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成为翻译家的感受~林国本

时间: 2015-01-09    进入日语论坛
核心提示:在学校教课时,经常有同学问我今后要做翻译的话需要学习什麽,怎样学习等问题。在这个竞争非常激烈的社会,要出人头地是不很容
(单词翻译:双击或拖选)
      在学校教课时,经常有同学问我今后要做翻译的话需要学习什麽,怎样学习等问题。在这个竞争非常激烈的社会,要出人头地是不很容易的,大概需要有背后十年用功的精神和毅力。虽然禅宗提倡心悟,然而,在追求速效的社会,几乎没有人挖空心思去感悟,也没有人想去练那傻功夫,将煲好的汤端上来享用是最美好的,也是最实际的。对此,可能没人有异议。
 
      不过,我一般让学生做的是:其一,每天翻译三句话;其二,博览群书;其三,不要蜻蜓点水,要踏下心来学习,实践。这样说也许没有交给学生们窍门,回答得也可能没有让同学们满意。然而,不去练习怎么能知道自己的不足,不流汗水怎么能获得甜美的甘露呢。可喜的事,上个学期有部分同学坚持做下来了,当然翻译水平也渐渐地有了很大进步,我也不免为其雀跃。
 
      说实话,作为一个翻译容易,而作为一个出色的翻译就不是那么容易了(凡事皆如此)。因为拥有超凡的或登峰造极的本领是要多年的语言实践和各种专业知识(如文化,历史,政治,社会,文学,外贸,经济,环境,机械,化工,食品等)的积淀的。我觉得,要做一个翻译最主要的就是首先确定好自己的人生坐标,把外语学精学透,其次通过一两个专业的深入学习积累和丰富自己的文化底蕴。下面是北京周报社日语笔头翻译林国本老师谈做翻译的感受,请同学们有时间看看。
 
 
     知人に、「翻訳家になるにはどうすればよいか」という話を若者たちにしてもらえないかと請われ、一応いろいろな分野の仕事を趣味を兼ねて続けてきた人間の1人として、今の若者たちがどういうことを考えているのかを知る機会にもなるので「講義」という題を変えてもらって、「対話」ということにしてもらい、自分でこれまでこなしてきた仕事や、悩みながら乗り越えてきたことなどの話しをした。
 
 私見ではあるが、私はたえず発展をとげる中国のことなので、「これが翻訳家像だ」というものは存在しない、と思っている。つまり「翻訳家像」というものは、たえずマーケットのニーズによって変容していくものなのだ。
 
 私はさいわい、日本語を知っている人がかなり少ない時代に大きな機構に勤務していたので、自分で仕事を探す苦労はしたことがない。しかし、与えられた仕事のほとんどは、当時まだ誰もしたことのないものだったので、開拓者、パイオニアとしての苦労はあった。例えば、ある日、当時日本でも著名な歌人が中国の杜甫研究の大家の話を聞きたい、というので、私が適役ではないかと思われて、通訳を務めたが、私は杜甫の詩は学校のテキストで習っただけで、せいぜい、五首か六首しか知らなかったが、話しは杜甫の全生涯の作品について、ということだったので、「ドロなわ」どころの話ではなかった。この体験を通じて、私は自分の不勉強を痛感し、その後はその面での勉強を続けることになった。
 
 そして、日本の歌舞伎の劇団の字幕の仕事もまかされ、そこでまた小遣いをはたいて、歌舞伎の本を買い集め、それこそ一夜漬けの勉強を続けた。
 
 中国の改革、開放以後、民法典の編さんの作業が始まり、日本から法律の大家が中国を訪れ、明治維新以後、日本における民法典の編さん作業についての話をしてくれることになり、また、なぜか私が適役だろう、ということで同時通訳のお手伝いをした。赤恥をかかぬために私はそれほど安くはない、日本の有斐閣の法律辞典や法律書を買って、俳優の本読みのように一夜漬けの勉強をした。
 
 その後、日本における不良債権の処理とか言ったセミナーでも同時通訳としてお手伝いをしたことがあるが、こういう一見雑然たる体験を通じて私は一ジャーナリストとして、知識の蓄積に努めて来た。
 
 今から振り返ってみると、誰一人としてこれを勉強しなさい、とアドバイスしてくれるものがいなかったので、まさに暗中模索、行き当たりばったりで歩みつづけてきた。
 
 その点、今の若者たちは幸せである。インターネットというツールがあるので、大体のことは瞬時に検索できるので至極便利である。
 
 そうこうしているいるうちに、上司から日本語で記事を書いてみることになったので、その「実験の第一号」としてお前を選ぶことにしたよ、と言われた。自分の知っているかぎり、日本語で記事を書いている人は皆無に近い、と考え、まあ、とにかく努力してみましょうということになり、右往左往しながら今日まで来たわけである。
 
 私たちの世代に比べると、今の若者たちはハッピーだと思う。すべての好条件がととのっているだから???。しかし、ひとつだけ私は幸せだったと思っていることがある。つまり、自分でシステムを構築していく苦労を味わえたことだ。おかげで自分に適したシステムを構築していくノウハウを少しは身につけたと自負している。
 
 最近、中国東北部の大学で日本語の教学に携わっている友人からの便りで、日本語科の卒業生の就職率は百パーセントだと言うことを知り、大いに喜んでいるが、こうした卒業生たちも、大学では日本文学、日本語文法の勉強をした人たちであろうが、この人たちも日本企業などに就職することで、大変身を余儀なくされることになるのではないだろうか。つまり、企業に勤めることは日本文学の翻訳家、研究者になることではないのだ。マーケット?リサーチや営業の仕事でみっちり鍛えられることになろう。先般、日本の企業に就職したはいいが、どうも自分は勘違いをしていた。もう一度大学院に入り直して言語学者としての道を歩もうと思うが、という相談をもちかけてきた人がいた。私は学者としての道を歩みたいのなら、そうする以外にないだろう、と励ましてあげた。
 
 要するに、外国語に精通することは、必ずしも翻訳家になることとはイコールではないのだ。
 
 五万数千人もいるといわれる中国の日本語学徒が実社会でもまれながら、自分が、「これだ!」という 道を探し当てることを願っている。
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