(みわ しっさい)
(1669―1744)江戸中期の儒学者。寛文{かんぶん}9年京都に生まれる。名は希賢。字{あざな}は善蔵。山崎闇斎{あんさい}門下の佐藤直方{なおかた}に師事して程朱{ていしゆ}学を学んだが、やがて陽明学に転じ直方に絶交された。のち和解。京、大坂、江戸と居所を転々とかえ、大坂では平野含翠{がんすい}堂で講師となり、さらに江戸に出て学塾明倫{めいりん}堂を開くなど陽明学派再興に力を尽くした。晩年は病を得て帰京し、延享{えんきよう}元年5月25日、76歳で死去した。著書には『標注伝習録{ひようちゆうでんしゆうろく}』『日用心法{にちようしんぼう}』『大学俗解{だいがくぞくかい}』など数多くある。