洞の隙間から朝日がきらきら射して来て水底の岩の凹凸をはっきり陰影で浮き出させ、またその岩につくたくさんの赤や白の動物を写し出した。
チャーナタはうっとりその青くすこし朧ろな水を見た。それから洞のすきまを通して火のようにきらきら光る海の水と浅黄いろの天末にかかる火球日天子の座を見た。
(おれはその幾千由旬の海を自由に潜ぎ、その清いそらを絶え絶え息して黒雲を巻きながら翔けれるのだ。それだのにおれはここを出て行けない。この洞の外の海に通ずる隙間は辛く外をのぞくことができるに過ぎぬ。)
(聖竜王、聖竜王。わたくしの罪を許しわたくしの呪をお解きください。)
チャーナタはかなしくまた洞のなかをふりかえり見た。そのとき日光の柱は水のなかの尾鰭に射して青くまた白くぎらぎら反射した。そのとき竜は洞の外で人の若々しい声が呼ぶのを聴いた。竜は外をのぞいた。
(敬うべき老いた竜チャーナタよ。朝日の力をかりてわたしはおまえに許しを乞いに来た。)
瓔珞をかざり黄金の大刀をはいた一人の立派な青年が外の畳石の青い苔にすわっていた。
(何を許せというのか。)
(竜よ。昨日の誌賦の競いの会に、わたしも出て歌った。そしてみんなは大へんわたしをほめた。
いちばん偉い詩人のアルタは座を下りて来て、わたしを礼してじぶんの高い座にのぼせ〔二字空白〕の草蔓をわたしに被せて、わたしを賞める四句の偈をうたい、じぶんは遠く東の方の雪ある山の麓に去った。わたしは車にのせられてわたくしのうたった歌のうつくしさに酒のように酔いみんなのほめることばや、わたしを埋める花の雨にわれを忘れて胸を鳴らしていたが、夜更けてわたしは長者のルダスの家を辞してきらきらした草の露を踏みながらわたしの貧しい母親のもとに戻るとき月天子の座に瑪瑙の雲がかかりくらくなったのでわたくしがそれをふり仰いでいたら、誰かミルダの森で斯うひそひそ語っているのを聞いた。
(わかもののスールダッタは洞に封ぜられているチャーナタ老竜の歌をぬすみ聞いてそれを今日歌の競べにうたい古い詩人のアルタを東の国に去らせた)わたしはどういうわけか足がふるえて思うように歩けなかった。そして昨夜一ばんそこらの草はらに座って悶えた。考えて見るとわたしはここにおまえの居るのを知らないでこの洞穴のま上の岬に毎日座り考え歌いつかれては眠った。そしてあのうたはある雲くらい風の日のひるまのまどろみのなかで聞いたような気がする。そこで老いたる竜のチャーナタよ。わたくしはあしたから灰をかぶって街の広場に座りおまえとみんなにわびようと思う。あのうつくしい歌を歌った尊ぶべきわが師の竜よ。おまえはわたしを許すだろうか。)
(東へ去った詩人のアルタは
どういう偈でおまえをほめたろう)
(わたしはあまりのことに心が乱れてあの気高い韻を覚えなかった。けれども多分は
風がうたい雲が応じ波が鳴らすそのうたをただちにうたうスールダッタ
星がそうなろうと思い陸地がそういう形をとろうと覚悟する
あしたの世界に叶うべきまことと美との模型をつくりやがては世界をこれにかなわしむる予言者、
設計者スールダッタ、と、こういうことであったと思う)
(尊敬すべき詩人アルタに幸あれ、
スールダッタよ、あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまえのうたである。いったいわたしはこの洞に居てうたったのであるか考えたのであるか。おまへはこの洞の上にいてそれを聞いたのであるか考えたのであるか。おおスールダッタ。
そのときわたしは雲であり風であった、そしておまえも雲であり風であった。詩人アルタがもしそのときに冥想すれば恐らく同じいうたをうたったであろう。けれどもスールダッタよ。アルタの語とおまえの語はひとしくなくおまえの語とわたしの語はひとしくない韻も恐らくそうである。この故にこそあの歌こそはおまえのうたでまたわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。)
(おお竜よ。そんならわたしは許されたのか。)
(誰が許して誰が許されるのであろう。われらがひとしく風でまた雲で水であるというのに。スールダッタよ、もしわたくしが外に出ることができおまえが恐れぬならばわたしはおまえを抱きまた撫したいのであるがいまはそれができないのでわたしはわたしの小さな贈物をだけしよう。ここに手をのばせ。)竜は一つの小さな赤い珠を吐いた。そのなかで幾億の火を燃した。(その珠は埋もれた諸経をたずねに海にはいるとき捧げるのである)
スールダッタはひざまずいてそれを受けて竜に云った。
(おお竜よ、それをどんなにわたしは久しくねがっていたか わたしは何と謝していいかを知らぬ。力ある竜よ。なに故窟を出でぬのであるか。)
(スールダッタよ。わたしは千年の昔はじめて風と雲とを得たとき己の力を試みるために人々の不幸を来したために竜王の〔数文字空白〕から十万年この窟に封ぜられて陸と水との境を見張らせられたのだ。わたしは日々ここに居て罪を悔い王に謝する。)
(おお竜よ。わたしはわたしの母に侍し、母が首尾よく天に生れたらばすぐに海に入って大経を探ろうと思う。おまえはその日までこの窟に待つであろうか。)
(おお、人の千年は竜にはわずかに十日に過ぎぬ。)
(さらばその日まで竜よ珠を蔵せ。わたしは来れる日ごとにここに来てそらを見水を見雲をながめ新らしい世界の造営の方針をおまえと語り合おうと思う。)
(おお、老いたる竜の何たる悦びであろう。)
(さらばよ。)
(さらば)
スールダッタは心あかるく岩をふんで去った。
竜のチャーナタは洞の奥の深い水にからだを潜めてしずかに懺悔の偈をとなえはじめた。