おれは
出た事は出たが、どこへ行くというあてもない。車屋が、どちらへ参りますと云うから、だまって
その夜から萩野の家の下宿人となった。
世間がこんなものなら、おれも負けない気で、
気になるから、宿のお婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々
「本当の
「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」この
「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに
「へえ、
「どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち
「こいつあ
「
「そうですね。中ったかも知れませんよ」
「しかし今時の
「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい」
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」
「それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい」
「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」
「どこに不たしかなのが居ますかね」
「ここ
「いいえ、知りませんね」
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「
「ほん当にそうじゃなもし。
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし――あの方の所へお
「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな
「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持ってお
「あの赤シャツがですか。ひどい
「人を頼んで
「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね」
「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の
「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな
「
分り過ぎて困るくらいだ。この
「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」
「山嵐て何ぞなもし」
「山嵐というのは堀田の事ですよ」
「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはある
「つまりどっちがいいんですかね」
「つまり月給の多い方が
これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校から帰るとお婆さんがにこにこして、へえお待遠さま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくりご覧と云って出て行った。取り上げてみると清からの便りだ。
おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え
今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乗って
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご
「ええ
うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
ところへ入口で若々しい女の笑声が
停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ
やがて、ピューと
温泉へ着いて、三階から、
湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも
食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の
おれは、
だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの
赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り