例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、クジラの生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」というが、IWC(国際捕鯨委員会)が原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。乱獲を防ぐための国際的管理体制が十分に確立されていない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。
(B)国際捕鯨委員会の調査報告にあるように、現在では鯨資源は完全に捕獲されており、ミンククジラやニタリクジラ、マッコウクジラのように、頭数が増加して資源状態のよいクジラもいる。これらの豊富な生物資源に関していは、持続的利用が可能な範囲での捕鯨は認められてしかるべきだと考える。
これに対して、反捕鯨国は「捕鯨は倫理に反対する」と言う。では、仮に牛を聖なる動物とするインドの人たちが、「牛を食べるのは倫理に反する」と欧米の人たちを批判したら、どう答えるのだろうか。「我々の食文化に干渉するな」と抗議するに違いない。同じように、日本に古来、鯨食文化があるのである。
反捕鯨国の筆頭であるオーストラリアでは、野生カンガルーが増えすぎて被害が出始めたため、間引きや食肉への利用が行われているが、これをどう説明するのだろうか。生物資源という点では、クジラとカンガルーに違いはないはずである。
1、AとBは、何について論じているか。
①捕鯨は非人道的か
②食文化に優劣はあるか
③商業捕鯨再開の是非
④生物資源の持続的利用
2、AとBの間には認識に大きな不一致があるが、それは何か。
①鯨食文化をどう見るか
②鯨の生息数をどう見るか
③鯨という動物をどう見るか
④生物資源の持続的利用を認めるか
3、AがBの意見に反対する最大の理由は何か。
①日本は調査捕鯨と偽って捕鯨しているから。
②捕鯨は野蛮で倫理的に許されない行為だから。
③人は鯨を食べなくても生きていけるから。
④鯨が乱獲される恐れがあるから。