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淀君

时间: 2015-07-30    进入日语论坛
核心提示:豊臣秀吉の側室(そくしつ)淀君(よどぎみ)※ 茶々(ちゃちゃ)ともいう。● 活やくした時代   1567年~1615年安
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豊臣秀吉の側室(そくしつ)
淀君(よどぎみ)
※ 茶々(ちゃちゃ)ともいう。
 
● 活やくした時代   1567年~1615年   安土桃山(あづちももやま)時代
 
● 活やくしたこと
 
  1567年 浅井長政(あざいながまさ)とお市(おいち)の長女として生まれる。
         幼名は茶々(ちゃちゃ)
         ※ 母のお市は織田信長(おだのぶなが)の妹である。 
 
  1573年 父の浅井長政が織田信長に討たれ、小谷城(おだにじょう)で自害
         (じがい)する。
         母のお市が茶々とともに、小谷城(おだにじょう)を出て、織田信長の
         元にもどる。
 
  1582年 本能寺の変で織田信長が討たれる。
         母のお市が織田信長の家臣であった柴田勝家(しばたかついえ)と
         再婚(さいこん)する。
 
  1583年 賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで豊臣秀吉(とよとみひでよし)に養父の
         柴田勝家(しばたかついえ)が討たれ、自害(じがい)する。
         母のお市は柴田勝家とともに自害する。
         茶々は敵の豊臣秀吉に保護される。
 
  1589年 茶々が豊臣秀吉の側室(そくしつ)になる。
         茶々が長男の鶴松(つるまつ)を生む。
         茶々が淀城(よどじょう)を与えられ、淀君(よどぎみ)と呼ばれるようになる。 
           ↓
         鶴松が3才で病死する。 
 
  1593年 淀君が豊臣秀吉(とよとみひでよし)の次男の豊臣秀頼(とよとみひでより)
         を生む。
 
  1598年 豊臣秀吉が伏見城(ふしみじょう)で病死する。
 
  1600年 関ヶ原(せきがはら)の戦いがおこる。
        
         【関ヶ原(せきがはら)の戦い】
           豊臣秀吉の家臣の石田三成(いしだみつなり)と徳川家康
           との勢力争い
           「天下分け目の戦い」と言われる。徳川家康が勝利する。
 
             〈 西 軍 〉  対   〈 東 軍 〉
              石田三成        徳川家康 
              毛利輝元       福島政則
             小早川秀秋      黒田長政
              小西行長       藤堂高虎
        
             ↓
         淀君と豊臣秀頼はこの戦いに直接関係しなかったが、大阪周辺を領地と
         する 65万石の一大名になってしまう。
             ↓
         徳川家康(とくがわいえやす)が実権をにぎる。
 
  1601年 豊臣秀頼が正二位(しょうにい)・権大納言(ごんだいなごん)になる。
 
  1603年 徳川家康(とくがわいえやす)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になり、
         江戸幕府を開く。
         豊臣秀頼は内大臣(ないだいじん)になる。
            ↓
         豊臣秀頼が徳川秀忠(とくがわひでただ)の娘の千姫(せんひめ)と結婚する。
 
  1614年 方広寺(ほうこうじ)のつり鐘(がね)事件がおこる。
        
        【方広寺(ほうこうじ)のつり鐘事件】
 
           豊臣秀頼が修理をしていた方広寺(ほうこうじ)のつり鐘
           (がね)の文章が、徳川家康を呪(のろ)っているとされた事件
              ・  ・     ・ ・
            国家安康   君臣豊楽
              ↑
            家康の名前を分け、呪(のろ)っているとした。
        
           ↓
         大阪冬の陣が始まる。
           徳川家康の江戸幕府と豊臣秀頼との戦い
           ↓
         淀君が豊臣秀頼とともに大阪城に立てこもる。
           ↓
         淀君と豊臣秀頼は徳川家康と仲直りする。
           ↓
  1615年 大阪夏の陣が始まる。
           ↓
         大阪城で母の淀君ととともに自害(じがい)する。(23才)
           ↓
         豊臣氏がほろびる。
 
 
● 人 物 評
 
  淀君(よどぎみ)にとって、最大の不幸は時の流れを感じ取れなかったことであろう。豊臣秀吉の死後、その実権は徳川家康へと移っていた。だが、プライドの高い淀君にとって、その流れを認めることができなかったのであろう。これが、豊臣氏のすべての運命を決めることになった。1615年、豊臣氏はほろびることになる。ちなみに浅井長政(あざいながまさ)とお市(おいち)の間には3人の娘が生まれる。浅井3姉妹(あざいさんしまい)と呼ばれている。長女の淀君は豊臣秀吉の妻(つま)である。次女のお初は京極高次(きょうごくたかつぐ)の妻である。3女のお江(おごう)は2代将軍の徳川秀忠の妻(つま)である。お江(おごう)は3代将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)の母でもある。
 
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