返回首页

第二十九章 悪魔の記録(6)

时间: 2023-12-11    进入日语论坛
核心提示: さて、それ以来の子爵の懊おう悩のうは、はたの見る眼も気の毒なくらいであった。 潔癖な子爵はそういう妻や義兄と、同じ屋根
(单词翻译:双击或拖选)

 さて、それ以来の子爵の懊おう悩のうは、はたの見る眼も気の毒なくらいであった。

 潔癖な子爵はそういう妻や義兄と、同じ屋根の下に住むさえ、虫むし酸ずの走るような

嫌悪感をおぼえるらしかった。しかもふたりの罪の児が眼前で、えへらえへら笑っている

のだ。小心で気の弱い子爵が、しだいに、生きているのに耐えられぬ想いを抱きはじめた

のも無理はなかろう。

 子爵があの「悪魔が来りて笛を吹く」の作曲を思い立ったのは、たぶんそのころのこと

だと思う。この作曲を思い立ったということからして、そのときすでに子爵が死を決意し

ていたことがうかがわれる。何な故ぜならば、この曲のなかで子爵は、悪魔とはなにびと

であるかということを、明めい瞭りように示しているのだから。

 さて、今年の一月十四日から十七日へかけて、椿子爵は運命的な旅行をした。私にはむ

ろん、子爵の行き先はよくわかっていた。何故といってそのまえに、妙海尼となってい

る、おこまの住所を、あらためて子爵に訊きかれたのだから、子爵は煩はん悶もん懊悩の

あげく、一応私の話をたしかめておこうと決意したのだろう。

 皮肉にもこの子爵の留守中に天銀堂の事件が起こった。

 私もはじめはこの事件が、飯尾豊三郎のしわざだなどとは夢にも思わなかった。しか

し、一次、二次とモンタージュ写真が修正されていくにつれて、この事件の犯人を、飯尾

豊三郎だとかたく信じた。

 果たして二月のなかごろになって、飯尾がひっぱられたという記事を新聞で読んだ。と

ころが、そのときになって私はふと、残忍な悪戯いたずらを起こしたのだ。

 即ち、椿子爵を天銀堂事件の犯人として密告したのである。

 私が何故そんなことをしたのか自分でもわからない。それは必ずしも飯尾豊三郎を救う

ためではなかった。飯尾とはその後接触をたっていて、げんざいの居所さえ報しらせてな

かったくらいだから。

 それにもかかわらず、私がそんなお節介をしたというのは、私の体内に、父、新宮利彦

からうけついだ、卑劣で残忍な血が流れているからであろうとしか思えない。

 私はこの家へ来てから、新宮利彦という人物を、つぶさに観察することを怠らなかった

が、かれの持っているいろいろさまざまな悪い性質のなかでも、特に顕著なのは卑劣な残

忍さということである。

 新宮利彦のもっとも好むところは、弱いものいじめであった。かれはことのほか犬をお

それた。犬がいると数十メートル手前から道を避けた。しかし、ひとたびその犬が鎖につ

ながれていると、それをいじめずにはいられないのである。

 私はいちど新宮利彦が、鎖につながれた犬を、なぶりものにしているところを目撃した

ことがあるが、それはなんともいいようのないほど残忍で執しつ拗ようなものだった。そ

れほど犬好きでない人物でも、そのときの利彦と犬の様子を見れば、鎖が切れて、犬がひ

と思いに利彦を咬かみ殺してしまえばいいと思わずにはいられなかったろう。

 当時の椿子爵は私にとって、家名という鎖につながれた犬も同様だった。私がどんなこ

とをしても、咬みつくことは出来ないのだ。子爵はむろん密告者が私であることを知って

いたろう。しかし、子爵は口に出してそれをいうことは出来なかった。私は子爵にとっ

て、オールマイティーの切り札を持っていたのだ。

 さて、子爵はさんざん窮地に立ったあげく、やっとアリバイを申し立てて釈放された。

だが、それと同時に、いや、それ以前に飯尾豊三郎も釈放されていたのだ。

 私は子爵の失しつ踪そう後間もなく、ひそかに、飯尾豊三郎を訪れたのだった。

 飯尾豊三郎は当時、新橋付近の焼け跡にある、バタヤ部落の掘立小屋の聚しゆう落らく

のなかにただひとりで住んでいた。

 そういうところに住んでいながら、かれはいつも身だしなみよく、上品に取りすまして

いるうえに、わりに金回りがよく、また金放れも悪くないので、部落の連中から先生と呼

ばれて、一目おかれていた。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
[查看全部]  相关评论