その日の午後の授業で、「闇やみの魔ま術じゅつに対する防ぼう衛えい術じゅつ」の教室に荒々しく入ってきたアンブリッジ先生は、短たん距きょ離りレースを走った直後のように、まだ息を弾はずませていた。
「ハリー、計画を考え直してくれないかしら」教科書の第三十四章「報復ほうふくではなく交こう渉しょうを」のページを開いたとたん、ハーマイオニーが囁ささやいた。「アンブリッジったら、もう相当険悪けんあくムードよ……」
時折ときおり、アンブリッジが恐い目でハリーを睨にらみつけた。ハリーは俯うつむいたまま、虚うつろな目で「防衛術の理論りろん」の教科書を見つめ、じっと考えていた……。
マクゴナガル先生がハリーの後うしろ盾だてになってくれてから数時間も経たたないうちに、ハリーがアンブリッジの部屋に侵しん入にゅうして捕つかまったりしたら、先生がどんな反応はんのうを見せるか、ハリーには想像できる……このままおとなしくグリフィンドール塔とうに戻り、次の夏休みまで、「憂うれいの篩ふるい」で目もく撃げきした光景こうけいについてシリウスに尋たずねる機会きかいを待つ。これでいいではないか……これでいいはずだ。しかし、そんな良りょう識しき的てきな行動を取ると思うと、まるで胃袋に鉛なまりの錘おもりが落とされたような気分になる……それに、フレッドとジョージのことがある。陽よう動どう作さく戦せんはもう動き出している。その上、シリウスからもらったナイフは、父親からの「透とう明めいマント」と一いっ緒しょに、いまカバンに収おさまっている。
しかし、もし捕まったらという懸念けねんは残る……。
「ダンブルドアは、あなたが学校に残れるように、犠牲ぎせいになったのよ、ハリー」アンブリッジに見えないよう、教科書を顔のところまで持ち上げて、ハーマイオニーが囁いた。「もし今日放ほうり出されたら、それも水みずの泡あわじゃない」
計画を放棄ほうきして、二十年以上前のある夏の日に父親がしたことの記憶きおくを抱えたまま生きることもできるだろう……。
しかしそのとき、ハリーは上の階のグリフィンドールの談だん話わ室しつの暖炉だんろで、シリウスが言ったことを思い出した。
「君はわたしが考えていたほど父親似ではないな……ジェームズなら危険なことをおもしろがっただろう……」
だが、僕はいまでも父さんに似ていたいと思っているだろうか
「ハリー、やらないで。お願いだから」
終業のベルが鳴ったときのハーマイオニーの声は、苦悶くもんに満ちていた。
ハリーは答えなかった。どうしていいかわからなかった。
ロンは何も意見を言わず、助言じょげんもしないと決めているかのようだった。ハリーのほうを見ようとしなかった。しかし、ハーマイオニーがもう一度ハリーを止めようと口を開くと、低い声で言った。「いいから、もうやめろよ。ハリーが自分で決めることだ」