「順位は」
「変わりません。甲府学院大の後ろ、東体大のまえを走っている位置ですから、見かけは
十三番目ですが、総合タイムとしては十六位のままです」
「ああ……」
相槌だかため息だかわからぬ声を漏らし、キングはのばした膝に額をつけた。じっとし
ていると、不安で体が自然と震えてくる。
「ユキのやつ、すげえ走りだったなあ」
キングは震えを振りきるように、明るい声を出した。
「そうですね。神童さんも喜んでいると思います」
ムサは微笑んだ。二人はしばらく黙って、低い位置から目の前の風景をぼんやり見てい
た。選手や係員や応援客が行き来する中継所は、縁日みたいに活気づいている。キングと
ムサのまわりだけ、音と時間から取り残されたように静かだ。緊張で満たされた水槽に隔
離されている気がした。
二人の視界のなかに、ジャージを穿いた脚が現れ、立ち止まった。そろって顔を上げる
と、東体大の が見下ろしていた。
「どうやら寛政大陸上部は、箱根はこれきりになりそうですね。来年度のメンバー不足を
悩むまでもなくて、よかったと言えるかもしれない」
丁寧で静かな口調だからこそ、聞き流すことができなかった。キングは憤って立とうと
したが、ムサが毛布の端をつかんで止めた。 も八区にエントリーされていた。出走を間
近にして、わざわざ同じ区間を走るキングに話しかけてくる。ムサはそこに、 の緊張と
プレッシャーを感じ取ったのだった。
「まだわかりませんよ」
とムサは穏やかに返した。「東体大も、シード権を獲れるかどうか際どいところです
ね」
「いまなんて、うちの大学より後ろを走ってるしなあ」
キングは に嫌味で応戦する。
「見かけだけのことです。それに、八区で俺が抜き返してやりますよ」
の言葉には、強い決意がこもっていた。「あなただけじゃない、まえを行く大学を何
校だって抜いてやる」
へーへー、頑張って。キングは内心でつぶやき、
「なんだっておまえ、そんなに力が入っちゃってんの?」
と口に出して尋ねた。 の眉が、壊れたワイパーみたいに跳ねあがった。
「力が入るに決まってるでしょう。これは箱根駅伝ですよ。俺はこの大会に出ることを目
指して、ずっと走ってきたんだ。中学のころからです! チャラチャラと遊びで走ってる
あなたたちには、わかんないかもしれませんけど」
「遊びでは走れませんよ」
きっぱりと言いきったムサが急に立ちあがったので、キングはびっくりした。ムサは
に対峙し、言葉をつづけた。
「こんなに苦しい遊びがあるわけない。 さんはそれをよくご存じのはずなのに、なぜ私
たちに喧嘩を売るのですか? キングさんはもうすぐ出番です。苛立たせるようなこと
は、言わないでもらいたい」
かっこいいなあ、ムサ。キングは毛布にくるまったまま、頼もしい思いでムサを見上げ
た。
の後方には、控えにまわった東体大の上級生たちがいた。夏合宿のときは、寛政大の
ことなど上級生たちの目には入っていなかったようだが、さすがにいまはちがう。「 、
なにやってる」と呼びかけてくる。キングたちに向きあって立つ を、心配しているの
だ。だが は、振り返ろうとしない。
キングは急に、 のことが気の毒になった。走をはじめとする寛政大のメンバーはもち
ろんのこと、東体大のチームメイトすら、 にとってはライバルなのだろう。走りにすべ
てを捧げ、走ることを一途に愛するあまり、 にはまわりの全部が敵なのだ。だれとも打
ち解けず、馴れあわず、ただ自分以外のランナーの順位やタイムばかりは気になる。
そんなふうにしか走りと向きあえない を、キングは哀れだと思った。毛布を脇によ
け、キングはビニールシートから立ちあがった。
「なあ、おまえ楽しいか? ずっと夢だった箱根駅伝に出られて、これから走るんだぞ。
なのにおまえ、全然楽しそうじゃないのはなんでだ?」
「楽しい必要なんてありますか?」
は微塵も揺らがなかった。「これはレースです」
「そうだけど、でもさ……」
どう伝えればいいのか、キングは考えた。「うちの主将の清瀬は、よく言ってるぜ。速
いだけじゃだめだ。長距離の選手は、強くないといけない、って。それってたぶん、走る
ことを楽しめって意味じゃないかと、俺は思うんだ」
「甘いですね」
はまた眉を動かした。しかたのない、と幼児の泥遊びをたしなめるように。
「学生時代のいい思い出を作りたいなら、楽しめばいいでしょう。あなたたちには似合っ
てる。でも俺はちがいます。戦って戦って、競技に勝つ。そのために走るんだ。蔵原みた
いに、弱いやつらにあわせて堕落するのは御免です」
「なんだと、こら!」
キングは感じたばかりの哀れみを早くも投げ捨てて怒鳴ったが、 は言いたいことは
言ったと満足そうに、さっさと立ち去った。
「ホントに腹立つやっちゃなあ」
歯 みするキングを、まあまあとムサがなだめる。
「 さんの言うことにも、もっともな部分がありますよ」
「そりゃそうかもしれないけど、でもやっぱり腹立つから、走に電話だ!」
キングはジャージのポケットから携帯電話を取りだした。
走は軽いジョッグを終え、戸塚中継所に戻ってきたところだった。体もほぐれてきた
し、ストレッチをしてからもう一走りすればちょうどいいかな、と考えていると、荷物番
をしていたジョージが手招きする。
「走、電話鳴ってる」
預けておいた携帯をジョージから受け取り、表示をたしかめる。清瀬かと思ったらキン
グだ。
「はい」
どうかしましたか、と問うまえに、キングの大声が走の鼓膜を直撃した。
「走ー! おまえ絶対、一番になれ! あのムカつくガキを悔しがらせて、涙の海に沈め
てやれ! いいかわかったな!」
一方的にまくしたて、電話は切れた。通話口から、まわりにも声があふれでるほどの剣
幕だった。
「なに、いまの」
「さあ……」
走とジョージは顔を見合わせる。