小林少年の冒険
さて、こちらは小林少年です。
怪屋からあまり遠くないところに、明智探偵のよく知っている自動車屋がありました。小林君はそのうちをたたき起こして、明智探偵からだと言って、しっかりした運転手の乗りこんだ、一台の自動車をだしてもらいました。
小林君は、その自動車屋で、よごれたレーンコートと鳥打ち帽を借り、ガレージのゆかのほこりを手につけて、自分の顔をなでまわし、うすぎたないチンピラ助手に化けて、運転手のとなりに、腰かけました。そして、その車を、二十面相が逃げだせば、かならず通る大通りまで走らせ、そのへんを徐行したり、とまったりして、待機していたのです。
小林君は運転席から、月夜の大通りを見まわしながら、胸をドキドキさせていました。二十面相ははたして、逃げだしてくるのでしょうか。くるとしても、いったい、どんな姿で、やってくるのでしょう。まさか魔法博士のままで、逃げだすとは考えられません。明智先生に化けているかもしれません。それとも、もっとちがった、なにかへんてこなものに化けるかもしれない。なにしろ、あいては二十の顔を持つという、変装の名人ですから、ゆだんもすきもあったものではありません。
三十分もそうしていると、とつぜん、町角から、ヒョイと飛びだした人影があります。小林君はハッとして目をこらしました。明智先生です。いや、先生に化けた二十面相にちがいありません。
そいつは、ちょっと立ちどまって、右左を見まわしていましたが、小林君の自動車が、あき車であることをたしかめると、いきなり、こちらへ走って来ました。
もし、こいつがほんとうの二十面相なら、あとから三人の少年探偵団員が尾行しているはずです。そういうもうしあわせだったのです。それで、小林君は、明智先生とそっくりのやつが、飛びだしてきた町角を、じっと見つめていました。
すると、その町角の、月かげになった軒下をつたって、チョロチョロと、リスのようにかけだしてくる、小さな人間の影が、かすかに見えました。三人です。たしかに明智先生に化けたやつを尾行しているのです。
小林君はそれを見て、いよいよこいつは、二十面相にちがいないと思いました。それで、となりの運転手にあいずをして、グッと心をおちつけるようにして、待ちかまえていました。
明智先生とそっくりのやつは、自動車のそばまでやってくると、「東京まで行けるか。」と声をかけました。声まで明智先生ににているのです。運転手が、行ってもいいと答えますと、その男は、いきなりドアをひらいて、客席に飛びこみました。そして、「全速力でやってくれ。」とどなりました。
小林君は、自転車がすべりだした時、左手の窓ガラスを、指のつめで、コツコツ、コツコツコツ、コツとたたきました。これは明智先生と約束してある暗号通信でした。もし、あいてが明智先生だったら、この暗号にたいして、コツ、コツコツと返事をしてくれるはずです。それをしないやつは、いくらそっくりの姿をしていても、明智先生ではないのです。この男は、小林君の通信をたしかに聞いたのに、なにも返事をしません。これで、二十面相にちがいないことが、ハッキリわかりました。
「金はいくらでもだす。飛ばしてくれ。うんと飛ばしてくれ。」
男はあせっています。小林君が運転助手に化けて、すぐ目の前にいることなど、すこしも気づいていないのです。
車は広い京浜国道に出て、おそろしい速度で走っています。東のほうの空が、ポーッと明かるくなってきました。もう朝なのです。両側の工場や人家が、あとへあとへと、飛びさって行きます。国道には車も人も、じゃまになるものは、何もありません。
怪人をのせた自動車は、無人の境を、黒い風のように飛んで行くのです。
ふと気がつくと、うしろから強い光がさしていました。べつの自動車のヘッド・ライトです。小林君は窓から首をだして、うしろを見ました。客席の怪人も、うしろの窓をのぞいています。五十メートルほどあとに、二つのヘッド・ライトが、怪物の目のように、ランランと光っていました。その光がまぶしくて、車内の人などはすこしも見えません。
こちらの車も全速力を出しているのですが、うしろの車は、もっと早いのです。まるできちがいのような速度です。
明智探偵に化けた怪人は、不安らしくキョロキョロしていましたが、いきなり運転台にのしかかるようにして、
「オイ、あいつにぬかれるな。もっと速力をだせ。あいつをひきはなしたら、五千円のほうびだ。」
とどなりました。
しかし、いくらどなられても、自動車の性能がおとっているのだから、しかたがありません。またたくひまに、その自動車は、すぐうしろに近づき、まぶしいヘッド・ライトで、こちらの車内を、いっぱいにてらしつけながら、アッと思うまに、追いこしてしまいました。
こんどは、こちらのヘッド・ライトが、向こうをてらすことになりましたが、どうしたわけか、うしろの自動車番号の鉄板に、なにか布のようなものが、まきつけてあって、番号を読むことができません。むろん、車内灯はついていませんし、そのうえ、客席にいる人は、グッとうつむいているので、その服装さえわかりません。
追いこした車は、ますますスピードをかけて、みるみる遠ざかって行き、いつのまにか影も見えなくなってしまいました。そのまま国道を走って行ったのか、わき道へそれたのか、それさえわからないのです。
これで、その車が二十面相を、追っかけてきたのではないことが、ハッキリしました。もし、追っかけてきたのなら、逃げるように先へ行ってしまうはずがないからです。怪人はやっと安心したように、ゆったりと、クッションにもたれかかりました。
いったい、あの自動車には、何者が乗っていたのでしょう。ひょっとしたら、ほんとうの明智探偵が、乗っていたのではないでしょうか。しかし、もしそうだとしたら、なぜ怪人をとらえないで、先へ走って行ってしまったのでしょう。
それはともかく、やがて、だんだん空が明かるくなり、早起きの店などは、もう戸をひらきはじめました。そして怪人の自動車は、品川駅を通りすぎ、いよいよ東京の町にはいって行きました。