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十、流星(22)
日期:2025-06-27 17:16  点击:280

「走、やった、やった!」

  叫んだ王子が飛びついてきたのと、王子の持つ携帯電話から、

「寛政大の蔵原走、一時間〇八分五十九秒!  藤岡選手が出したタイムを、一秒更新しま

した。区間新記録です!」

  とアナウンサーがまくしたてる声が聞こえたのが同時だった。

  王子は感極まったのか、走の首根に抱きついたまま鼻をすすった。係員が、中継ライン

から下がるように告げた。走は王子をぶらさげ、引きずって、鶴見中継所の奥に入る。

  中継所内にいたひとたちから、次々に祝福の声がかかる。テレビカメラが、すぐ横でレ

ンズを向けている。専門誌の記者らしき人物が、コメントを求めて駆け寄ってくる。

  走はのろのろと左手首を見た。止めることを忘れられた腕時計は、律りち儀ぎにラップ

を刻みつづけている。余韻が体に残り、ぼんやりとしてしまってうまく状況に反応できな

い。

  それでも何歩か進むうちに、走った高揚が収まっていく。グライダーがなめらかに着地

するように、ふうわりと現実感を取り戻す。取り戻してまず思ったのは、「こうしてはい

られない」ということだ。

「王子さん、荷物は?」

「まとめてあるけど?」

「じゃ、行きましょう大手町に」

  中継所の隅にあったスポーツバッグを手にし、走は休む間もなく駆けだした。王子は急

いで、着替えの入った紙袋を持つ。

「走、汗ぐらい拭けよ!」

  紙袋からタオルやらジャージやらを引っ張りだしながら、王子も懸命に走のあとを追っ

た。「ちょっと、全力疾走はやめてってば。ねえ!」

  鶴見市場駅へ向けて去っていく走と王子を、中継所に居合わせた人々は呆あつ気けにと

られて見送った。走にインタビューをしようとしていたテレビクルーは、「どうするんだ

よ」と顔を見合わせて困惑する。

  走が区間新記録を出したのは、午後十二時三十三分二十八秒のことだった。六道大の藤

岡が区間記録を塗り替えてから、わずか十分四十三秒後。箱根駅伝、九区二十三キロの記

録は、一秒だけとはいえ、はじめて一時間〇九分の壁を越えた。

  寛政大は、鶴見中継所を八番目で襷リレー。東体大はそれから五十一秒後に、十一番目

で襷リレーした。だが実質的なタイムでは、東体大はまだ十位につけている。戸塚中継所

では十六位だった寛政大は、九区で走が力走したため、十二位に浮上。十位の東体大との

タイム差は、縮まったとはいえ一分二秒ある。

  鶴見中継所で九位につけた西京大から、東体大、あけぼの大、寛政大、そして十三位の

甲府学院大まで、タイム差は全部で一分十八秒しかない。五チームが、僅差で十位近辺に

ひしめきあっている形だ。どこがシード権獲得圏内にすべりこんでも、どこが脱落して

も、おかしくない。

  レースの行方は、箱根駅伝の最終区間、十区二十三キロに持ちこされた。ここからは、

まさに一秒を競う戦いになる。

  鶴見市場駅のホームで京浜急行線を待つあいだ、走は王子の携帯を借りてユキに電話し

た。ユキはすぐに出て、「見てたよ。すごかった」と言った。区間記録更新についての言

葉だと、走は一拍おいてやっと気づいた。頭のなかは、十区を走る清瀬のことでいっぱい

だった。

「ありがとうございます。ユキ先輩、いまどこにいますか?」

「ジョージとキング以外は、全員が大手町に着いている」

「俺と王子さんは、これから電車に乗ります。そのあいだ、ハイジさんのサポートをお願

いします。タイムやレース状況を分析して、大家さんに伝えてください」

「安心していい。こっちには秘密兵器がある」

  秘密兵器ってなんだ?  と走は思ったが、ちょうど電車が来たので、ユキに問い返すこ

とはできなかった。

  午後十二時四十六分。走と王子は京浜急行に乗車した。川崎で東海道線に乗り換え、東

京駅を目指す段取りだ。走は車内で、ユニフォームのうえから手早くジャージの上下を着

込み、清瀬のベンチコートを羽織った。携帯で路線検索をしていた王子が言った。

「京急川崎から、JRの川崎駅へダッシュすれば、特急踊り子にまにあうかもしれない。

どうする?」

「もちろん、走ります」

「じゃあ、これも持って」

  王子は紙袋を走に渡した。せめて手ぶらにならなければ、走の速度にはついていけそう

もなかった。

  午後十二時四十三分。清瀬は三キロ地点の六郷橋を渡っていた。多摩川を越え、いよい

よ神奈川県から東京都に入る。

  全長が四百メートル以上ある巨大な橋の真ん中で、前方に動地堂大の選手の姿をとらえ

た。動地堂大は鶴見中継所で、寛政大よりも一分半ほど先に襷リレーした。それなのに、

六郷橋で視認できる距離まで追いつけたということは……。清瀬は考える。たぶん、あの

選手は体調が悪いんだな。腹でも痛いのか。細かい雪がまだ降っているし、ずいぶん冷え

る。さえぎるものもなく、橋のうえには川風が吹きつける。気温は一度あるかないかだろ

う。

  清瀬自身は、一キロあたり三分〇三秒のペースで、順調に走っていた。動地堂大の姿が

見えたからといって、追い抜くためにスパートをかけたりはしない。このままのペースを

維持していれば、どうせ五キロあたりで動地堂大をかわせるはずだ。逸はやってはいけな

い。序盤で脚にいらぬ負担を強いては、十区を走りきることすらできなくなる。

  清瀬が戦うべき相手は、他大の選手ではない。時間と、自分が抱える脚の古傷だった。

  六郷橋を渡りきり、第一京浜を東京方面に向けてひた走る。京急本線を左手に見なが

ら、線路に沿って進む形だ。

  五キロ地点で、監督車に乗った大家が情報を伝えてきた。

「九区までの総合タイムが出た。首位は六道大で、九時間五十三分五十一秒。房総大は一

分三十一秒差で二位だ」

  それはいいから、と清瀬は手を振った。トップ争いについて聞かされても、いまは意味

がない。知りたいのは、寛政大が十位に食いこむために、どれだけタイムを縮めればいい

のかだった。

  大家は、三位以下のタイムも順に読みあげようとしていたが、清瀬の意を察して咳払い

した。

「えー、途中を略して。寛政大は現在、十二位。総合タイムは十時間〇六分二十七秒。十

一位はあけぼの大で、十時間〇五分二十八秒。十位の東体大は、十時間〇五分二十五秒。

ついでに言うと、東体大に三秒先行して、西京大が九位にいる」

  清瀬は脳内で、タイム差を目まぐるしく計算する。東体大よりも一分二秒以上速いタイ

ムで、十区を走る必要があるということだ。


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06/27 23:52