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アビ農場の屋敷(1)
日期:2024-02-20 14:56  点击:282

アビ農場の屋敷

 一八九七年の冬、霜のおりたごく寒い朝のこと、私の肩を強くゆする者があって起こさ

れた。

 ホームズだった。手にローソクを持ち、それがホームズのかがみ込んだ顔を鋭く照らし

て、一見して何事かただならぬ面持ちであった。

「来たまえ、ワトスン君。来たまえ。ゲームは進行中だよ。何にも言わずに。洋服に着が

えて、さあさあ」

 十分後、私たちは辻馬車に乗って、チャリング・クロス駅の方へ、静かな街路をガタゴ

トいわせて進んだ。最初のおぼろに白い冬の夜明けが現われはじめ、乳白色のロンドンの

霧の中に、早出の労働者がにじんだように霞 かす んで見えた。

 ホームズは厚ぼったい外套の中にだまって首を縮めており、私も喜んでそれに見習っ

た。ひどく冷たいし、二人とも、まだ朝食はとっていなかったからだ。駅で熱い紅茶を飲

みほし、ケント行の汽車に乗りかえて初めてくつろいだ気持になって、彼は話し出し、私

は聞き手になれた。ホームズはポケットから一枚の手紙を取り出し、次のように読みあげ

た。

 ケント州マーシャム。アビ農場にて。午前三時半。

 親愛なるホームズ様……きわめて注目すべき事件になる見込みのものが起こりましたの

で、貴下のじきじきのご援助を頂ければ幸甚 こうじん に存じます。これは、あなたのご専門の方

面と存じます。夫人を釈放しましたほかは、現場はそのまま保存しておきますが、でも

サー・ユースタスまで留めることは至難のことゆえ、即刻お出で下さいますようお願いい

たします。

 敬具  スタンリー・ホプキンズ

「これでホプキンズには七回呼ばれたことになるが、いつでも頼むだけの理由があった。

たしかこれらの事件は君の蒐集に収まっていたと思うよ。それはそうとワトスン君、僕は

君の物語体には少なからず憤慨しているんだが、そいつを償 つぐな っているのは、君の選択眼

というやつだ。君のいちばんわるい癖は、万事を科学的鍛練 たんれん として見ずに、物語の立場

からすることだが、そいつが実地教示という、教訓的で古典的でさえあるものを駄目にし

ちゃっているんだ。君はセンセーショナルな枝葉 えだは のことに目をつけすぎて、含蓄 がんちく あ

る巧智とか微妙さとかいうものを軽く見過ごしている。これじゃ読者を刺激するだけで、

教訓にはならないね」

「じゃあ、なぜ自分で書かないんだ?」私はちょっとムッとして言った。

「やるよ、ワトスン君。やりますよ。でも知ってのとおり、今は忙しいんでね。余生は探

偵の全般的な技術を一冊にまとめることに捧げるつもりだよ。ところで今度の事件だが、

殺人事件らしい」

「サー・ユースタスが死んだというのだね?」

「そうだろうね。ホプキンズの手紙は相当の動揺を示している。あれは感情的な男じゃな

いんだよ。暴力沙汰があって、死体は僕たちの検査がすむまで、そのままにしてあると思

うんだ。ただの自殺だったら僕を呼ぶようなことはしないだろう。夫人を釈放したという

のは、凶行中一室に閉じ込められていたと思われる。裕福な生活をのぞきに行くわけさ。

ワトスン……このぱりぱりの紙といい、E・Bという頭文字や、紋章や、アビ農場という

宛名といいね。ホプキンズも名声に恥じぬ行動をする人だし、今朝は面白いことになると

思うね。凶行はゆうべの十二時間前だ」

「どうしてそう言える?」

「汽車の時刻表と時間を調べるとそうなるんだ。地方警察が呼ばれる、ロンドン警視庁が

動く、それからホプキンズが来て僕を呼んだ。こうしたことはみんなたっぷり一夜はかか

る仕事なんだ。さあ、ここはチズルハーストの駅だ。まもなく疑問は解決するよ」

 狭い田舎道を二マイルも行くと、広い庭の門についた。年をとった門番が開けてくれた

が、そのやつれた顔は何か大きな災難の影を留めているようであった。荘重 そうちょう な庭の中

に、並木路が走っており、両側には古い楡 にれ の樹があって正面にはパラディオ〔イタリア

の建築家〕ふうの石柱のある、低くて幅のひろい家があった。中心部は時代がかったもの

で、蔦 つた でおおわれていた。しかし大きな窓を見ると、近代的な改築がなされたことがわ

かり、ひとつの棟 むね はまったく新しく建てたようであった。スタンリー・ホプキンズ警部

は、元気そうな、注意深い顔で私たちを迎えた。

「ホームズさん。よく来て下さいました。それからワトスン先生も。でも時間の余裕さえ

ありましたら、あなたにお出でを願わなくてもよいような手はずを取ったのでしたが。と

申しますのは、夫人は正気づきまして、はっきり事件の説明をされました。それでもう、

私たちはなすべきものがないといった恰好なんです。あなたはルイシャムの強盗団をご記

憶でしょう」

「おや、ランドル三人組ですか」

「そうです。父親と二人の息子でしたね。これは奴らの仕業 しわざ なんですよ。疑問の余地は

ありません。二週間前にシドナムでひと仕事をやって、人相書を取られてますのに、まも

なくこんな近くでまたやるなんて、少々ずうずうしいと思うんですが、文句なくあいつら

の仕事です。しかし今度は絞首刑ですね」

「ではサー・ユースタスは殺されたんですね」

「そうです。頭を自分の家の火掻棒 ひかきぼう で割られたのです」

「馭者はサー・ユースタス・ブラックンストールだと言ってましたが」

「そうです。ケント州の指折りの金持です。ブラックンストール夫人は朝の居間にいま

す。可哀そうに夫人は恐ろしい経験をしたのです。最初お会いしましたときは、半分死ん

だように見えました。詳しいことは直接お会いになって、お聞きになったほうがよいと思

います。それからご一緒に食堂のほうを調べましょう」

 ブラックンストール夫人は平凡な女性ではなかった。こんなに優雅で、女らしい、美し

い夫人を見たことがない。白皙 はくせき 金髪碧眼 へきがん の人で、こうした恐ろしい経験で顔はやつ

れ、ひきつってはいるが、いつもはおそらく完全な美貌を持っている人であろう。彼女の

苦痛は精神的な面ばかりでなく肉体的にも痕 あと をとどめていた。片方の目の上が赤く腫 は れ

上がっており、背の高い飾り気のない女中が、せっせと酢入りの水で冷やしていた。夫人

は疲れた様子で寝椅子によりかかっていた。


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