これは、勘定についても同じようなことが言えます。感情には、一般に理性や知性や言葉とは関係のない、人が外部や身体から働きかけられた結果から生まれる、非合理的で避け難いものだというイメージがあります。しかし、例えば泣くという行為一つをとってみても、実は感情には、心のなかに書いた物語と非常に密接な関係があると思います。だからこそ、役者さんなどは、自分自身を自在に泣かすことができると思うんですね。つまり、感情は語りの様式と密接に結びついているところがあって、うまくはまりさえすれば、涙はいつだって出すことができる。だから、語り以前に感情があるというよりも、語ってははじめて感情が生まれるといったほうがいいのではないかと思うわけです。
ともあれ、記憶にせよ、感情にせよ、真っ白な心のカンバスの上に突然降ってきて、ただ刻印や傷跡のように残るというものではありません。あるいは、自然に沸き起こってくるものでもなくて、どちらとも言葉との微妙な共犯関係のなかで、はじめて成立するものだと思います。
文化人類学の領域で、文化についての定義は学者によって様々ですが、私はアメリカの人類学者、C・K・クラックホーンの定義をよく用います。すなわち、「文化とは歴史的、後天的に形成された、内面的および外面的生活様式の体系である」という定義です。文化という語には高い教養とか洗練されたというイメージが結び付きがちですが、それも含めて、「生活の仕方そのもの」が文化なのだという考え方です。
道徳や価値観のような目に見えない心の作用も、家の建て方や挨拶の仕方など目に見えるものも、どれも人が家族や地域社会のなかで後天的に習得したものです。それが歴史的に変化し、発展したり衰えたりするのです。
もとより言葉も文化の重要な要素の一つであり、しかも文化の特徴や個性は、言葉にはっきりと表れると言われています。それは単に発音のしかたや文法の違いに出るだけではなく、自然現象など「物事のとらえ方」や、悲しみや喜びのような「心の働き」の表現にも、地域の方言や言語の個性が表れてくるのです。
(比嘉政夫「沖縄からアジアが見える」より)
1、「それは」の「それ」は何を指しているか。
①生活の仕方
②文化の特徴や個性
③後天的に習得したもの
④目に見えない心の作用
2、筆者が述べている内容と合っているのはどれか。
①地域の方言や言語の個性は、発音のしかたや文法の違いというより、「心の動き」の違いに現れる。
②文化というのは、人が後天的に習得したものであり、主に精神的な事柄を指している。
③文化は歴史的に変化し、発展したり衰えたりするが、その中で最も変化しにくいのが言葉である。
④文化というのは、人々の暮らし方の総体であって、道徳や価値観、教養といったものだけを指すのではない。