世の中、いろいろな情報が多いけれど、その中で一番必要がないのが、梅雨から残暑の間にかけての「最高気温」ではないかと思う。気象庁が一生懸命に観測して、毎日、教えてくれるけれど、そのわりにはこれほど
みんな喜ばれないものはないからだ。
うんざりするほど暑い日、外を歩いていて、
「ああ、暑い」
といっている人を見ると、私はムカッとする。
「ただでさえ暑いんだから、それを再確認するようなことをいうな」
と近づいていって説教したくなる。暑いても、
「本当は、そんなに暑くないんだ」
と知らんぶりしていれば、何となく暑くないような気分になってくる。それがクーラーを使わずに生活している私の知恵なのである。
午後のいちばん暑い時間帯に、でかけなければならないとき、着替えながらニュースを見ていると、ごていねいに、
「これから都心では三十四度くらいまであがいそうです」
などアナウンサーが教えてくれる。しかしそういわれてもこちらはどうしょうもない。急にがっくりして、でかける気が失せてしまうだけだ。たとえば冬の場合は、寒くなるとわかければ、厚着をしたりできる。ところが夏の場合は、薄着にも限界があり、最高気温を教えてもらっても、精神的にダメージを受けるだけ。知った分だけ、よけいに汗がにじみでてくるといった具合なのである。
いったい最高気温を知って、気持ちがよくなる人っているのだろうか。たしかに近所の人と道で出くわして、何の会話のネタ浮かばない場合、付き合いをスムーズにするために、一役かうという利点はある。しかしその程度のものである。いちいち折れ線グラフで最高気温の変化など報告してくれなくてもいい。
「夏は暑い!」
明快にただそれだけで、いいのである。