徳川家康は儒仏の分離を求め、林羅山を登用した。林羅山は家康から家綱にいたる四代の将軍に仕え、幕府創業期の確立に貢献した。林家はその後、羅山の子など、代々幕府の儒官に起用され、文教をつかさどった。好学の5代将軍綱吉は大成殿をたて、ここに林家の孔子廟を移して、朱子学の殿とし、さらに林家の私塾を移して、学問所とし、のちに尚平坂学問所と呼ばれた。朱子学はともすれば、幕初から幕末まで一括して同じ思想として扱われがちであるが、やはり朱子学思想にも変貌をもたらさずにはいられない。
15.近世日本における朱子学はどんな地位にあったか