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一夜(2)

时间: 2020-11-30    进入日语论坛
核心提示:「灰が湿しめっているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せて蓋ふたをとると、赤い絹糸で括くくりつけた蚊遣灰が燻いぶりながらふ
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「灰が湿(しめ)っているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せて(ふた)をとると、赤い絹糸で(くく)りつけた蚊遣灰が(いぶ)りながらふらふらと揺れる。東隣で(こと)と尺八を合せる音が紫陽花(あじさい)の茂みを()れて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の()さえちらちら見える。「どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。女ばかりは黙っている。
「わしのはこうじゃ」と話しがまた元へ返る。火をつけ直した蚊遣の煙が、筒に穿(うが)てる三つの穴を洩れて三つの煙となる。「今度はつきました」と女が云う。三つの煙りが(ふた)の上に(かた)まって茶色の(たま)が出来ると思うと、雨を帯びた風が(さっ)と来て吹き散らす。塊まらぬ(うち)に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を(えが)いて、黒塗に蒔絵(まきえ)を散らした筒の周囲(まわり)(めぐ)る。あるものは(ゆる)く、あるものは()く遶る。またある時は輪さえ描く(ひま)なきに乱れてしまう。「荼毘(だび)だ、荼毘だ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「()の世界も楽じゃなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。話しかけた男は別に語りつづけようともせぬ。世の中はすべてこれだと()うから知っている。
「御夢の物語りは」とややありて女が聞く。男は(かたわ)らにある羊皮(ようひ)の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙(ぞうげ)を薄く(けず)った(かみ)小刀(ナイフ)(はさ)んである。(かん)に余って長く外へ()み出した所だけは細かい汗をかいている。指の(さき)(さわ)ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気(しけ)てはたまらん」と(まゆ)をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に(たもと)の先を握って見て、「(こう)でも()きましょか」と立つ。夢の話しはまた延びる。
 宣徳(せんとく)香炉(こうろ)紫檀(したん)の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を(きざ)んだ青玉(せいぎょく)のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛(くも)が」と云うて長い(そで)が横に(なび)く、二人の男は共に(とこ)の方を見る。香炉に隣る白磁(はくじ)(へい)には(はす)の花がさしてある。昨日(きのう)の雨を(みの)着て()りし人の(なさ)けを(とこ)(なが)むる(つぼみ)は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金(しろがね)の糸を長く引いて一匹の蜘蛛(くも)が――すこぶる()だ。
「蓮の葉に蜘蛛(くだ)りけり香を()く」と吟じながら女一度に数弁(すうべん)(つか)んで香炉の(うち)になげ込む。「(しょうしょう)(かかって)不揺(うごかず)篆煙(てんえん)遶竹梁(ちくりょうをめぐる)」と(じゅ)して(ひげ)ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。

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