——オオクニヌシの治世
オオクニヌシの命《みこと》はスサノオの命の娘スセリビメを妻とし、因幡《いなば》のヤガミヒメとも睦《むつ》みあい……だが、それだけでは満足しないで、次は越《こし》(高志)の国のヌナカワヒメ。
ヌナカワは現在の新潟県|糸魚川《いといがわ》市付近の地名。そこに住む姫君という意味である。古事記の原文では�沼河比売《ぬなかわひめ》を婚《よば》はむとして�とあって、この�婚はむ�は、
「うちの田舎じゃサ、つい最近までよばいの習慣があったんだ」
などというときの�よばい、よばう�の語源である。夜の夜中に這《は》いくぐって忍び込んで行くような情景が思い浮かぶものだから�夜這い�と書いたりするけれど、もとはと言えば�呼ぶ�から来ている。�呼ぶ�の未然形に継続を表わす助動詞�ふ�がついた形、と文法的説明もしっかりとわかっていて、すなわち�呼び続ける�の意味。垣根の下を手さぐりで這って行くこととは関わりがない。
男が何度も呼び続ける。歌などを交えて誘いかける。それが求婚の合図であり、女が応《こた》えれば、おおいに脈あり、承諾の合図とするのが古代の習慣であった。
オオクニヌシの命はヌナカワヒメの家に到って歌で呼びかけた。
八千矛《やちほこ》の 神の命は、
八島国 妻|纏《ま》きかねて、
遠々《とほとほ》し 高志《こし》の国に
賢《さか》し女《め》を ありと聞かして、
麗《くは》し女《め》を ありと聞《き》こして、
さ婚《よば》ひに あり立たし
婚ひに あり通はせ、
大刀《たち》が緒《を》も いまだ解かずて、
襲《おすひ》をも いまだ解かね、
嬢子《をとめ》の 寝《な》すや板戸《いたと》を
押《お》そぶらひ 吾《わ》が立たせれば、
引こづらひ 吾が立たせれば、
青山に |※[#「空+鳥」、unicode9d7c]《ぬえ》は鳴きぬ。
さ野《の》つ鳥 雉子《きぎし》は響《とよ》む。
庭つ鳥 鶏《かけ》は鳴く。
うれたくも 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち止《や》めこせね。
いしたふや 天馳使《あまはせづかひ》、
事の 語りごとも こをば。
と、よくはわからないけれど、二度三度と読むうちに見当がつかないでもない。いくら古くとも日本語なのだから。
オオクニヌシの命は名前をたくさん持っていてヤチホコも、その一つ。武器をいっぱい持っていて強いぞ、という意味の名前である。歌の大意は�私ことヤチホコの神は大八島じゅう妻を捜して見つけそこね(うそだね)遠い遠い越の国に賢くて美しい女がいると聞いて求婚の旅に出発して通いつめ、刀の緒を解かず旅支度も解かず、娘の寝ている部屋の戸を押し揺さぶって立ち、引き揺さぶって立ち、待っていると木々の繁る青い山ではとらつぐみが鳴き、野の雉子《きじ》が鳴き、庭では鶏も鳴く。なんといまいましい鳥たちか、どうか鳴き止めさせてくれ。しもじもの走り使いたちが言うには、今はこんな情況ですぞ�である。
これに応えてヌナカワヒメは戸を閉じたまま歌を詠み……いちいち引用はしないけれど、まあ、色よい返事。今は駄目だが、夜になったら�沫雪《あわゆき》(アワのような大きな雪)のわかやる胸を�撫《な》でさせましょう、なのだ。
わけもなく私はフランス小話を思い出してしまった。
�市民の嘆願を受けて政治家はまず「イエス」と答えねばならない。まったく可能性のない場合でも「多分」と答えよ。「ノウ」と答えるようなら、その人はもはや政治家ではない。男の嘆願を受けて淑女はまず「ノウ」と答えねばならない。おおいに可能性のある場合でも「多分」と答える。「イエス」と答えるようなら、その人はもはや淑女ではない�
ヌナカワヒメも名前に姫とつくくらいだから当然淑女であろう。いきなり「イエス」でははしたない。とりあえず「多分」と匂わせて夜のデートを約束したわけである。
もちろんヤチホコことオオクニヌシの命は次の夜に誘われて二人は抱き合い愛し合った。
オオクニヌシの命は出雲《いずも》を中心に周辺の諸国を次々に従え治めていたから、年中家を留守にしなければいけない。行く先々で愛人ができてしまう。
正妻のスセリビメは根が嫉妬深《しつとぶか》いから夫のヤチホコは大変だ。あるとき出雲より大和《やまと》へ出発することになり、おそらくスセリビメが駄々をこねたにちがいない。ヤチホコは馬の鞍《くら》に手をかけ鐙《あぶみ》に足を入れながら「めそめそするな。明るくふるまえ。さびしいだろうけど心配するんじゃないよ。お前は美しい。お前を一番愛しているんだから」と、これも歌で詠んで伝えた。スセリビメのほうも機嫌を直し酒の支度をして、
「ヤチホコの神よ。あなたは男だから行く先々で愛人がおりましょうが、私はあなたのほかに愛する男がありません。さあ、私の熱い胸をまさぐって」と、出発を前にして、ひとねだり。酒を酌み交わし、睦みあった。睦みあった所が出雲大社であり、こんなふうに男女が物語のように歌いあう相聞《そうもん》の歌謡を神語《かんがたり》と呼んでいる。
しかし、オオクニヌシの命は、この後もあちこちに出向いて、いろいろな女性と親しくなって子をなしている。たとえば福岡県|宗像《むなかた》のタキリビメ、そして、カムヤタテヒメ、あるいはトリトリという女などなどである。
話は下世話に落ちるけれど……オオクニヌシの命イコール大黒様、その大黒様は大きめのベレー帽みたいな頭巾《ずきん》をかぶっている。その形が悩ましい。そのために前から見ると大黒様、うしろから見ると男性のペニス、そんな彫像や絵画がときおり目に触れる。なにしろオオクニヌシの命は百八十人の子を持ったということだから精力は絶倫、全身これ男根の形というのも頷《うなず》けるし、これを拝めばご利益《りやく》もありそうだ。
が、ジョークはともかく、神話の世界を現代の感覚でばかり捉《とら》えては不足が生ずる。古代人には古代人の考え方がある。オオクニヌシの命をただの漁色家と見るのは大まちがいだろう。
オオクニヌシの命は、すでに見たようにいくつかの別名を持っている。オオアナムジ、ヤチホコ、アシハラシコオ、ウツシクニタマなどなど。活動の範囲も広く、多彩である。
——もしかしたら一人の人物じゃないのかもしれない——
一理はある。
神話の世界にこうしたリアリズムを持ち込んでみても仕方がないところもあるけれど、大国主命すなわち大いなる国の主である神という名前自体が個人名というより属性を表わす敬称のように見えるし、そうである以上、その名を帯びる者が一人ではなく、複数であったと考えることは充分に妥当性がある。それならばオオクニヌシの命が大勢の女を妻とし、百八十人の子を持ってもさほど怪しむにたりない。
偉大な人物が各地で妻を娶《めと》って、よい子孫を作り恵みを垂れるケースは、古代社会にあっては日常的な現実であったろうし、ましてその人物が神性を帯びるとなれば物語のモチーフが変わって来る。
神がよい子種を撒《ま》き散らすことは、豊作や大漁と同じこと、人々の祈りに応《こた》えて神が俗世に示す恩恵なのである。だからこそ大黒様は子だくさんのシンボルとなり、繁栄の神として祀《まつ》られるわけである。スセリビメがオオクニヌシの女性関係に嫉妬を覚えるのは神話を人間世界にストンと持ち込んで親しみやすくしているけれど、神話本来の考え方ではないだろう。りっぱなペニスはア・プリオリに善であったのだ。オオクニヌシの命の女性関係の豊富さをひがめばかりでながめてはなるまい。
さて、私はと言えば、過日、米子《よなご》空港に降り立ち、
——今日はどうかな——
と、東の方角を仰いだ。
空は春まだ浅い薄曇り。ところどころに淡い青の色がのぞいているけれど、天蓋《てんがい》の大半は厚い雲の群に占められている。とりわけ東の空は灰色だ。
——やっぱりペケ——
私は伯耆大山《ほうきだいせん》を望んだのだが、今日も見えない。海抜一七二九メートル。ずいぶんと美しい姿の山らしいが、私はまだ一度も全容を見たことがない。一瞬の山頂さえ望んだことがない。
まったくの話、この中国地方最高の山を展望することのできる土地に私は少なくとも二十回は足を踏み入れているはずだが、どうも相性がよくない。
——志賀|直哉《なおや》の〈暗夜行路〉は愛読したんだがなあ——
首をひとつ捻《ひね》って車を北へ走らせた。
左手はゆるやかな弧を描いて伸びる弓ヶ浜海岸である。海は静かにたゆたい、いくつかの釣り船を散らしていた。
境港《さかいみなと》市へ入る。
海峡に架かる高い鉄橋を渡ると島根県の美保関《みほのせき》町。海沿いの道を走るのは最前と同じだが太陽の位置がちがっている。さっきは北西に向かって走っていた。今は北東に進んでいる。あらためて地図を見ると半島がニョッキリと天狗《てんぐ》の鼻のように日本海へ突き出している。
どこへ行くのか?
半島の先端へ。
ほかのエッセイで書いた記憶もあるのだが、私には自ら末端探求症と名づけている奇妙な癖《へき》がある。どう説明したらよいのか。つまり、その……これ以上先はないという果てまで行ってみたいという願望である。
煙突のてっぺん。階段があればぜひとも登ってみたい。洞穴の奥。とにかく行きつくところまで探ってみたい。一番強く欲望をかき立てられるのは陸地の果て。つまり岬である。
北の宗谷《そうや》岬から与那国島《よなぐにじま》の西崎《いりざき》まで、日本各地の岬へチャンスがあればたいてい足を運んでいる。
行ってなにをする?
あははは、なにをするわけでもない。末端を極めたという満足感、ただそれだけのためと言ってよい。
今回は安来《やすぎ》市郊外の足立《あだち》美術館に所用があって、米子空港へ降りたのだが、朝早い便を選んで時間のゆとりを作った。先端を極めるためである。
加えて、ほんの少し名分がないわけではなかった。このエッセイのためである。土地に因《ちな》んだエッセイを書く以上、多少でも関わりのあるところは訪ねたほうがよい。現場を踏み、それらしいポイントに立ってみるほうが書きやすい。
�かれ大国主の神、出雲の御大《みほ》の御前《みさき》にいます時に、波の穂より、天の羅摩《かがみ》の船に乗りて、鵝《ひむし》の皮を内剥《うつは》ぎに剥ぎて衣服《きもの》にして、帰《よ》り来る神あり�
とあって、この�御大の御前�が美保関の先端のことらしいのである。羅摩は植物のががいも。芋ではない。背の高い草で秋には細長い果実をつける。鵝は蛾《が》の誤記で、このくだりは、ががいもの実を割った舟に乗り、蛾の皮を剥いだ着物を着て漕《こ》ぎ寄って来る神がいた、ということだ。
地図を見ると半島は島根半島、岬の突端は地蔵崎と呼ぶらしい。細道を抜け海辺の岩塊に立つ。眼前に広がるのは、とてつもなく雄大な、広い広い海である。
——イメージがちがうなあ——
草の実で作った小舟では、けし粒同然、見つけ出すのもむつかしかろう。こんなちぐはぐな情景を告げて古事記はなにを訴えたかったのだろうか。オオクニヌシの命《みこと》はよほど目がよかったにちがいない。たどりついたのは小さい、小さい神である。
「あんたは、だれ?」
とオオクニヌシの命が尋ねても答えない。
周囲に従う者たちに尋ねても、
「知りません」
首を振っている。
蟇《ひきがえる》の意見を聞くと、
「きっとクエビコが知っているでしょう」
クエビコとは、かかしだ。田んぼの中に日がな一日立ちつくして、いろいろなことを見聞しているから、かかしは意外ともの知りなのである。
オオクニヌシの命がすぐさまかかしを召して尋ねれば確かに知っていた。
「カミムスヒの命の子でスクナビコナでしょう」
カミムスヒの命ならオオクニヌシの命も知っている。兄弟たちにいじめられ、猪に似た焼け石を抱いて大《おお》火傷《やけど》をしたとき、貝を使った治療法を教えて生命を救ってくれた恩人だ。それならば話は早い。オオクニヌシの命がカミムスヒの命に確かめてみると、
「いかにもあの小さい神は私の子だ。あまり小さいので私の指の間からこぼれ落ちてしまったんだ。あなたたちは兄弟となって、りっぱな国を造りなさい」
どうやらカミムスヒの命が国造りのために遣わしてくれたらしい。
「ありがとうございます」
オオクニヌシの命はスクナビコナを相棒にしてますます国を栄えさせた……。とはいえスクナビコナがどのような手段で協力し辣腕《らつわん》をふるったか古記録は明らかにしていない。
もとよりががいもの実を舟とし蛾の皮の衣をまとうほど背丈の小さい人間など実在するはずもなく、いくら神話の世界と言ってもリアリティを欠いている。あの大海原のまっただ中に、こんな小さな姿で登場させたこと自体が故意に現実を外しているとしか思えない。なにかしら象徴的な意味が隠されていると考えるほうがよいだろう。
わかっているのはスクナビコナがとても小さかったこと、カミムスヒの命の子であったこと、そして、この後、業をなし終えて再び海のかなたへ帰って行ったということ、この三つくらいである。
もしこの神の協力によって出雲地方が本当に繁栄したのであるならば、人間の生命の維持にかかわるサムシングを躍進的にもたらしたからではないのか。父なるカミムスヒの命は人間の生命をつかさどる神なのだから……。
穀物の増産にかかわる技術だという説もある。体の小ささはその象徴だ。小さな神が小粒の種をもたらしたのだ。優良品種を持ち込んだのだ、と……。
あるいは医療にかかわること。小さな丸薬。見えない効力。日本海に突き出した半島の岬は大陸の英知が流れつくところでもあった。岬に立ったオオクニヌシの命は渡来人から最新の妙薬を入手したのかもしれない。スクナビコナが帰って行った先は常世《とこよ》の国、つまり不老長寿の国だとする説もある。ならば、ますます医療にかかわることの可能性が生じてくる。疫病の流行を鎮めることは即、国家繁栄の原因となりえただろう。
スクナビコナが帰ってしまうとオオクニヌシの命はおおいに困惑し、
——どうしたらよいのか——
また海の岬にたたずんだ。
私としては、
——このへんかなあ——
ひときわ眺望のよい灯台ビュッフェでコーヒーを飲みながら一八〇度を超えて広がるわたつみを望み見た。天気がよければ隠岐《おき》の島々も見えるという話だが、水平線に雲が厚く群がっている。大山も駄目、隠岐も駄目、まあ、雨に降られないだけでめっけもの。弁当忘れても傘を忘れるな。山陰地方はめっぽう雨の多い土地柄だ。
話をもとに戻してオオクニヌシの命の嘆きに応《こた》えるように海上を明るく照らして新しい神が現われ、
「私を大和の国の青々とした東の山の上に祀《まつ》りなさい。そうすれば国がよく治まります。怠ると国は造れませんぞ」
と、のたまう。
オオクニヌシの命はすなおにこの言葉に従い、大和の三輪山《みわやま》に鎮座する神として祀った。すなわち現在の桜井市の大神《おおみわ》神社に祀られているオオモノヌシの命である。しかし、この神の正体もよくわからない。
ついでに述べておけば、これまでに述べたオオクニヌシの命の物語は、因幡の白兎も兄弟たちのいじめもスサノオの命とのやりとりも越の国へ出かけての求婚も、みんな古事記に記されているが日本書紀にはないことだ。日本書紀はわずかにスクナビコナのことに触れているだけである。日本書紀は意図的にオオクニヌシの命の記述を小さくしたのかもしれない。このあと日本の神話は大和朝廷に繋《つな》がる神々がオオクニヌシの命から領土を譲り受ける方向へと進む。大和朝廷の正統性を主張することに熱心な日本書紀としては建国の功労者についてあまり多くの伝説を語りたくなかったのかもしれない。日本書紀ではオオクニヌシの命の影は極端に薄い。
さらに言えば出雲地方に因《ちな》んだ神話では、国引きの話が人口に膾炙《かいしや》しているが、これは古事記にも日本書紀にもない。もう一つの古代資料|風土記《ふどき》の中にあるもので、風土記は和銅六年(七一三)元明《げんめい》天皇が諸国に命じて編纂《へんさん》させた地誌的な記録である。和銅五年(七一二)に撰上《せんじよう》された古事記あるいは養老四年(七二〇)に撰上された日本書紀とおおむね似たような時期の編纂物と考えてよいだろう。惜しむらくは風土記は大半が散逸し、完本として残っているのは出雲国風土記のみで、そのほか常陸《ひたち》、播磨《はりま》、豊後《ぶんご》、肥前《ひぜん》が部分的に現存している。ほかに逸文が三十か国分。これはほんの断片と言ってよいしろものだ。
その出雲国風土記から国引きのエピソードを紹介しておけば……現在の松江市、安来市などを含む島根県の北東部を古くは意宇《おう》と呼んでいた。ヤツカミズオミツノという神が、
「出雲の国は初めてできた国だから細くて狭い布みたいだなあ。ほかから少し土地を持って来て縫いあわせるか」
と海のかなたをながめ、
「新羅《しらぎ》の国に余っているところがあるぞ」
朝鮮半島に狙いをつけた。少女の胸のように平らな鋤《すき》を取り出して魚の鰓《えら》を刺すように向こうの土地に突き刺し、魚を切るように土地を切り離し、三本|縒《よ》りの太い縄を投げてから、
「国来《くにこ》、国来《くにこ》」
と船を引くようにモソロ、モソロとたぐって引っぱった。かけ声の意味は「国よ来い、国よ来い」であろう。こうして縫いつけたのが現在の島根県平田市の小津《こづ》から大社《たいしや》町の日御碕《ひのみさき》に続く陸地。動かないように打った杭《くい》が三瓶《さんべ》山だ。縄はポイと放り出されて、このあたりの美しい海岸線になった。同様に隠岐の島から、
「国来、国来」
と、たぐって縫いつけたのが宍道《しんじ》湖の北の鹿島《かしま》町のあたり。さらに松江市の北側をくっつけ、直江津《なおえつ》の岬から引っぱって美保関の半島を造った。つまり末端探求症の私が立っているのが、この四番目の縄引きの結果である。さっき車で走った弓ヶ浜が最後に投げた縄のあと、このときの杭が私がついぞ見ることのできない伯耆大山である。
ヤツカミズオミツノの神は汗を拭《ふ》きながら、
「これでおしまい」
ながめ直してわれながら出来ばえに感動して、
「おう」
叫んで近くの森に杖《つえ》を立てた。それゆえにこの地を意恵《おえ》(意宇の変化)と言うのだ、と壮大な事業を結んでいる。あまり壮大過ぎて島根県の海岸をどう散策してみても実感を得ることができないけれど、放り投げた縄だけは、このあたりの海辺が灰白色の波を引いて寄せているのを見ると納得ができないでもない。岩礁も多いが、美しい海岸線もまた多い地形である。
さて舞台を高く移し、高天原《たかまのはら》の様子を伝えねばなるまい。
アマテラス大御神《おおみかみ》は、自分の父母であるイザナギ、イザナミの二|柱《はしら》が造った大八島《おおやしま》が出雲地方を中心にしておおいに栄えているのを見て喜びはしたものの、
「そもそも、あそこは豊葦原《とよあしはら》の千秋長五百秋《ちあきながいおあき》の水穂《みずほ》の国と言ってアメノオシホミミの命が治める国のはずだわ」
と首を傾げ、即座にアメノオシホミミの命を地上へ遣わそうとした。
アメノオシホミミの命というのは、アマテラス大御神がスサノオの命と誓約《うけい》をおこなったとき大御神の勾玉《まがたま》から生まれた男神で、とても大切な神様だ。一神教や二神教ならともかく、日本神道は八百万《やおよろず》の神々がおわすから、おのずとその中に順位がある。言ってみればアメノオシホミミの命は大御神の長男で、とても偉い。母親としては長男には目をかけたい。
アメノオシホミミの命は偉大な母の命令を受けて天と地を結ぶ階段のあたりまで来て地上の様子をながめたが、(地上界である)葦原の中つ国はなんだか騒然として様子がよろしくない。のこのこ出かけて行ったら袋叩《ふくろだた》きにあいそう。今風に言えば「独立を守れ。アメノオシホミミは帰れ」とシュプレヒコールが聞こえたのではあるまいか。
「ボクちゃん、怖い」
と、まあ、これはジョーク、ジョーク。うかうかと足を踏み入れるのは剣呑《けんのん》と考えた。
このことをアマテラス大御神に報告すると、大御神は早速、オモイカネの命に相談した。こちらはアマテラス大御神が岩戸に隠れたとき、すばらしい作戦を提案した、あの知恵者である。
「ホヒの命を遣わしたらよろしいでしょう」
と、オモイカネの命が答えた。
かならずしもわるい提案ではなかったろう。アメノオシホミミの弟神だが、いま地上で栄えている出雲地方に地縁がある。先祖として祀られている。そういう神を送って交渉に当たらせたほうがうまく運ぶだろう。
「それがいいわね」
と、すぐ実行に移されたが、ホヒの命はなまじ縁が深いものだから、オオクニヌシの命に、
「やあ、よく来てくれましたねえ」
なんて大歓迎を受け、
「いや、いや、久しぶり。あなたも元気そうで結構」
懐柔され、オオクニヌシの命に媚《こ》びてしまい、三年たってもなんの報告もない。
そこでアマテラス大御神が、
「困ったものだわねえ。どうします?」
ふたたびオモイカネの命に相談すると、
「じゃあ、アメワカヒコがよいでしょう」
と、推薦した。
この神も、アマツクニタマの命という偉い神の息子であることを除けば、あまりよくわからない。名前からして天《あめ》の若い男《ひこ》だなんて……命名が少し安易のような気がする。が、とにかく若くて強い神なのだろう。大御神から、すばらしい弓矢を贈られ、勇んで地上へと向かった。つまり武力で威嚇せよ、という内命だ。
しかし、オオクニヌシの命のほうは、
「よくいらっしゃいました」
自分の娘のシタテルヒメを与えてフニャフニャにしてしまう。漢字で書けば下照|比売《ひめ》。下のほうが照り輝いていて、
——名器だったんじゃあるまいか——
と、余計な想像が浮かんでしまう。
かくてアメワカヒコは八年も連絡をして来なかった。
「どうしましょう?」
と、アマテラス大御神。
「アメワカヒコはしょうがないな。ナキメをやって発破をかけましょう」
と、オモイカネの命。
ナキメは雉子《きじ》の擬人化されたもので、鳴きしゃべるのが得意技だ。八年間も音沙汰《おとさた》のないアメワカヒコに高天原の使命を再確認させようという狙いである。
ナキメは地上に降り、アメワカヒコの住む家の木に止まり、
「キジ、キジ、キジ」
雉子はその鳴き声から雉子と名づけられたということだが、うるさく鳴いて用向きを伝えた。
サグメという女がアメワカヒコに仕えていて、見えないものを�さぐる�女、巫女《みこ》的な能力を持っている。ナキメの声を聞き、
「不吉だわ。射殺してください」
と、アメワカヒコに注進する。
アメワカヒコは大御神から贈られた弓矢でヒューッと射た。
矢は鳥の胸を貫いて、さらに高天原にまで飛びアマテラス大御神とタカミムスヒの命がいるところへ届いた。
見れば矢に血がついている。
「これは……大御神がアメワカヒコに与えた矢だね?」
と、タカミムスヒの命が気づいて言えば、
「ええ」
アマテラス大御神は顔を曇らせる。
もろもろの神を集めたうえでタカミムスヒの命が、飛んで来た矢に祈りを込め、
「もしアメワカヒコが敵を射て血がついたのなら、けっしてアメワカヒコに命中するな。アメワカヒコに邪心があるのなら殺せ」
と雲の穴から矢を射返した。
プシュン。
矢は朝寝ているアメワカヒコの胸を射ぬく。即死である。
地上の妻シタテルヒメが大泣きに泣くものだから声が天に届き、アメワカヒコの父と、それからアメワカヒコが高天原にいたときの妻子が地上に降り、弔《とむら》いの家を造って八日八夜盛大に弔った。死者のために雁《かり》は食べ物を捧《ささ》げ持ち、鷺《さぎ》は弔い箒《ほうき》を持つ役を受け持ち、かわせみは料理の係、雀は米をつき、雉子は泣き女の役を演じた。
そんなときシタテルヒメの兄アジシキタカヒコネが弔問に現われると、この兄が死んだアメワカヒコとそっくりなので、
「お前、生きていたのか!」
「あなた、お元気なのね?」
と、アメワカヒコの親族たちが色めき立つ。
アジシキタカヒコネは戸惑ったが、死者にまちがわれたと知って、
「縁起でもない。死人にそっくりだなんて」
激怒して暴れ狂い、弔いの家を蹴飛《けと》ばした。
家は美濃《みの》にまで飛んで、長良川《ながらがわ》上流の喪山《もやま》となった。
自分の兄と死んだ夫がそっくりと、まちがわれたシタテルヒメは、
「みなさん、落ち着いてくださいな」
と、なだめ、兄を紹介する歌を歌った。兄を誇りに思っていたので褒め言葉をたくさん並べたので、
——身内にしてはちょっとねえ——
という感じが否めないけれど、これは夷振《ひなぶり》と呼ばれる歌で、民謡の始まりと言われている。
が、それはともかく高天原のほうではまたしてもひと相談。年来の問題は少しも解決していないのだ。
「だれを遣わしたら一番いいのかしら」
と悩むアマテラス大御神にオモイカネの命とほかの神々が一致して、
「じゃあ、仕方ありません。天《あま》の岩屋《いわや》に住むオハバリの命がよろしいでしょう。さもなければ、その子のタケミカズチノオの命がよろしいでしょう」
と勧めた。
オハバリの命はイザナギの命の剣から生まれた神。言ってみれば、これは武門の家柄である。
オハバリの命は少しへそ曲がりのところがあるから、特別な使者を立てて高天原の窮状を訴えると、
「大御神のご命令なら背くことができませんが、その仕事には私より息子のタケミカズチノオのほうが向いているでしょう。若くて力があるから」
「なるほど」
結局、三度目の使者としてタケミカズチノオが、そしてもう一人これも船を操っては並びないアメノトリフネと一緒に、アマテラス大御神の依頼を受けて地上に赴くことになった。
すでにお気づきと思うが、この数ページは高天原という強い勢力が、出雲を中心に繁栄している地域を支配しようとして画策した、その交渉のプロセスの伝承を考えることもできる。神話の形を採っているけれど、歴史の一端かもしれない。
まず征服のため出雲に強いコネクションを持っている人を送って平和|裡《り》に交渉を進めようとした。これがまるめ込まれてしまうと強面《こわもて》の若い使者を送った。ちょっと脅しをかけてみたわけである。
しかし、敵もさるもの引っかくもの、若者の弱点を見抜き、オオクニヌシの命の女婿《むすめむこ》として優遇し、アメワカヒコを、完全に身方《みかた》につけてしまう。八年の歳月……。そばに仕える巫女まで手なずけてしまった。
だから高天原がナキメという伝令を送り、ナキメが「ぐずぐずするな。使命を早く実行しろ」と伝えても、逆に殺されてしまう。
うがった見方をすれば、アマテラス大御神がアメワカヒコに与えた弓矢というのが、大御神の息がかかったじきじきの内部スパイであったのかもしれない。「アメワカヒコをしっかり見張ってくれ」と……。だからナキメはまずこの人を頼って伝令の大役を果たそうとした。だが弓矢は協力を惜しむ。アメワカヒコにナキメの来た真意をほのめかし、ナキメは殺されてしまう。弓矢は逆に高天原へ。アメワカヒコの使者として「もうあきらめてください。私はこちらが気に入りました」という現実を伝えに帰る。高天原では「馬鹿者! そんなこと許されるか」と弓矢は叱責《しつせき》を受け、今度は刺客となって下ってアメワカヒコの朝の寝床を襲う。
高天原と出雲の関係は、このことでさらに悪化し、簡単な手段では配下に収めにくい。甘い期待は禁物だ。そこで武門で聞こえた一族を送ることを考える。地上への軍隊の出動を匂わせる。すなわち若い将軍タケミカズチノオの命の登場である。
地上の総大将オオクニヌシの命は困惑した。まともに戦っては高天原に勝てないと知っていたのではあるまいか。今まで全権大使を優遇してお茶を濁して来たが、武力を背景に強談判《こわだんぱん》をされたら腹をくくらねばなるまい。
——どうしよう——
悩んだすえに……と古い時代の出来事を考えれば、これは歴史の中に数多《あまた》実在したであろう国と国との折衝以外のなにものでもなかった。