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永日小品(えいじつしょうひん)--霧

时间: 2020-11-30    进入日语论坛
核心提示: 昨宵(ゆうべ)は夜中(よじゅう)枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場(おお
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 昨宵(ゆうべ)夜中(よじゅう)枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場(おおステーション)のある御蔭(おかげ)である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを(こま)かに割りつけて見ると、一分に()と列車ぐらいずつ出入(でいり)をする訳になる。その各列車が(きり)の深い時には、何かの仕掛(しかけ)で、停車場間際(まぎわ)へ来ると、爆竹(ばくちく)のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。
 寝台(ねだい)()い下りて、北窓の日蔽(ブラインド)()き上げて外面(そと)を見おろすと、外面は一面に(ぼう)としている。下は芝生の底から、三方煉瓦(れんが)(へい)に囲われた一間余(いっけんよ)の高さに至るまで、何も見えない。ただ(むな)しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが(しん)として(こお)っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗(きれい)なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い(ひげ)(はや)した御爺(おじい)さんが日向(ひなた)ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡(おうむ)を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の(くちばし)で突つかれそうに近く、鳥の(そば)へ持って行く。鸚鵡は羽搏(はばた)きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い(すそ)を引いて、絶え間なく芝刈(しばかり)器械をローンの上に(ころ)がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く(きり)(うま)って、荒果(あれは)てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。
 裏通りを(へだ)てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺(てっぺん)でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く(とが)った頂きは無論の事、切石を不揃(ふそろい)に畳み上げた胴中(どうなか)さえ所在(ありか)がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の()はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く(とざ)された。
 表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に(ちぢ)まったかと思うと、歩けば()るくほど新しい二間四方が(あら)われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに(まか)せて消えて行く。
 四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色(ねずみいろ)の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を(おか)して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き()うときは、行き逢った時だけ奇麗(きれい)だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った(くう)の中に消えてしまう。漠々(ばくばく)として無色の(うち)に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を(かす)めて(ひる)がえった。(ひとみ)()らして、その行方(ゆくえ)を見つめていると、封じ込められた大気の(うち)に、(かもめ)が夢のように(かす)かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが(おごそか)に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ(おん)だけがする。
 ヴィクトリヤで用を()して、テート画館の(はた)河沿(かわぞい)にバタシーまで来ると、今まで鼠色(ねずみいろ)に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭(ピート)()いて濃く、身の周囲(まわり)に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに(せま)って来た。外套(がいとう)(おさ)えられたかと思うほど湿(しめ)っている。軽い葛湯(くずゆ)を呼吸するばかりに気息(いき)が詰まる。足元は無論穴蔵(あなぐら)の底を踏むと同然である。
 自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然(ぼうぜん)佇立(たたず)んだ。自分の(そば)を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々(もうもう)たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標(めあて)に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子(まどガラス)の前へ顔が出た。店の中では瓦斯(ガス)()けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。
 バタシーを通り越して、手探(てさぐ)りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋(しもたや)ばかりである。同じような横町が幾筋も並行(へいこう)して、青天の(もと)でも(まぎ)れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直(まっすぐ)に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を(かたむ)けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退(とおの)いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは(しん)としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。

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