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まじめ半分50

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:流行語 流行にはフラフープ型とパチンコ型とがあるそうだ。 十何年か前�みんなでまわそうフラフープ�とかなんとか言って、合
(单词翻译:双击或拖选)
 流行語
 
 
 流行にはフラフープ型とパチンコ型とがあるそうだ。
 十何年か前�みんなでまわそうフラフープ�とかなんとか言って、合成樹脂の輪をしきりに胴の周囲でまわす遊びが流行《はや》った。合成樹脂の輪はその後しばらく物置きのすみなどに置いてあったが、今は見る影もない。
 一時的にパッと流行し、その後あとかたもなく消えてしまうのが、フラフープ型の流行現象である。
 そこへ行くとパチンコは根強い。多少の浮き沈みはあったのだろうが、インベーダーの出現にもけっして侵されず、今なおにぎにぎしく玉をはじいている。ある一時期に幅広く流行し、その後もそれなりに流行り続けるのが、さしずめパチンコ型の流行というものなのだろう。
 言葉にも流行がある。
�兵隊の位に直すと��ご清潔で、ご誠実で��ハイそれまでよ�などなど、大部分がフラフープ型の流行で、いっときはあちこちでさかんに口の端にのぼった言いまわしも、今聞くと�ああ、昔、そんなのがあったな�と、苦笑まじりに聞き留めるだけだ。
 はかない命にはちがいないのだが、それが国民的な広がりで流行《はや》っていくときには、なにかその時代の人間関係に鮮烈に響く要素を含んでいるようだ。
 今日この頃では、幼稚園の先生が困っている。
 
 ※[#歌記号、unicode303d]カラスなぜ鳴くの
 
 と歌い出せば、子どもたちは、例外なくいっせいに、
 
 ※[#歌記号、unicode303d]カラスの勝手でしょ
 
 と歌うからだ。
 テレビの人気番組で歌い始められたものらしいが、どことなくおかしい。
 そのおかしさがあればこそ、たちまち広がって、一種の流行語めいたものになってしまったのだ。
 言われてみれば、その通り、カラスの鳴く理由は、カラスでなければわからない。�カラスは山にかわいい七つの子があるからよ�と考えるのは、それこそ詩人の勝手なイマジネーションであって、とても正鵠《せいこく》を射ぬいているとは思えない。
 山に残して来た七羽の仔《こ》ガラスの身を案じて鳴くというのは、ロマンチックな空想にはちがいないが、詩人のそうした思い入れがいくぶん馬鹿らしいと考える感情が、受け手の側になくもない。
 世間はやたらにいそがしく、あわただしくなっているから、現実をはるかに飛翔《ひしよう》した詩的な想像にそれほど愛想よくつきあってはいられない。
�カラスの勝手でしょ�という短い文句に対して、なにか現代的なおかしさを感ずるのは、おそらく私たちの感情の中に、そうした�乾いた�意識が内在しているからであり、この文句が、さりげなくその部分に触れているからにちがいあるまい。
 そう言えば、もう一つ、�手をあげて横断歩道で死んでいた�という、奇妙な標語(?)も、ひところよく耳にした。
 出どころはツービートなる漫才師。言うまでもなく�手をあげて横断歩道を渡ろうよ�という、まっとうな標語のパロディーである。
 内容的にはブラック・ユーモアなのだろうが、このパロディーもよくできている。
 かつて�飛び出すな、車は急に止まれない�という、もう一つの交通標語が人口に膾炙《かいしや》していた頃�この標語は間違っている、同じ言うなら、飛び出すな、子どもは急に止まれない、とすべきではないか�と、異論を唱えた人のいたことを私は思い出す。
 子どものほうに注意をうながすより先に、車の運転者に対して、子どもはもともと活動的なものなのだから、それを予測して急激な運転をしないよう忠告するのが先決なのではないか、という主張であった。
 手をあげて横断歩道を渡ってみたところで、無謀な運転者がいれば歩行者の安全はけっして保証されない。なまじ手をあげてさえいれば安全だと思っているだけ、かえって危険なときもある。
 現実に、手をあげて横断歩道を渡っていたにもかかわらず事故にあったケースは、数限りなく実在する。
 私たちは感覚的にそのことを知っている。�手をあげて横断歩道を渡ろうよ�といった楽天的な標語に対して、全面的に愛想よくつきあっていられない理由がそこにある。
 ツービートのパロディーは、こんな感情に鋭く響くところがある。
 先にも触れたように、流行語はおおむねフラフープ型の現象だ。�カラスの勝手でしょ�も�横断歩道で死んでいた�も、さながら野をかける火のように全国に広がり、やがてその寿命もつきて�ああ、昔、そんなのがあったな�と、記憶の片すみに残るだけのものとなってしまうだろう。
 だが、それが広がっていく、その短い期間には、時代の微妙な心理的必然性を担っているような気がしてならない。
 それがなければ、そうたやすく愛用されるはずもないのである。
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