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猫を抱いて長電話48
日期:2020-08-11 10:40  点击:322
 酒豪の血筋
 
 母方の一族は、北海道の産である。母は血圧が高いせいであまり飲まなくなったが、毎晩の寝酒は欠かさない。盆暮れハタ日、その他もろもろの理由づけができる日には「一杯だけね」とかなんとか言いながら、結局、がんがん飲む。飲むと陽気になり、ケタケタと笑ってばかりいる。酒飲み婆さんの手本のような人物である。
 母の姉、つまり私の伯母は七十近いというのに、一升酒どんぶり酒、なんでもござれの大酒豪。彼女はいま函館に住んでいるのだが、函館でも現役酒豪ランキング五番以内に入るのではなかろうか。
 現在、富良野に住んでいる叔父の口癖は「まあ、飲めや」。久し振りに会っても挨拶《あいさつ》代わりに「まあ、飲めや」で、たいてい朝まで酒宴が続く。
 この叔父の息子、つまり私の従兄弟もウワバミ、底なし、ザル……といった感じで、北大在籍時代、駆けつけどんぶり酒三杯……という信じがたい習練を積んできたツワモノ。飲ませると際限なく飲み、最後までけろっとしている。
 かたや、父親は下戸の血筋。飲めないことはないが、「水割りの氷がグラスに当たる音を聞いただけで吐きそうになる」……という理解しがたい体質の持ち主である。なのにこの人はヘンな人で、男の酒飲みは嫌うが、女の酒飲みは大好きなのだ。
 大学時代、私が実家に帰っては「ボトル一本あけてからディスコで踊った」とか、「男たちが皆、ぶっ倒れたので世話をした」とか父に報告すると、いつも喜ばれた。そうかそうか、よしよし……てなもんである。
 間違って「ビール飲んだだけで酔っぱらった」などと言おうものなら、「いつからそんなに酒に弱くなったんだ」と叱られる。酒に弱いのは女じゃない、と信じている人なのである。
 こういった家庭環境、血筋は否が応でも人間に影響を与えるものだ。
 大学入学した年に合宿先でビールの大瓶八本近くを空け、意識不明になって以来、十五年。私は酒豪一族の名を汚さないよう、鍛練を積み、成果をあげてきた。
 その成果が上がり過ぎたのか、それとも体質なのかは定かではないが、酔ってストレスを発散させる、という飲み方がどうもできない。酔っぱらわないのである。
 たまには日頃、言いたいと思っていたことをぶちまけ、「てやんでえ」と怒鳴ってみたい、と思っているのだが、どうもそうならない。
 いくら飲んでも、さほど顔は赤くならないし、舌ももつれない。ふつうに喋《しやべ》り、ふつうに笑い、ふつうにトイレに行くだけ。
 酔ったふりして男にからむ、とか、編集者にからむのも面白い、と思うのだが、思うだけで実行にはうつせない。つまらないものである。
 でも、最近、少しだけ様子が変わってきた。どうせ、酔わないなら深酒をする必要もない、と考え、酒量をかなり減らした。第一、キラキラネオン街にはもう、飽きた。どこに行っても新鮮さを感じないから外に飲みに行くこともなくなった。
 現在、わが家では深夜になるとツレアイとふたり、ひっそり酒宴を始める。化粧を落とし、パジャマに着替え、もう、とても他人様にはお見せできないような見苦しい恰好《かつこう》で飲む。これが、気分いいのですねえ。
 目バリを入れ、コロンをつけ、ハイヒール履きながら飲んだ日々が信じられない。
 あの時、キミは若かった……なんて悪態をつかれるのだが。

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