あたりを見回すと、肖像画のキャンバスにフィニアス・ナイジェラスがいた。額縁がくぶちに寄り掛かり、愉快ゆかいそうにハリーを見つめていた。
「逃げるんじゃない。違う」ハリーはトランクをもう数十センチ引っ張りながら、短く答えた。
「私の考え違いかね」フィニアス・ナイジェラスは尖とがった顎あごひげを撫なでながら言った。「グリフィンドール寮りょうに属ぞくするということは、君は勇敢ゆうかんなはずだが どうやら、私の見るところ、君は私の寮のほうが合っていたようだ。我らスリザリン生は、勇敢だ。然しかり。だが、愚おろかではない。たとえば、選択せんたくの余よ地ちがあれば、我らは常に、自分自身を救うほうを選ぶ」
「僕は自分を救うんじゃない」
ドアのすぐ手前で、虫食いだらけのカーペットがことさら凸凹でこぼこしている場所を越えるのに、トランクをぐいと引ひっ張ぱりながら、ハリーは素そっ気けなく答えた。
「ほう、そうかね」フィニアス・ナイジェラスが相変わらず顎あごひげを撫なでながら言った。「尻尾しっぽを巻いて逃げるわけではない――気高い自じ己こ犠牲ぎせいというわけだ」
ハリーは聞き流して、ドアの取っ手に手をかけた。するとフィニアス・ナイジェラスが面めん倒どう臭くさそうに言った。
「アルバス・ダンブルドアからの伝言があるんだがね」
ハリーはくるりと振り向いた。
「どんな」
「動くでない」
「動いちゃいないよ」ハリーは、手をドアの取っ手にかけたまま言った。「それで、どんな伝言ですか」
「いま、伝えた。愚か者」フィニアス・ナイジェラスがさらりと言った。「ダンブルドアは『動くでない』と言っておる」
「どうして」ハリーは、聞きたさのあまりトランクを取り落とした。「どうしてダンブルドアは僕にここにいてほしいわけ ほかには何か言わなかったの」
「いっさい何も」
フィニアス・ナイジェラスは、ハリーを無礼なやつだと言いたげに、黒く細い眉まゆを吊り上げた。