胃がひっくり返った。
フードを被かぶった聳そびえ立つような影が、地上に少し浮かび、スルスルとハリーに向かってくる。足も顔もローブに隠れた姿が、夜を吸い込みながら近づいてくる。
よろけながら後あと退ずさりし、ハリーは杖を上げた。
「守しゅ護ご霊れいよ来たれ エクスペクト・パトローナム」
銀色の気体が杖先から飛び出し、吸魂鬼ディメンターの動きが鈍にぶった。しかし、呪文はきちんとかからなかった。ハリーは覆おおいかぶさってくる吸魂鬼から逃のがれ、もつれる足でさらに後退りした。恐きょう怖ふで頭がぼんやりしている――集中しろ――。
ヌルッとした瘡かさ蓋ぶただらけの灰色の手が二本、吸魂鬼のローブの中から滑すべり出て、ハリーのほうに伸びてきた。ハリーはガンガン耳鳴りがした。
「エクスペクト・パトローナム」
自分の声がぼんやりと遠くに聞こえた。最初のより弱々しい銀色の煙が杖から漂ただよった――もうこれ以上できない。呪じゅ文もんが効きかない。
ハリーの頭の中で高笑いが聞こえた。鋭するどい、甲かん高だかい笑い声だ……吸きゅう魂こん鬼きの腐くさった、死人のように冷たい息がハリーの肺を満たし、溺おぼれさせた。――考えろ……何か幸せなことを……。
しかし、幸せなことは何もない……吸魂鬼の氷のような指が、ハリーの喉のど元もとに迫せまった――甲高い笑い声はますます大きくなる。頭の中で声が聞こえた。
「死にお辞じ儀ぎするのだ、ハリー……痛みもないかもしれぬ……俺おれ様さまにはわかるはずもないが……死んだことがないからな……」
もう二度とロンやハーマイオニーに会えない――。
息をつこうともがくハリーの心に、二人の顔がくっきりと浮かび上がった。
「エクスペクト・パトローナム」
ハリーの杖つえ先さきから巨大な銀色の牡鹿おじかが噴ふん出しゅつした。その角つのが、吸魂鬼の心臓にあたるはずの場所をとらえた。吸魂鬼は、重さのない暗くら闇やみのように後ろに投げ飛ばされた。牡鹿が突進すると、敗北した吸魂鬼はコウモリのようにすーっと飛び去った。