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第十三章:歴史~千古のなぞ 北京原人化石の行方不明の謎
日期:2015-01-07 13:42  点击:289
 世界に知られる北京原人の化石は、それが行方不明になる前は、ずっと北京協和病院の金庫に保管されていた。 
 
 太平洋戦争が勃発した直後、化石の研究に従事する人類学の学者である魏敦瑞は協和病院が保管場所としてもう安全でないと判断し、北京原人の化石を米国に移送することを提案した。1941年12月に日本海軍のハワイ真珠湾攻撃を前に、北京協和病院の博文総務課長が「化石を箱詰めにせよ」という命令を受けて、北京原人の頭蓋骨5枚、頭骨の破片15枚、下顎骨14枚、鎖骨、大腿骨、上腕骨、牙歯など合計147枚の化石をレンズ拭き用の紙と綿で巻き、木箱に詰め中国駐在の米国大使館に運んだ。しかし、その後北京原人の化石が行方不明になり、今になってもどこにあるか分からない。 
 
 北京原人の化石はトランクに詰められて秦皇島からハリソン郵船に載せられ、米国に運ばれる途中沈没したという説があり、その郵船が日本海軍に占領され、化石も日本海軍に奪われたという説もある。 
 
 第二次世界大戦後、米軍は日本で北京原人の化石を探したが、見つからなかった。1972年に、米国の富豪であるジェニュース氏が懸賞をかけて北京原人の化石を探し求め、手がかりを多く入手したが、失敗に終わった。1970年に、ニューヨークに住むある女性が北京原人の化石を探していた科学者クリストフ氏に電話をかけ、その女性の夫が生前北京原人の化石を保管していたと伝えた。ハーバード大学のある教授はこの女性が提供した写真を鑑定し、行方不明になった北京原人の化石だと判明したが、その後、女性との連絡が途絶えた。1991年に、米海軍の仕官である歴史学者のブロン氏は北京原人の化石問題で責任を問われたフリー博士から、北京原人の化石を保管している女性とまた連絡が取れたと書いた手紙を受け取ったが、1992年の秋にフリー博士も死去した。 
 
 1970年に、ニューヨークタイムズの紙面にはウィレンムという医師が広告を掲載し、北京原人が三ヶ所のいずれか(天津のある友人の家、天津のフランス系のパスト研究室、天津のスイス人が経営する外国商社)に保管されているかもしれないと発表した。これを受けて、天津市公安局が「極秘案件」の専門調査グループを作って取り調べたが、見つからなかった。このほど、中国の人類学者の周国興が長年の調査で、真珠湾攻撃を前に中国駐在の米軍海兵隊本部と米国大使館を結ぶ玄関の守備に当たる警備員は二人が一つの箱を大使館の裏庭に埋めたことを目撃したという新しい手がかりを入手したが、埋蔵場所の上に建物ができ発掘が不可能になった。 
 
 北京原人の化石は数十年間行方不明のままで、今になってもどこにあるか分からない。故周恩来総理はかつて「中国人がアメリカ人に北京原人の化石の保管を頼んだが、アメリカ人がそれを落としてしまった。良識ある科学者ならばそれを探し出して返還するべきである」と言ったことがある。

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