(なんということを!)トットは、この瞬間《しゆんかん》、部屋の天井《てんじよう》が自分の頭の上に落ちて来て、自分をペタンコにしてくれればいいのに、と強く願った。でも、天井は落ちて来なかった。少なくとも、これから入れてもらおう、としているNHKのことを、
「父に相談したら、そんな、みっともないこと[#「みっともないこと」に傍点]、しちゃいけない、っていうに決まってますから、だまって受けました」なんて……。
(なんで、いっちゃったのかなあ)
短かく息苦しい時間のあとに、トットは、必死で、こういった。
「でも、父は、そういうかも知れませんけど、私は、入れて頂きたい、と思っています」
試験官が、自分にもだけど、パパに悪い感情を持つに違《ちが》いないということが、恐《おそ》ろしかった。でも有難《ありがた》いことに、試験官は、敵意を持ったようには、見えなかった。
眼鏡をかけた中心の男の人が、眼鏡をはずすと、また聞いた。
「お父さんは、俳優になるのに反対なのかい」
トットは、今度こそ、上手に答えなくては、と、心を静めて、いおうとした。
「反対かどうかは、相談してませんから、わかりませんけど……」
「じゃ、どういうんだい?」と、また、その人が、たたみかけるように聞いた。トットは入れて頂くような、うまいことを答えなくちゃ、と思いながらも、こうなると、本当のことしか、口からは出て来ないのだった。次の瞬間、トットは、とても早口に、こういってしまった。
「こういう世界は、いろんな、だます人がいるからって……」
なんとなく、部屋の中がシーンとしたようだった。それから試験官のみんなは、第一次の試験のときのように、のけぞって笑った。東北弁の男の人が、いった。
「はい。これで、いいですよ。終りました。ありがとう」
トットは、力がぬけたように立ち上った。さっきまでの、生き生きとした、闘争《とうそう》的な、スリル満点! という気持は、すっかり消えていた。(もう、ダメ。全部、終った!)という悲しい気持だった。でも、ここまでだって、残るなんて、思ってもいなかったんだもの。考えれば奇蹟《きせき》に近かった。
トットは立ち上ると、心からの感謝をこめて、おじぎをしてから、いった。
「有難うございました。失礼なこと申し上げちゃって、本当に、御免《ごめん》なさい。ここまで残して下さって、とっても嬉《うれ》しかったです」
本当に、これまで、つきあってくれた大人の人達《ひとたち》に、申しわけない、という気持で一杯《いつぱい》だった。トットは静かに部屋を出た。
芸能の世界や、音楽の世界に、自分の娘《むすめ》を入れたくない、という強い気持がパパにあったことを、トットは、わかり過ぎるほどわかっていた。パパは絶対に、といっていいくらい、人の噂《うわさ》をしない人だけど、あるとき、自分が息子《むすこ》のように可愛《かわい》がってもらった山田耕筰《やまだこうさく》先生の家に、トットが一人でお使いに行くとき、こういった。
「誘惑《ゆうわく》されないように、気をつけてね」
当時、トットは、まだ十八|歳《さい》くらいで、山田耕筰先生は、もう、六十五歳になっていた。それでも、パパは、心配した。そして、たしかに、山田耕筰先生は、
「そこに立ってごらん」といって、窓ぎわの、光の射《さ》すところに、トットを立たせ、自分は、少し後に下《さ》がって、離《はな》れたところから、じーっと、トットの全体を見て、聞いた。
「いくつになったの?」
トットが、「十八」と答えると、
「いいねえ」といった。そして、もう一度、
「いいねえ、若くて」と、いった。暗い空間を背景に、先生の特徴《とくちよう》のある頭に、斜《なな》めの光線が当っていた。
トットは、なんとなく、この日のことを家に帰って、パパには報告しなかった。
そういうことから、トットは、NHKだって、パパが心配するに違いない、と思っていたのだった。
そんなわけで、あのとき、「みっともないこと」っていわなかったにしても、やっぱり、似たようなことを言ってしまったに違いないもの、(仕方ないわ)と、トットは、後悔《こうかい》から、あきらめに変った気持で新橋の駅まで歩いていった。家に帰ると、トットは、ママに、ひとこと報告した。
「ダメだったみたい」ママは、「そう」といっただけだった。NHKの廊下《ろうか》で待っていたときから、数時間しか経《た》っていないのに、もう、はるか昔《むかし》のことのように思えた。廊下の折りたたみ式のイスに並《なら》んですわっていた、仲間のように感じた人達も、遠い人になった。