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こころ(下) 先生と遺書(12)

时间: 2017-10-28    进入日语论坛
核心提示:十二「私の気分は国を立つ時すでに厭世的(えんせいてき)になっていました。他(ひと)は頼りにならないものだという観念が、その時
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十二
 
「私の気分は国を立つ時すでに厭世的(えんせいてき)になっていました。他(ひと)は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染(し)み込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父(おじ)だの叔母(おば)だの、その他(た)の親戚(しんせき)だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱(ちんうつ)でした。鉛を呑(の)んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖(とが)ってしまったのです。
 私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因(げんいん)になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中(ふところ)に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似(まね)はしなかったでしょう。
 私は小石川(こいしかわ)へ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛(くつろ)ぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻(みまわ)していました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家(うち)のものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐(すわ)っていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注(そそ)いでいたのです。おれは物を偸(ぬす)まない巾着切(きんちゃくきり)みたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭(いや)になる事さえあったのです。
 あなたは定(さだ)めて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢(じょう)さんをどうして好(す)く余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花(いけばな)を、どうして嬉(うれ)しがって眺(なが)める余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外(ほか)に仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言(いちごん)付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑(うたぐ)ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他(ひと)から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。
 私は未亡人(びぼうじん)の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人(おとな)しい男と評しました。それから勉強家だとも褒(ほ)めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解(わか)りませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚(おうよう)な方(かた)だといって、さも尊敬したらしい口の利(き)き方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目(まじめ)に説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅(うち)へ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷(ざしき)を貸す料簡(りょうけん)で、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊(ゆた)かでなくって、やむをえず素人屋(しろうとや)に下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描(えが)いたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒(ほ)めるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性(きしょう)の問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推(お)し広げて、同じ言葉を応用しようと力(つと)めるのです。
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