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第二十九章 悪魔の記録(2)

时间: 2023-12-11    进入日语论坛
核心提示: それでもなおかつ、私がしつこく追究すると、辰五郎は怒ってものを投げつけた。その権幕があまり恐ろしかったので、私はかれか
(单词翻译:双击或拖选)

 それでもなおかつ、私がしつこく追究すると、辰五郎は怒ってものを投げつけた。その

権幕があまり恐ろしかったので、私はかれから自分の素性を聞き出すことを、断念しなけ

ればならなかった。

 むろん、辰五郎と私のあいだには、親子としての愛情などみじんもなかった。と、いっ

て、かくべつ仲が悪いというのでもなく、しじゅういがみあっていたというわけでもな

かったけれど。

 高等小学校を出るとすぐ、私は辰五郎の家を出て、神戸の商家に奉公にいった。これは

辰五郎の希望であると同時に、私の希望でもあった。つぎからつぎへと妾をかえる、ばく

ち打ちの養父のもとに、私はいたくなかったのだ。辰五郎としても、私が成人するにつれ

て、煙たくなってきたのだろう。

 私は神戸の奉公さきから夜学に通って勉強した。そして、十九のとしにそこを出て、海

岸通りの商事会社へ勤務することになった。それはドイツ系の商事会社で、私はそこで、

タイプライターをおぼえたのである。

 そのころ私のいちばんの楽しみというのは、おこま母娘の住居を訪問することだった。

当時おこまは湊みなと川がわ新開地にちかい裏長屋で、娘の小さ夜よ子ことふたりきりで

住んでいた。おこまの亭主の源助というのを私がよく憶えていないところを見ると、それ

よりよほどまえに死亡していたと見える。おこまはいつも家で賃仕事のようなことをして

おり、娘の小夜子は新開地の映画館で、女給のようなことをしていた。

 おこまと私は戸籍上では姉弟ということになっている。しかし、事実はそうではなくふ

たりのあいだに、なんの血のつながりもないことは、おこまも小夜子もよく知っていた。

しかし、そのころにはおこまはまだ、私のほんとうの素性は知らなかったのである。

 おこまがそれを知ったのは、つぎのようなきっかけからであった。

 まえにもいったとおり、おこま母娘を訪問することは、当時の私の唯ゆい一いつの楽し

みだった。幼いときから家庭の温か味というものを知らぬ私は、おこまの家ではじめて、

それに似たものを味わうことが出来たのだ。おこまも小夜子も私の境涯をふびんがって、

私が訪ねていくと、いつも温かくもてなしてくれた。

 それは私が二十の年の、しかも真夏のことだった。私の勤めている商事会社に祝いごと

があって酒が出た。当時はまだ酒を飲まぬ私だったが、みんなに寄ってたかって、強い洋

酒を飲まされて、すっかり酔っ払ったあげく私はおこまの家を訪れた。

 真夏の暑さのうえに酒の酔いも手つだって、私はすっかり汗になっていた。それを見て

おこまと小夜子が、縁先にたらいを持ち出して、行水を立ててくれた。私はよろこんで行

水を使ったが、そのときである。小夜子が頓とん狂きような声をあげてさけんだの

……。

「あら、治雄さんの背中には妙な痣あざがあるのね!」

 この痣のことについては私もまえから知っていた。その痣はふだん皮膚の裏面に沈潜し

ていて、ほとんどわからないのだけれど、入浴したり、ひどく汗をかいたりすると、鮮か

に肌の表面にうきあがってくるのである。

 しかし、それから間もなく行水を終わって、座敷へかえってきたときの、おこまのあの

顔色の悪さが、私の痣に関係があろうなどと、どうしてそのとき知ることが出来よう。

 しかし、おこまは知っていたのだ。じぶんを犯して、小夜子という娘をうませた男の背

中に、私とそっくり同じ痣があったことを。そして、そのことからして、私の素性に疑い

を持ちはじめたおこまは、ある日、板宿に辰五郎を訪れ、さんざん父を詰問した結果、は

じめて私の出生を知ったのだった。

 当然、おこまは私を避けはじめた。ことに私と小夜子の感情が、しだいに熱していくの

に気がつくと、いよいよ私をおそれ、つめたくなり、うとんじはじめた。

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