神童は朦もう朧ろうとした状態で、箱根の山上りに挑んでいた。頭部を透明な緩衝剤で
覆われたように、音も体感も遠かった。
苦しい、つらい、苦しい、つらい。そのふたつの言葉だけが脳髄に渦巻き、背骨を下り
て体内に満ちる。だが不思議なことに、走りやめようとは思わないのだ。
最初の一キロを、神童は三分三十秒で入った。上り坂とはいえ、遅いペースだ。小田原
中継所で同時に襷を受け取った喜久井大の選手は、もう姿も見えないほど先に行ってし
まった。
三・四キロ地点にある箱根湯本の温泉街を抜けると、景色は峡きよう谷こくといった様相
を呈しはじめる。
函かん嶺れい洞どう門もんのトンネルで、小田原で後発した横浜大の選手が追い抜いて
いった。川に面したトンネルは、左手のコンクリート壁が格子状になっている。射しこむ
光が作る黒白の影のなかを、コマの抜けたフィルム画像のように、横浜大の選手はぎく
しゃくと駆け去っていく。神童はそれを見送るしかなかった。
古い家並みの残る塔ノ沢温泉郷から、カーブがいくつもつづく。道は曲がりくねりなが
ら、少しずつ高度を上げていった。神童はかすむ目で、なんとかコース取りをする。カー
ブの内側から内側へと、なめるようにコースを選ばなければ、必要以上の距離を走ること
になってしまうからだ。
脚がだるくて痛かった。熱のために、関節が炎症を起こしはじめているのかもしれな
い。本格的な勾配は、まだこれからだというのに。箱根登山鉄道が走る出で山やま鉄橋の
下をくぐり、神童はふらつきながらも、止まることなく上りつづける。神童のスピード
は、一キロ三分三十五秒まで落ちていた。
早川に沿って山を上り、七・一キロ地点で大平台のヘアピンカーブに差しかかった。伴走
する車のエンジン音も、重いうめきを上げる。僕だけじゃないんだな。神童はぼんやりと
思う。機械ですら、この山道は苦しいんだ。
宮ノ下温泉郷に入り、富士屋ホテルのまえを通過する。年末年始を老舗の温泉宿で過ご
した人々が、狭い道の両脇を埋めつくしていた。神童はずるずると順位を落とし、ここま
でですでに三校に抜かれていた。だが見も知らぬ観客たちは、「寛政がんばれ!」と大き
な声援を送ってくれた。テレビで寛政大の紹介を見て、弱小チームの活躍に期待している
のだろう。
神童は声に押されるように、宮ノ下の交差点を左折した。見上げるのもいやになるほど
の勾配が、行く手に待ちかまえていた。
十キロ地点にあるのが、小涌園だ。標高は六百十メートル。小田原市内が標高四十メー
トルだから、五百メートル以上の標高差を、一気に駆けのぼった計算になる。
それでもまだ終わりではない。十五キロ過ぎにある国道一号の最高点は、標高八百七十
四メートル。五区、二十・七キロのあいだには、東京都庁の三倍もの標高差があるのだ。
五キロ地点では沈黙を守っていた監督車から、はじめて大家が呼びかけてきた。
「神童、碁というものはな」
なんの話だ。気づかぬうちに、耳まで熱に浮かされはじめたんだろうか。神童は、ス
ピーカーを通して割れがちな大家の声に、しばし神経を集中させた。
「どんなタイミングで投了するかが、むずかしいんだ。強ければ強いほど、自分が負けて
いると気づいたときに、ではどうやって負けを認めるべきか、一生懸命に考えるもんだ。
なんとか逆転できないか必死に勝負をかけて、それでも相手に弾き返されてしまったら、
そこで投了する。碁盤が全部埋まってなくても、だぞ。それを責めたり、戦いを途中で投
げだしたと言ったりするようなものは、だれもおらん。むしろ、いいタイミングで投了す
れば、『投げ場を得た』と敗者も讃えられる。勝ちにいこうとする態度を、ぎりぎりまで
貫いたからだ」
神童は、大家の言わんとするところを察した。
「つらいか、神童。つらかったら、両手をあげろ。すぐにでも俺は車を降りて、おまえを
止めてやる」
両の拳を体側で握りしめ、神童は首を振った。これは駅伝だ。十区間すべての選手が走
り終えないかぎり、決して完成することのない戦いだ。投了はありえない。たとえ見苦し
くても、投げ場を失うことになっても、走る。脚が動くうちは。いや、倒れたって、這っ
てでも芦ノ湖にたどりついてみせる。
神童の決意を見て取ったのか、大家はもうなにも言わず、マイクのスイッチを切った。
小涌園まではカーブのおかげで、かろうじて走りのリズムをつかめた。曲がるたびに、
少しずつでも上っていっている実感を得られた。しかしここから先は、カーブが減り、沿
道の見物客もほとんどいなくなる。道路脇に雪が溶け残るさびしい風景のなかを、ひたす
ら黙々と、国道一号の最高点を目指して上るほかない。
恵明学園正門前を過ぎる。高度が上がって、吐く息の白さが際立ちはじめた。気温は三
度。南東の風、三・〇メートル。空はよく晴れている。
故郷では両親が、神童の走りを心配しながらテレビで見ていることだろう。大丈夫、こ
れが終わったら帰る。ムサと一緒に、箱根駅伝がどんなに楽しくて素晴らしい大会だった
かを、伝えに帰るよ。
十五キロ地点で給水した神童は、「いま十七番目。トップとの差、そろそろ十分」とい
う情報を得た。いつのまにか、さらに二校に抜かれていたらしい。腫れて狭まった喉に、
水を流しこむ。少しは楽になるかと思ったのに、水は胃に落ちるはるか手前で温んでし
まった。
トップと十分以上のタイム差がついたチームは、復路が繰り上げ一斉スタートになる。
それはなんとかして避けたい。ユキをはじめとする、復路を走るメンバーの士気にかかわ
る。
道は一度下り坂になり、そこから最高点に向けてまた上る。神童は突き進んだ。体力は
すでに、ほとんど失われていた。痙けい攣れんしはじめた大だい腿たい部ぶを、励ますよ
うに拳で叩く。
芦ノ湖のきらめきが見えてきた。
湖へ至る、最後の下り坂だ。体がまえに動いているのか、もはやそれすらも定かではな
い。横を駆け抜けていく足音がした。また一校が、神童を追い越したのだ。
上りから下りに走りをシフトチェンジできず、スピードが上がらない。もどかしさがこ
みあげる。負けたくない。どれだけ無ぶ様ざまだろうと、何校に抜かれようと、ここで自
分に負けるようなことだけはしたくない。その思いが、神童の脚を動かしていた。
元箱根で見物客の歓声を聞き、十九・一キロ地点の大鳥居をくぐったところで、神童の意
識は途絶えた。
湖畔にある恩おん賜し公園の緑も、湖の向こうにそびえる富士山も、最後の直線で鳴ら
される応援部の太鼓の音も、神童の目と耳に届くことはなかった。苦痛すらも、もう遠
い。