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一夜(1)

时间: 2020-11-30    进入日语论坛
核心提示:「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を」と髯ひげある人が二たび三たび微吟びぎんして、あとは思案の体ていである。灯ひに写
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 「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」とひげある人が二たび三たび微吟びぎんして、あとは思案のていである。に写る床柱とこばしらにもたれたるなおの、この時少しく前にかがんで、両手にいだ膝頭ひざがしらけわしき山が出来る。佳句かくを得て佳句をあたわざるをうらみてか、黒くゆるやかに引けるまゆの下より安からぬ眼の色が光る。
えがけども成らず、描けども成らず」とえん端居はしいして天下晴れて胡坐あぐらかけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語ぜんごにて即興なれば間に合わすつもりか。こわき髪を五に刈りて髯たくわえぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかにじゅおわって、からからと笑いながら、へやの中なる女をかえりみる。
 竹籠たけかごに熱き光りを避けて、かすかにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。
「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹をわくに張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣ゆかたに片足をそとくずせば、小豆皮あずきがわ座布団ざぶとんを白き甲がすべり落ちて、なまめかしからぬほどはえんなる居ずまいとなる。
「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」とひざいだく男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女はわざとらしからぬさまながらちょと笑う。やがて朱塗の団扇うちわにて、乱れかかるほおの黒髪をうるさしとばかり払えば、の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油のかおりの中におどり入る。
「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言い添えてまたからからと笑う。女の頬には乳色の底から捕えがたき笑のうずが浮き上って、まぶたにはさっと薄きくれないく。
「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目まじめにきく。
「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとするにじの糸、夜と昼とのさかいなる夕暮の糸、恋の色、うらみの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱とこばしらの方を見る。うれいいてり上げしたまの、はげしき火にはえぬほどに涼しい。愁の色はむかしから黒である。
 隣へ通う路次ろじを境に植え付けたる四五本のひのきに雲を呼んで、今やんだ五月雨さみだれがまたふり出す。丸顔の人はいつか布団ふとんを捨ててえんより両足をぶら下げている。「あの木立こだちは枝をおろした事がないと見える。梅雨つゆもだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」とひとごとのように言いながら、ふと思い出したていにて、膝頭ひざがしら丁々ちょうちょうと平手をたてに切ってたたく。「脚気かっけかな、脚気かな」
 残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話しのいとぐちをたぐる。
「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云えば「せめて夢にでも美くしき国へ行かねば」とこの世はけがれたりと云える顔つきである。「世の中が古くなって、よごれたか」と聞けば「よごれました」と※(「糸+丸」、第3水準1-89-90)がんせんかろ玉肌ぎょっきを吹く。「古きつぼには古き酒があるはず、あじわいたまえ」と男も鵞鳥がちょうはねたたんで紫檀したんをつけたる羽団扇はうちわで膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものならうれしかろ」と女はどこまでもすねた体である。
 この時「脚気かな、脚気かな」としきりにわが足をもてあそべる人、急に膝頭をうつ手をげて、しっと二人を制する。三人の声が一度に途切れる間をククーと鋭どき鳥が、檜の上枝うわえだかすめて裏の禅寺の方へ抜ける。ククー。
「あの声がほととぎすか」と羽団扇をててこれも椽側えんがわい出す。見上げる軒端のきばを斜めに黒い雨が顔にあたる。脚気を気にする男は、指を立ててひつじさるかたをさして「あちらだ」と云う。鉄牛寺てつぎゅうじの本堂の上あたりでククー、ククー。
一声ひとこえでほととぎすだとさとる。二声で好い声だと思うた」と再び床柱にりながら嬉しそうに云う。この髯男は杜鵑ほととぎすを生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐれるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける。別にずかしと云う気色けしきも見えぬ。五分刈ごぶがりは向き直って「あの声は胸がすくよだが、惚れたら胸はつかえるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚気らしい」と拇指おやゆび向脛むこうずね力穴ちからあなをあけて見る。「九仞きゅうじんの上に一簣いっきを加える。加えぬと足らぬ、加えるとあやうい。思う人にはわぬがましだろ」と羽団扇はうちわがまた動く。「しかし鉄片が磁石にうたら?」「はじめて逢うても会釈えしゃくはなかろ」と拇指の穴をさかでて澄ましている。
「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細しさいらしく髯をひねる。「わしは歌麻呂うたまろのかいた美人を認識したが、なんとかす工夫はなかろか」とまた女の方を向く。「わたしには――認識した御本人でなくては」と団扇のふさをほそい指に巻きつける。「夢にすれば、すぐにきる」と例の髯が無造作むぞうさに答える。「どうして?」「わしのはこうじゃ」と語り出そうとする時、蚊遣火かやりびが消えて、暗きにひそめるがつと出でて頸筋くびすじにあたりをちくと刺す。
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