の気持ちを知りたいと、そればかりを考えて走ってい

た。

  四区は、前半と後半で様相が変わる区間だ。小田原の市街地に入るまでは、比較的温暖

で走りやすい海沿いの道だが、市街地を抜け、いよいよ箱根の登山口に差し掛かると、気

温が一気に下がる。山から吹き下りてくる冷たい風を、真正面から浴びて走らねばならな

い。ラスト三キロは、だらだらとした上りになる。特に最後の一キロは、すでに山上りが

はじまっていると言ってもいいような、完全な上り坂だ。

  事前に調べた地形についても、試走の経験も、ジョージの頭からは抜け落ちていた。

レースを組み立てるどころではない。

  葉菜子のことが気になってたまらなかった。

  ジョージはどちらかというと、ひとに好かれるほうだ。これまでも何人かの女の子と、

つきあってきた。どの子のことも、ジョージはもちろん好きだったが、いつもなんとなく

うまくいかなくなり、最後は自然消滅してしまう。

  原因は、そっくりな兄がいることにある。

  たとえば、彼女が家に遊びにくる。ジョージが玄関で出迎えると、その子は必ず、

「えーっと、ジョージくん?」と言う。ジョータと同じ制服を着て、高校の廊下を歩いて

いるときもそうだ。彼女は背後から声をかけてくることをしない。双子のまえにまわっ

て、一瞬ジョータとジョージを見比べてから、ジョージのほうに話しかける。

  似ていることは事実なのだから、彼女の微妙な間まがいやだったわけではない。ジョー

タとのちがいを、なんとか見いだそうとされるのがいやだったのだ。

  自分の望みが贅沢で傲慢なものだということを、ジョージはちゃんとわかっている。

ジョージは、自分と外見が似た兄がいることに、不満はなかった。子どものころはむし

ろ、わざとジョータと同じように振る舞い、友人たちを混乱させることを楽しんでいた節

もある。

  それでも、とても好きな女の子のまえでは、「ジョージ」であることを必死にアピール

してきたつもりだ。一瞬の空白を感じ、ジョータとのちがいを探されるたびに、ジョージ

は少し傷つく。俺がきみをだますようなことをすると思うのか、と聞いてしまいたくな

る。

  女の子にはまったく悪気はないのだし、自分がこの件に関しては敏感に反応しすぎなの

だと気づいていたから、もちろん実際にはなにも言ったりしない。

  ジョージは、大切な兄であるジョータと自分を、だれかに比べられたりしたくなかっ

た。ただ、「よく似た顔の兄がいるひと」として、自分自身を自然に認めてほしかった。

それだけだ。

  葉菜子はその点、少し変わっていた。

  ジョータとジョージを、決して取り違えたりしない。同じジャージを着ていても、背中

を向けていても、呼吸をするみたいに戸惑いなく、正確に双子を呼びわける。かといっ

て、ジョータとジョージの性格のちがいを指摘したこともない。たとえば、清瀬と走の性

格のちがいを、わざわざ指摘するものがいないように。

「葉菜ちゃん、どうして俺たちのことを見分けられるの」

  ジョージは不思議に思って、そう聞いたことがある。葉菜子は質問の意味がよくわから

なかったらしい。

「見分ける?」

  と首をかしげた。

「俺と兄ちゃんって、双子のなかでもけっこう似てるほうだと思うんだけど。大学の友だ

ちも、よく俺のこと兄ちゃんだと勘違いして声をかけてきたりするよ」

「竹青荘のひとたちは、まちがえないでしょ?」

「それはまあ、一緒にいる時間が多いからね」

  ふうん、と葉菜子はなにか考えているようだった。八百勝に葉菜子を送る道の途中だっ

た。葉菜子を挟む形で歩いていたジョータも、葉菜子の答えを黙って待っている気配がし

た。

「見分けるとか、考えたことなかったから、わかんないな」

  と、やがて葉菜子は言った。「はじめて見かけたときから、ジョージくんとジョータく

んは仲のいい兄弟で、私にとっては二人が一緒にいるのが当たり前だし。二人とも、そ

の……かっこいいし」

  あー!  ジョージは走りながら叫びそうになった。

  そうだ、葉菜ちゃんたしかに、俺たちのこと「かっこいい」って言った!  やっぱり俺

たちのこと好きなんじゃないかな。どっちを好きなのかは、はっきりしないままだけど。

  葉菜ちゃんの好きな相手が、兄ちゃんであろうと俺であろうと、もうどっちでもいい

や、とジョージは思った。似た部分もちがう部分も、そのまま受け止めてくれているらし

い葉菜子が、自分にとって特別なひとであることに変わりはないからだ。

  でもなあ。ジョージは思考の海にまた沈んでいく。葉菜ちゃんは走のことを好きなん

じゃないかと、俺は思ってたんだけど。

  葉菜子に好意を抱いているのに、ジョージがいまいち積極的な態度に出られなかったの

は、そのためだった。


分享到:

顶部
06/29 01:16