巨大な黒いドラゴンが、ハリーの前で後あと脚あし立だちしている……。「みぞの鏡かがみ」の中から、父親と母親がハリーに手を振っている……。セドリック・ディゴリーが地面に横たわり、虚うつろに見開いた目でハリーを見つめている……。
「いやだあああああああ」
またしてもハリーは、両手で顔を覆おおい、両りょう膝ひざをついていた。誰かが脳みそを頭ず蓋がい骨こつから引っ張り出そうとしたかのような頭痛がした。
「立て」スネイプの鋭するどい声がした。「立つんだ やる気がないな。努力していない。自分の恐きょう怖ふの記憶きおくに、我輩の侵しん入にゅうを許している。我輩に武器を差し出している」
ハリーは再び立ち上がった。たったいま、墓場でセドリックの死体を本当に見たかのように、ハリーの心臓は激はげしく鳴っていた。スネイプはいつもより蒼あおざめ、いっそう怒っているように見えたが、ハリーの怒りには及ばない。
「僕――努力――している」ハリーは歯を食いしばった。
「感情を無にしろと言ったはずだ」
「そうですか それなら、いま、僕にはそれが難しいみたいです」ハリーは唸うなるように言った。
「なれば、やすやすと闇やみの帝てい王おうの餌食えじきになることだろう」スネイプは容赦ようしゃなく言い放はなった。「鼻先に誇ほこらしげに心をひけらかすバカ者ども。感情を制御せいぎょできず、悲しい思い出に浸ひたり、やすやすと挑ちょう発はつされる者ども――言うなれば弱虫どもよ――帝王の力の前に、そいつらは何もできぬ ポッター、帝王は、やすやすとおまえの心に侵入するぞ」
「僕は弱虫じゃない」ハリーは低い声で言った。怒りがドクドクと脈みゃく打うち、自分はいまにもスネイプを襲おそいかねないと思った。
「なれば証しょう明めいしてみろ 己おのれを支配するのだ」スネイプが吐はき出すように言った。「怒りを制せいするのだ。心を克よくせ もう一度やるぞ 構かまえろ、いくぞ『レジリメンス』」
ハリーはバーノンおじさんを見ていた。郵便ゆうびん受けを釘くぎづけにしている……百有余ゆうよの吸きゅう魂こん鬼きが、校庭の湖をスルスルと渡って、ハリーのほうにやって来る……ハリーはウィーズリーおじさんと窓のない廊下ろうかを走っていた……廊下の突つき当たりにある真っ黒な扉とびらに、二人はだんだん近づいて行く……ハリーはそこを通るのだと思った……しかし、ウィーズリーおじさんはハリーを左のほうへと導みちびき、石段を下りて行く……。
「わかった わかったぞ」
ハリーはまたしても、スネイプの研究室の床に四つん這ばいになっていた。傷きず痕あとにちくちくといやな痛みを感じていた。しかし、口を衝ついて出た声は、勝ち誇ほこっていた。再び身を起こしてスネイプを見ると、杖つえを上げたままハリーをじっと見つめていた。こんどは、どうやらスネイプのほうが、ハリーがまだ抗あらがいもしないうちに術を解といたらしい。
「ポッター、何があったのだ」スネイプは意味ありげな目つきでハリーを見た。
「わかった――思い出したんだ」ハリーが喘あえぎ喘ぎ言った。「いま気づいた……」
「何を」スネイプが鋭するどく詰問きつもんした。
ハリーはすぐには答えなかった。額ひたいをさすりながら、ついにわかったという目眩めくるめくような瞬しゅん間かんを味わっていた。
この何ヵ月間、ハリーは突き当たりに鍵かぎの掛かかった扉がある、窓のない廊下の夢を見てきたが、それが現実の場所だとは一度も気づかなかった。記憶きおくをもう一度見せられたいま、ハリーは、夢に見続けたあの廊下が、どこだったのかがわかった。八月十二日、魔法省の裁さい判ばん所しょに急ぐのに、おじさんと一いっ緒しょに走ったあの廊下だ。「神しん秘ぴ部ぶ」に通じる廊下だった。ウィーズリーおじさんは、ヴォルデモートの蛇へびに襲おそわれた夜、あそこにいたのだ。
ハリーはスネイプを見上げた。