返回首页

第二十九章 悪魔の記録(3)

时间: 2023-12-11    进入日语论坛
核心提示: そのことについて私はおこまを誤解し、おこまに対してはげしい怒りをおぼえたのだ。 おこまは私がどこの馬の骨とも牛の骨とも
(单词翻译:双击或拖选)

 そのことについて私はおこまを誤解し、おこまに対してはげしい怒りをおぼえたのだ。

 おこまは私がどこの馬の骨とも牛の骨ともわからぬ人間だから、小夜子の婿として不服

なのだ。しかし、そういう小夜子だって、誰の子だかわからぬというではないか……。

 事実、私はそういう言葉を使っておこまを面めん罵ばしたことがある。ああ、あのとき

おこまが、真相のほんのはしくれでも打ち明けてくれたら!

 しかし、やがて、おこまがいかに小夜子と私を遠ざけようとしても、どうにもならぬ場

合がやってきた。小夜子は川崎造船所へ徴用女工としてとられ、しかも、おこまは強制疎

開で、家をたたんで、ひとり立ち去らなければならなくなったのだ。

 それが、昭和十九年の春のことで、それ以来、私は以前よりかえって自由に、小夜子に

あうことが出来、そして、ついに夫婦の交わりを結ぶにいたったのであった。

 私は誓う。断言する、私がどんなに小夜子を愛していたかを。そしてまた、小夜子もど

んなに私を愛していたことか。

 小夜子も私も同じような境遇だったのだ。彼女も自分の父を知らなかった。そのことが

彼女の美しさに、奥ゆきのある陰影をそえ、どんなにはしゃいでいるときでも、いつも、

どこか憂わしげな影をやどしていた。それがこのうえもなく私の心をとらえ、同じような

ことが彼女にもいえるのだった。

 私たちが最後の一線をふみこえたのも、遠からず兵隊にとられるであろう自分というも

のの印象を、小夜子の肉体のうえに、強烈に植えつけておきたかったのだし、小夜子もま

たそれを望んだのであった。

 果たして間もなく、私は兵隊にとられていくことになったが、そのとき私たちは、もし

私が生きてかえってきたらきっと結婚しようと誓いあったのだ。

 戦争のことについてはいうまい。それは私の告白となんの関係もないことだから。

 昭和二十一年五月。私は無事に復員してきた。私がなによりもさきに知りたかったの

は、いうまでもなく小夜子の安否だった。

 私は八方手をつくして彼女のゆくえを求めたあげく、とうとう養父辰五郎のさいごの妾

めかけであったおたまの居所をつきとめ、そこで小夜子の消息をはじめて知ったが、あ

あ、そのときの私の驚き、悲しみ……そして、その驚きと悲しみは、やがて変じて、いう

ばかりもない絶望と怒りとなった。

 小夜子は私が出征すると間もなく自殺しているのだ。しかも、そのとき彼女は妊娠して

いたとすれば、それはいうまでもなく私の子供である。私の子供を宿しながら、小夜子は

なぜ自殺しなければならなかったのか。

 おたまもその理由は知らなかった。おこまに聞けばわかるだろうと、尼になって淡路に

いる、おこまの居所を教えてくれた。私はむろん、おこまを訪ねて淡路へ渡った。

 突然訪れた私の姿を見たときの、おこまの驚きと怖おそれは、非常なものだった。そし

て、そのことが一層私を憤激させたのだ。

 おこまは私の権幕のすさまじさに、すべての秘密を打ちあけずにはいられなかった。

 あの、ほの暗い淡路の田舎いなかの庵あん室しつで、尼姿のおこまの口から、世にも忌

いまわしい秘密を打ち明けられたせつな、私は人間を失格した。悪魔に魂を売りわたした

のである。

 おこまの告白を、ここに簡単に書きしるしておこう。

 大正十二年の夏、おこまは月見山にある玉虫伯はく爵しやくの別荘へ、臨時の小間使い

として雇われていった。その別荘には伯爵の甥おいと姪めいにあたる新宮利彦とその妹

き子この兄妹がきていた。

 ある日、おこまは利彦と 子の、世にあるべくもない場面をかいま見たのである。しか

も、その同じ夜、おこまは利彦に犯された。利彦のつもりではそれによって、おこまの口

を封じようとしたものらしい。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
[查看全部]  相关评论