(ぶんろくけいちょうのえき)
1592年(文禄1)から98年(慶長3)にかけ、豊臣{とよとみ}秀吉が明{みん}(中国)征服を目ざして朝鮮に兵を出した侵略戦争。この戦争の呼称について、朝鮮では当時の干支{かんし}をとって「壬辰{じんしん}?丁酉倭乱{ていゆうわらん}」とよび、明では宗属国朝鮮を守るという意味で「万暦{ばんれき}朝鮮の役」とよんでいる。これに対し日本では、その当時「唐入{からい}り」「高麗陣{こうらいじん}」などとよんだが、江戸時代に入り「征韓」とか「朝鮮征伐」とよぶようになった。近代に至って、朝鮮を植民地化の対象とみる考えが出てくると、「朝鮮征伐」という意識はいっそう高まった。また、日清{につしん}?日露戦争を「日清役」「日露役」とよぶ風潮に影響されてか、20世紀に入り、秀吉の引き起こしたこの戦争を、辺寨{へんさい}を征する「役」をつけ、「朝鮮役」「文禄?慶長の役」とよぶようになった。今日では「文禄?慶長の役」とともに「秀吉の朝鮮出兵」とよぶのが一般的であるが、事の本質からみて、「秀吉の朝鮮侵略」とよんだほうが正しい。