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一夜(3)

时间: 2020-11-30    进入日语论坛
核心提示:「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画えを活いかす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の
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 「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢にかす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気もなしに開く。眼は文字もじの上に落つれども瞳裏とうりに映ずるは詩の国の事か。夢の国の事か。

「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠(とうろう)をつける。百二十間の廻廊に春の(うしお)が寄せて、百二十個の灯籠が春風(しゅんぷう)にまたたく、(おぼろ)の中、海の中には大きな華表(とりい)が浮かばれぬ巨人の化物(ばけもの)のごとくに立つ。……」
 折から(はげ)しき戸鈴(ベル)の響がして何者か門口(かどぐち)をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入(はい)って来た気色(けしき)はない。「隣だ」と(ひげ)なしが云う。やがて渋蛇(しぶじゃ)の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男らしい。三人は無言のまま顔を見合せて(かす)かに笑う。「あれは画じゃない、活きている」「あれを平面につづめればやはり画だ」「しかしあの声は?」「女は藤紫」「男は?」「そうさ」と判じかねて髯が女の方を向く。女は「()」と(いや)しむごとく答える。
「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が(かか)って、その二百三十二枚目の額に()いてある美人の……」
「声は黄色ですか茶色ですか」と女がきく。
「そんな単調な声じゃない。色には(なお)せぬ声じゃ。()いて云えば、ま、あなたのような声かな」
「ありがとう」と云う女の眼の(うち)には憂をこめて笑の光が(みな)ぎる。
 この時いずくよりか二(ひき)(あり)()い出して一疋は女の(ひざ)の上に()(のぼ)る。おそらくは戸迷(とまど)いをしたものであろう。上がり詰めた上には獲物(えもの)もなくて(くだ)(みち)をすら失うた。女は驚ろいた(さま)もなく、うろうろする黒きものを、そと白き指で軽く払い落す。落されたる拍子(ひょうし)に、はたと他の一疋と高麗縁(こうらいべり)の上で出逢(であ)う。しばらくは首と首を合せて何かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里(こいまり)の菓子皿を(はじ)まで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。
「八畳の座敷があって、三人の客が坐わる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上る。一疋の蟻が上った美人の手は……」
「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が(ひと)しく笑う。一疋の蟻は灰吹(はいふき)を上りつめて絶頂で何か思案している。残るは運よく菓子器の中で葛餅(くずもち)邂逅(かいこう)して嬉しさの余りか、まごまごしている気合(けわい)だ。
「その()にかいた美人が?」と女がまた話を戻す。
「波さえ音もなき朧月夜(おぼろづきよ)に、ふと影がさしたと思えばいつの()にか動き出す。長く(つら)なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」
「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は()くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまり(うま)くはない。
「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。
「造り花なら蘭麝(らんじゃ)でも()き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様(さんよう)の解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。
珊瑚(さんご)の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の()」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心(かんじん)じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。
(えが)けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀(ぎんわん)(たた)く。葛餅を()たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左(みぎひだ)りへ()け廻る。
「蟻の夢が()めました」と女は夢を語る人に向って云う。
「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。
「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。
「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしゅう御座んしょ」と女はまた髯にきく。
「それは気がつかなんだ、今度からは、こちが画になりましょ」と男は平気で答える。
「蟻も葛餅にさえなれば、こんなに狼狽(うろた)えんでも済む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間にやら葉巻を鷹揚(おうよう)にふかしている。
 五月雨(さみだれ)に四尺伸びたる女竹(めだけ)の、手水鉢(ちょうずばち)の上に(おお)い重なりて、余れる一二本は高く軒に(せま)れば、風誘うたびに戸袋をすって(えん)の上にもはらはらと所(えら)ばず緑りを(したた)らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。
 床柱(とこばしら)()けたる払子(ほっす)の先には()き残る(こう)の煙りが()み込んで、軸は若冲(じゃくちゅう)蘆雁(ろがん)と見える。(かり)の数は七十三羽、(あし)(もと)より数えがたい。(かご)ランプの()を浅く受けて、深さ三尺の(とこ)なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ(おもむき)がある。「ここにも画が出来る」と柱に()れる人が振り向きながら(なが)める。
 女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇(きぬうちわ)(かろ)(ゆる)がせば、折々は(びん)のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き(まゆ)の常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「(わたし)()になりましょか」と云う。はきと分らねど白地に(くず)の葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣(ゆかた)(えり)をここぞと正せば、暖かき大理石にて(きざ)めるごとき頸筋(くびすじ)際立(きわだ)ちて男の心を()く。
「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」と一人が云うと
「動くと画が崩れます」と一人が注意する。

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