浅井君はつまらなくなる。早く用を片づけて帰ろうと思う。
「先生小野はいっこう駄目ですな、ハイカラにばかりなって。御嬢さんと結婚する気はないですよ」とぱたぱたと順序なく並べた。
孤堂先生の窪んだ眼は一度に鋭どくなった。やがて鋭どいものが一面に広がって顔中苦々しくなる。
「廃した方が好えですな」
置き失くした験温器を捜がしていた、次の間の小夜子は、長火鉢の二番目の抽出を二寸ほど抜いたまま、はたりと引く手を留めた。
先生の苦々しい顔は一層こまやかになる。想像力のない浅井君はとんと結果を予想し得ない。
「小野は近頃非常なハイカラになりました。あんな所へ行くのは御嬢さんの損です」
苦々しい顔はとうとう持ち切れなくなった。
「君は小野の悪口を云いに来たのかね」
「ハハハハ先生本当ですよ」
浅井君は妙なところで高笑をいた。
「余計な御世話だ。軽薄な」と鋭どく跳ねつけた。先生の声はようやく尋常を離れる。浅井君は始めて驚ろいた。しばらく黙っている。
「おい験温器はまだか。何をぐずぐずしている」
次の間の返事は聞えなかった。ことりとも云わぬうちに、片寄せた障子に影がさす。腰板の外から細い白木の筒がそっと出る。畳の上で受取った先生はぽんと云わして筒を抜いた。取り出した験温器を日に翳して二三度やけに振りながら、
「何だって、そんな余計な事を云うんだ」と度盛を透して見る。先生の精神は半ば験温器にある。浅井君はこの間に元気を回復した。
「実は頼まれたんです」
「頼まれた? 誰に」
「小野に頼まれたんです」
「小野に頼まれた?」
先生は腋の下へ験温器を持って行く事を忘れた。茫然としている。
「ああ云う男だものだから、自分で先生の所へ来て断わり切れないんです。それで僕に頼んだです」
「ふうん。もっと精しく話すがいい」
「二三日中に是非こちらへ御返事をしなければならないからと云いますから、僕が代理にやって来たんです」