返回首页
当前位置: 首页 »走进日本 » 历史人物简介 » 正文

桓武天皇

时间: 2015-07-30    进入日语论坛
核心提示:天皇中心の政治を再建しようとした天皇桓武天皇 (かんむてんのう)   ● 活やくした時代   737年~806年 奈良~
(单词翻译:双击或拖选)
天皇中心の政治を再建しようとした天皇
桓武天皇 (かんむてんのう) 
  
● 活やくした時代   737年~806年  奈良~平安時代
 
● 活やくしたこと
 
   737年 白壁王(しらかべおう 後の光仁天皇)の皇子として生まれる。
 
   770年 父の白壁王が光仁天皇(こうにんてんのう)になる。
 
   771年 中務卿(なかつかさきょう)になる。
 
   773年 皇太子になる。
 
   781年 桓武天皇(かんむてんのう)が天皇になる。
         弟の早良親王(さわらしんのう)が皇太子になる。
 
   784年 平城京(へいじょうきょう)から長岡京(ながおかきょう 今の京都)に都を移す。
           平城京は貴族や寺院の勢力が大きすぎて、天皇中心の政治ができないため
 
   785年 早良親王が皇太子をやめさせられる。
 
   794年 平安京(へいあんきょう 今の京都)に都を移す。
           令外の官(りょうげのかん)をおく。・・・蔵人(くらんど)、勘下由使(かげゆし)をおく。
           最澄(さいちょう)の天台宗(てんだいしゅう)
           空海(くうかい)の真言宗(しんごんしゅう)を保護する。
           坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)にする  
 
   801年 蝦夷(えぞ 東北地方)を朝廷にしたがわせるため、坂上田村麻呂(さかのうえの 
         たむらまろ)を派遣する。
            
        5年後に、蝦夷(えぞ)を平定し支配する。
 
   806年 死 去(70才)
 
 
● 人 物 評
 桓武天皇(かんむてんのう)は、聖武天皇(しょうむてんのう)やそれ以降の天皇によってくずれた天皇中心の政治を、もう一度、再建しようとした。大仏の建設以降、仏教(寺院)の勢力が大きくなり、道鏡(どうきょう)のように政治に参加し、口を出す者まであらわれた。このような状況の中で、天皇中心の政治を行うためには、平城京(へいじょうきょう)では場所が悪すぎた。平城京には大きな貴族や寺院勢力がありすぎるためである。そのため、それらの勢力から離れるために794年に都を平安京(へいあんきょう)に移すのである。桓武天皇の政治は一時的に天皇中心の政治にもどすことができた。だが、それは一時の光にすぎなかった。時代の流れには逆らえず、これ以後、再び貴族中心の政治へと移っていくのである。桓武天皇の功績は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を蝦夷(えぞ 東北地方)におくり、日本の領土を確立させたことであろう。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论