返回首页
当前位置: 首页 »走进日本 » 日本文化大百科 » 正文

【文禄 慶長の役】

时间: 2017-10-24    进入日语论坛
核心提示:【文禄 慶長の役】(ぶんろくけいちょうのえき)1592年(文禄1)から98年(慶長3)にかけ、豊臣{とよとみ}秀吉が明{みん}(中国)
(单词翻译:双击或拖选)
【文禄 慶長の役】
(ぶんろくけいちょうのえき)
 
1592年(文禄1)から98年(慶長3)にかけ、豊臣{とよとみ}秀吉が明{みん}(中国)征服を目ざして朝鮮に兵を出した侵略戦争。この戦争の呼称について、朝鮮では当時の干支{かんし}をとって「壬辰{じんしん}?丁酉倭乱{ていゆうわらん}」とよび、明では宗属国朝鮮を守るという意味で「万暦{ばんれき}朝鮮の役」とよんでいる。これに対し日本では、その当時「唐入{からい}り」「高麗陣{こうらいじん}」などとよんだが、江戸時代に入り「征韓」とか「朝鮮征伐」とよぶようになった。近代に至って、朝鮮を植民地化の対象とみる考えが出てくると、「朝鮮征伐」という意識はいっそう高まった。また、日清{につしん}?日露戦争を「日清役」「日露役」とよぶ風潮に影響されてか、20世紀に入り、秀吉の引き起こしたこの戦争を、辺寨{へんさい}を征する「役」をつけ、「朝鮮役」「文禄?慶長の役」とよぶようになった。今日では「文禄?慶長の役」とともに「秀吉の朝鮮出兵」とよぶのが一般的であるが、事の本質からみて、「秀吉の朝鮮侵略」とよんだほうが正しい。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(1)
100%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论