「とっこべ」というのは名字でしょうか。「とら」というのは名前ですかね。そうすると、名字がさまざまで、名前がみんな「とら」と云う狐が、あちこちに住んで居たのでしょうか。
さて、むかし、とっこべとら子は大きな川の岸に住んでいて、夜、網打ちに行った人から魚を盗ったり、買物をして町から遅く帰る人から油揚げを取りかえしたり、実に始末に終えないものだったそうです。
慾ふかのじいさんが、ある晩ひどく酔っぱらって、町から帰って来る途中、その川岸を通りますと、ピカピカした金らんの上下の立派なさむらいに会いました。じいさんは、ていねいにおじぎをして行き過ぎようとしましたら、さむらいがピタリととまって、一寸そらを見上げて、それからあごを引いて、六平を呼び留めました。秋の十五夜でした。
「あいや、しばらく待て。そちは何と申す。」
「へいへい。私は六平と申します。」
「六平とな。そちは金貸しを業と致し居るな。」
「へいへい。御意の通りでございます。手元の金子はすべて、只今ご用立致して居ります。」
「いやいや、拙者が借りようと申すのではない。どうじゃ。金貸しは面白かろう。」
「へい、御冗談、へいへい。御意の通りで。」
「拙者に少しく不用の金子がある。それに遠国に参る所じゃ。預かって置いて貰えまいか。尤も拙者も数々敵を持つ身じゃ。万一途中相果てたなれば、金子はそのままそちに遣わす。どうじゃ。」
「へい。それはきっとお預かりいたしまするでございます。」
「左様か。あいや、金子はこれにじゃ。そち自ら蓋を開いて一応改め呉れい。エイヤ。はい。ヤッ。」さむらいはふところから白いたすきを取り出して、たちまち十字にたすきをかけ、ごわりと袴のもも立ちを取り、とんとんとんと土手の方へ走りましたが、一寸かがんで土手のかげから、千両ばこを一つを持って参りました。
ははあ、こいつはきっと泥棒だ、そうでなければにせ金使い、しかし何でもかまわない、万一途中相果てたなれば、金はごろりとこっちのものと、六平はひとりで考えて、それからほくほくするのを無理にかくして申しました。
「へい。へい。よろしゅうござります。御意の通り一応お改めいたしますでござります。」
蓋を開くと中に小判が一ぱいつまり、月にぎらぎらかがやきました。
ハイ、ヤッとさむらいは千両凾を又一つ持って参りました。六平は尤らしく又あらためました。これも小判が一ぱいで月にぎらぎらです。ハイ、ヤッ、ハイヤッ、ハイヤッ。千両ばこはみなで十ほどそこに積まれました。
「どうじゃ。これ丈けをそち一人で持ち参れるのかの。尤もそちの持てるだけ預けることといたそうぞよ。」
どうもさむらいのことばが少し変でしたし、そしてたしかに変ですが、まあ六平にはそんなことはどうでもよかったのです。
「へい。へい。何の千両ばこの十やそこばこ、きっときっと持ち参るでござりましょう。」
「うむ。左様か。しからば。いざ。いざ、持ち参れい。」
「へいへい。ウントコショ、ウントコショ、ウウントコショ。ウウウントコショ。」
「豪儀じゃ、豪儀じゃ、そちは左程になけれども、そちの身に添う慾心が実に大力じゃ。大力じゃのう。ほめ遺わす。ほめ遺わす。さらばしかと預けたぞよ。」
さむらいは銀扇をパッと開いて感服しましたが、六平は余りの重さに返事も何も出来ませんでした。
さむらいは扇をかざして月に向って、
「それ一芸あるものはすがたみにくし、」と何だか謡曲のような変なものを低くうなりながら向うへ歩いて行きました。
六平は十の千両ばこをよろよろしょって、もうお月さまが照ってるやら、路がどう曲ってどう上ってるやら、まるで夢中で自分の家までやってまいりました。そして荷物をどっかり庭におろして、おかしな声で外から怒鳴りました。
「開けろ開けろ。お帰りだ。大尽さまのお帰りだ。」
六平の娘が戸をガタッと開けて、
「あれまあ、父さん。そったに砂利しょて何しただす。」と叫びました。
六平もおどろいておろしたばかりの荷物を見ましたら、おやおや、それはどての普請の十の砂利俵でした。
六平はクウ、クウ、クウと鳴って、白い泡をはいて気絶しました。それからもうひどい熱病になって、二ヶ月の間というもの、
「とっこべとら子に、だまされだ。ああ欺されだ。」と叫んでいました。
みなさん。こんな話は一体ほんとうでしょうか。どうせ昔のことですから誰もよくわかりませんが多分偽ではないでしょうか。
どうしてって、私はその偽の方の話をも一つちゃんと知ってるんです。それはあんまりちかごろ起ったことでもうそれがうそなことは疑もなにもありません。実はゆうべ起ったことなのです。
さあ、ご覧なさい。やはりあの大きな川の岸で、狐の住んでいた処から半町ばかり離れた所に平右衛門と云う人の家があります。
平右衛門は今年の春村会議員になりました。それですから今夜はそのお祝いで親類はみな呼ばれました。
もうみんな大よろこび、ワッハハ、アッハハ、よう、おらおととい町さ行ったら魚屋の店で章魚といかとが立ちあがって喧嘩した、ワッハハ、アッハハ、それはほんとか、それがらどうした、うん、かつおぶしが仲裁に入った、ワッハハ、アッハハ、それからどうした、ウン、するとかつおぶしがウウゥイ、ころは元禄十四年んん、おいおい、それは何だい、うん、なにさ、かつおぶしだもふしばがり、ワッハハアッハハ、まあのめ、さあ一杯、なんて大さわぎでした。ところがその中に一人一向笑わない男がありました。それは小吉という青い小さな意地悪の百姓でした。
小吉はさっきから怒ってばかり居たのです。(第一おら、下座だちゅう筈ぁあんまい、ふん、お椀のふぢぁ欠げでる、油煙はばやばや、さがなの眼玉は白くてぎろぎろ、誰っても盃よごさないえい糞面白ぐもなぃ。)とうとう小吉がぷっと座を立ちました。
平右衛門が
「待て、待て、小吉。もう一杯やれ、待てったら。」と云っていましたが小吉はぷいっと下駄をはいて表に出てしまいました。
空がよく晴れて十三日の月がその天辺にかかりました。小吉が門を出ようとしてふと足もとを見ますと門の横の田の畔に疫病除けの「源の大将」が立って居ました。
それは竹へ半紙を一枚はりつけて大きな顔を書いたものです。
その「源の大将」が青い月のあかりの中でこと更顔を横にまげ眼を瞋らせて小吉をにらんだように見えました。小吉も怒ってすぐそれを引っこ抜いて田の中に投げてしまおうとしましたが俄かに何を考えたのかにやりと笑ってそれを路のまん中に立て直しました。
そして又ひとりでぷんぷんぷんぷん云いながら二つの低い丘を越えて自分の家に帰り、おみやげを待っていた子供を叱りつけてだまって床にもぐり込んでしまいました。
丁度その頃平右衛門の家ではもう酒盛りが済みましたので、お客様はみんなご馳走の残りを藁のつとに入れて、ぶらりぶらりと提げながら、三人ずつぶっつかったり、四人ずつぶっつかり合ったりして、門の処迄出て参りました。
縁側に出てそれを見送った平右衛門は、みんなにわかれの挨拶をしました。
「それではお気をつけて。おみやげをとっこべとらこに取られなぃようにアッハッハッハ。」
お客様の中の一人がだらりと振り向いて返事しました。
「ハッハッハ。とっこべとらこだらおれの方で取って食ってやるべ。」
その語がまだ終らないうちに、神出鬼没のとっこべとらこが、門の向うの道のまん中にまっ白な毛をさか立てて、こっちをにらんで立ちました。
「わあ、出た出た。逃げろ。逃げろ。」
もう大へんなさわぎです。みんな泥足でヘタヘタ座敷へ逃げ込みました。
平右衛門は手早くなげしから薙刀をおろし、さやを払い物凄い抜身をふり廻しましたので一人のお客さまはあぶなく赤いはなを切られようとしました。
平右衛門はひらりと縁側から飛び下りて、はだしで門前の白狐に向って進みます。
みんなもこれに力を得てかさかさしたときの声をあげて景気をつけ、ぞろぞろ随いて行きました。
さて平右衛門もあまりと云えばありありとしたその白狐の姿を見ては怖さが咽喉までこみあげましたが、みんなの手前もありますので、やっと一声切り込んで行きました。
たしかに手ごたえがあって、白いものは薙刀の下で、プルプル動いています。
「仕留めたぞ。仕留めたぞ。みんな来い。」と平右衛門は叫びました。
「さすがは畜生の悲しさ、もろいもんだ。」とみんなは悦び勇んで狐の死骸を囲みました。
ところがどうです。今度はみんなは却ってぎっくりしてしまいました。そうでしょう。
その古い狐は、もう身代りに疫病よけの「源の大将」などを置いて、どこかへ逃げているのです。
みんなは口口に云いました。
「やっぱり古い狐だな。まるで眼玉は火のようだったぞ。」
「おまけに毛といったら銀の針だ。」
「全く争われないもんだ。口が耳まで裂けていたからな。崇られまぃが。」
「心配するな。あしたはみんなで川岸に油揚を持って行って置いて来るとしよう。」
みんなは帰る元気もなくなって、平右衛門の所に泊りました。
「源の大将。」はお顔を半分切られて月光にキリキリ歯を喰いしばっているように見えました。
夜中になってから「とっこべ、とら子」とその沢山の可愛らしい部下とが又出て来て、庭に抛り出されたあのおみやげの藁の苞を、かさかさ引いた、たしかにその音がしたとみんながさっきも話していました。