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「お母さん。やってみれば」

时间: 2017-09-06    进入日语论坛
核心提示:三十九才のとき、ある女子大学の短大二部に入学した。子どもたちがまだ小さかったので、入学するときは随分迷った。入学手続き締
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三十九才のとき、ある女子大学の短大二部に入学した。
子どもたちがまだ小さかったので、入学するときは随分迷った。入学手続き締切前日まで迷っていたわたしの背中を押してくれたのは、
「お母さん。やってみれば」という娘の一言だった。
当時中学二年生だった娘は、自分も高校受験を控え、勉学を志す母親の思いを理解し、応援してあげたいという気持ちがあったのかもしれない。
娘のその一言で一歩踏み出したものの、家庭と仕事の両立だけでも大変なのに、更に学業が加わり、短大に通っていた二年間はそれまでの自分の人生でこれ以上は亡いという程多忙を極め、毎日が時間との戦いだった。
精神的にも体力的にも限界を感じるときもあったが、家族の協力を得てなんとか二年後に無事卒業証書を手にしたときは、さすがに胸に込み上げて来るものがあった。
卒業式には娘が出席してくれた。
あれから十数年が経ち、中断していた勉学を又続けたくなり、下の娘が大学を卒業して社会人になったのを機に、放送大学の三年次に編入学した。
テレビやラジオの放送を通して授業を受け、レポートを提出し、試験を受けて単位をとるというやり方に、最初は戸惑いもあったが、教科書を繰り返し読んで内容を理解するように努めたり、面接授業をなるべく多く受講したりして、何とか二年で卒業することができた。
一年浪人して、社会人入学で某大学の大学院に進学した。私が専攻した日本近代文学コースは、留学生が多く、日本人学生はわたしも含めて二人しかいなかった。自分の子どもたちより若い勉学熱心な留学生たちから啓発され、刺激を受けて、念願の樋口一葉の論文を書き上げた。
いまわたしは、博士課程に進学する為に、苦手な英語を勉強している。
あのとき、迷っているわたしの背中を押してくれた娘の、
「お母さん。やってみれば」
という一言は、いまも心の支えとなって、次の一歩を踏み出す大きな力となっている。
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