「ホホホホ一番あなたによく似合う事」
藤尾の癇声は鈍い水を敲いて、鋭どく二人の耳に跳ね返って来た。
「藤……」と動き出そうとする宗近君の横腹を突かぬばかりに、甲野さんは前へ押した。宗近君の眼から活人画が消える。追いかぶさるように、後から乗し懸って来た甲野さんの顔が、親しき友の耳のあたりまで着いたとき、
「黙って……」と小声に云いながら、煙に巻かれた人を植込の影へ引いて行く。
肩に手を掛けて押すように石段を上って、書斎に引き返した甲野さんは、無言のまま、扉に似たる仏蘭西窓を左右からどたりと立て切った。上下の栓釘を式のごとく鎖す。次に入口の戸に向う。かねて差し込んである鍵をかちゃりと回すと、錠は苦もなく卸りた。
「何をするんだ」
「部屋を立て切った。人が這入って来ないように」
「なぜ」
「なぜでも好い」
「全体どうしたんだ。大変顔色が悪い」
「なに大丈夫。まあ掛けたまえ」と最前の椅子を机に近く引きずって来る。宗近君は小供のごとく命令に服した。甲野さんは相手を落ちつけた後、静かに、用い慣れた安楽椅子に腰を卸す。体は机に向ったままである。
「宗近さん」と壁を向いて呼んだが、やがて首だけぐるりと回して、正面から、
「藤尾は駄目だよ」と云う。落ちついた調子のうちに、何となく温い暖味があった。すべての枝を緑に返す用意のために、寂びたる中を人知れず通う春の脈は、甲野さんの同情である。
「そうか」
腕を組んだ宗近君はこれだけ答えた。あとから、
「糸公もそう云った」と沈んでつけた。
「君より、君の妹の方が眼がある。藤尾は駄目だ。飛び上りものだ」
かちゃりと入口の円鈕を捩ったものがある。戸は開かない。今度はとんとんと外から敲く。宗近君は振り向いた。甲野さんは眼さえ動かさない。
「うちやって置け」と冷やかに云う。