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藤原良房

时间: 2015-07-30    进入日语论坛
核心提示:藤原氏で最初の摂政藤原良房 (ふじわらのよしふさ) ● 活やくした時代  804年~872年 平安時代● 活やくしたこと
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藤原氏で最初の摂政
藤原良房 (ふじわらのよしふさ)
 
● 活やくした時代  804年~872年  平安時代
 
● 活やくしたこと
 
   804年 藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の次男として生まれる。
 
   814年 藤原良房が嵯峨天皇(さがてんのう)の皇女(こうじょ)潔姫(きよひめ)と結婚する。
 
   826年 父の藤原冬嗣が亡くなる。
 
   836年ごろ 藤原良房が権中納言(ごんちゅうなごん)になる。
          仁明天皇(にんみょうてんのう)の女御(にょうご 天皇の妃)となっていた藤原良房の妹の順子(のぶこ)が出世の力となる。 
 
   842年 承和の変(じょうわのへん)が起こる。
 
        道康親王(みちやすしんのう)が皇太子になる。
        
   848年 藤原良房が右大臣になる。
 
   850年 仁明天皇(にんみょうてんのう)が亡くなり、道康親王(みちやすしんのう)が即位(そくい)して文徳天皇(もんとくてんのう)になる。
         (藤原良房は文徳天皇(もんとくてんのう)の叔父(おじ)になる)
 
   857年 藤原良房が太政大臣(だいじょうだいじん)になる。
 
   858年 文徳天皇が亡くなる。
        文徳天皇と藤原良房の娘の明子の間に生まれた惟仁親王(これひとしんのう)が即位(そくい)して清和天皇(せいわてんのう)になる。
         (清和天皇は藤原良房の孫ということになる。)
        藤原良房が9才の清和天皇にかわって政治を行う。
 
   866年 応天門の変(おうてんもんのへん)がおこる。
        伴善男(とものよしお)が伊豆(いず 静岡県)に流される。
        貴族の名門の伴氏(ともし)や紀氏(きし)を朝廷から追い出し、藤原氏の優位を確立する。
        藤原良房が摂政(せっしょう)になる。
 
   872年 病死する。(69才)
 
 
● 人 物 評
 
 藤原良房が摂関政治(せっかんせいじ)の基礎をつくったといえるであろう。藤原良房が摂政(せっしょう)になるまでの過程を見てみると、天皇家と親戚(しんせき)関係となり、やがて幼い天皇の祖父となり、天皇にかわって政治を行うというものである。この手法は、以後、藤原氏によってたびたび使われる手法である。藤原道長(ふじわらのみちなが)もこの手法によって摂政(せっしょう)となった。そして、この手法がうまくいかなくなったとき、藤原氏による摂関政治が終わることになるのである。
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