朝から茹《うだ》るような暑さだった。
午前中、悠木は高崎市郊外の元兵士宅を訪ねた。『戦後四十年・群馬の語りべ』と題した十回シリーズの企画モノの取材だった。終戦記念日に最終回が載るよう逆算して、六日から紙面掲載をスタートさせていた。その最終回を書くはずだった政治部の青木が一昨日から東京支社に応援出張となり、補足取材のお鉢が悠木に回ってきたのだ。
地方ではお盆の帰省ラッシュが始まっているというのに、相も変わらず永田町は賑やからしい。中曾根首相が靖国神社を公式参拝する。その形式が今日十二日にも決まる見通しだとかで、ゆうべ電話を寄越した青木は、先輩記者に補足取材を頼んだ恐縮よりも、在京の全国紙記者と競ってネタを追っている興奮のほうが勝っていた。
悠木は車で前橋に向かった。部下だった望月亮太の月命日の墓参りを済ませて本社に上がると、もう昼を回っていた。食欲がなかったので地下食堂には寄らず、直接三階の編集局に顔を出した。北関東新聞は朝刊のみの宅配だから、この時間、局の大部屋に人影は疎《まば》らだ。幸い、エアコンは朝からフル稼働させていたようだ。外の暑さと言ったらない。市道を隔てた駐車場から社屋に逃げ込むまでのわずかな間にシャツがべったり背中に張りついた。
「はい、北関《キタカン》」
威勢のいい声とともに奥の机で整理部の吉井が受話器を取り上げた。甲子園に出張している記者からのようだ。話が弾んでいる。社会部育ちの悠木はその方面に疎《うと》いが、群馬代表の農大二高は強いらしい。一回戦をサヨナラ勝ちで突破し、社のほうも二回戦に向けて記者とカメラマンを追加派遣したところだ。
エアコンの前で冷気に顔を晒しながら、悠木は霊園での出来事を思い返していた。帰りしな、花を手にした望月の両親とばったり出くわした。それ自体は珍しいことではない。いつも通り互いに黙礼を交わして擦れ違ったのだが、両親の後ろについていた若い娘が顎を突き出して悠木を睨み付けた。二十歳《はたち》前だろうか、朧《おぼろ》げながらその顔に見覚えがあった。五年前の葬儀で目にしたセーラー服の娘だとすれば、望月の従姉妹だ。彼女自身の記憶がああした態度を取らせたのか、それとも、一人息子を亡くした両親が悠木に対する怨み言を親類に洩らしているためなのか。帰りの車中、そのことがずっと気になっていた。
「おっはよ」
間の抜けた声に振り返ると、整理部長の亀嶋が冷気に引き寄せられてくるところだった。どら焼のような丸顔が暑苦しい。皆は「カクさん」と呼ぶ。相貌でも名前の頭を取ったわけでもなく、社内で苗字の画数が一番多いというのが綽名《あだな》の由来だ。名付け親は、言わずもがな校閲部の人間である。
「暑いね、まったく」
亀嶋は屈み込むようにしてシャツの襟元から冷気を取り込んだ。いま出社してきたわけではないことはくわえ楊枝でわかる。早番で来ていて地下食堂から戻ったところだ。
「カクさん、今日はなんかありました?」
「ああ。朝っぱらからグリ森で動きがあったよ」
挨拶代わりに訊《き》いたつもりが悠木は本心驚いた。グリコ・森永脅迫事件は「かい人21面相」が沈黙して久しい。
「四カ月ぶりさあ。俺なんか、すっかり事件のこと忘れてたよ」
「また脅迫状ですか」
「て言うか、終結宣言みたいなやつ。食いもんの会社いびるのはもうやめた、とさ」
亀嶋はひとしきり共同通信から配信された記事の内容を喋った。原稿が「夏枯れ」となるこの時期に、A級のネタで早々と明日の社会面が出来上がってしまったわけだから舌は滑らかだった。
汗が引くと、悠木は原稿用紙の束を手に窓際の机に腰を落ちつけた。誰の机というわけではないが、ここ数年はほとんど悠木の専有物となっている。外線に通じる電話があるので取材には便利だ。県庁と県警の両方の記者クラブに籍があるが滅多に行かない。それぞれの記者室には担当のキャップがいて、年長の悠木が顔を出せば煙たがられる。
先月四十歳になった。社内で最古参の記者である。「無任所遊軍」「独り遊軍」などと様々な呼ばれ方をするが、要するに、部下を持たずに勝手気ままに動くフリーハンドの立場にいる。羨む者も多いが、憐憫《れんびん》の視線を向ける者はさらに多い。同期の人間はとっくにデスク席に座っている。それを飛び越えて高崎や太田といった主要都市の支局長に抜擢される者も出始めた。五年越しの懲罰人事。そう囁き合う局内の声は悠木の耳にも聞こえてきていた。
もう五年経つのかと思う。望月亮太は一年生記者として悠木の下に配属された。悠木が県警のキャップをしていた時のことだ。見るからに頭の回転のよさそうな若者だったが、それを確かめる間もなく逝ってしまった。
配属六日目だった。前橋に隣接する大胡《おおご》町で交通死亡事故が発生した。バイクが乗用車に引っかけられ、三十八歳の測量技師が脳挫傷で死んだ。悠木は「面《メン》取り」を望月に命じた。事件や事故で死んだ人間の顔写真を探してくる仕事は、もっぱら新人の役回りだ。望月は元気な返事を残して出掛けたが、一時間もしないうちにスゴスゴ記者室に戻ってきた。測量技師の自宅を当たったが、通夜の準備をしていた町内会の役員に、こんな時に写真を寄越せとは何事かと語気荒く追い返されたという。
もう一度行ってこい。駄目なら親戚や同級生を当たれ。そう指示を与えたが、望月は腰を上げず、悠木が声を荒らげると開き直った。なぜ死んだ人の顔写真を新聞に載せなくちゃいけないんですか。悠木は面食らった。押しも粘りもない記者が年々増えているのは実感していたが、しかし、最初から押す気も粘る気もない記者と相対したのは初めてのことだった。望月の胸を突いて怒鳴りつけた。馬鹿野郎、商売だからに決まってるだろう。写真が載ってるほうがいい商品だから載せるんだよ。他にも言いようはあったろうが、悠木の腹は煮えくり返っていた。
望月は唇を噛んで記者室を飛び出した。それが彼を見た最後だった。一時間後、自ら運転する車で事故を起こした。高崎市内の国道17号線バイパスで赤信号の交差点に進入し、十トントラックと激突して即死した。皮肉と言うべきか、翌日の紙面には測量技師の顔はなく、いかにも生真面目そうな望月の社員証の顔写真が載った。
望月の両親は表立って騒がなかった。事情説明に赴いた悠木とは目を合わさず、恨みがましい言葉を口にすることもなく夫婦肩寄せ合うようにして終始|俯《うつむ》いていた。
社内の反応も概して悠木に同情的だった。望月とのやり取りは、その時記者室に居合わせたサブキャップの佐山を通じて局内の隅々にまで伝えられた。誰だって怒鳴るさ。悠木は嫌になるほどその台詞を聞かされ、その台詞の数だけ肩を叩かれた。佐山の悠木擁護は徹底していた。事故死した測量技師の身辺を休日返上で調べ上げた。高崎市内に技師の親戚も同級生もいないことを突き止めるや、面取りの最中ではなく望月は実家に向かう途中で事故を起こしたのだと結論付け、「戦線離脱」なる過激な四字熟語を用いて、主に編集局以外の管理部門に燻《くすぶ》っていた望月同情論を一掃してみせた。父親が自殺とも事故死とも取れる死に方をして母親が長い年月苦しんだ──佐山の行動力の源はその辺りにあるようだった。
処分なし。悠木に対する会社の決定はそうだった。だからといって、悠木の心が晴れたわけではなかった。却《かえ》って胸にあった鉛の重みが増した。相手は右も左もわからない一年生記者だった。あくまで冷静に建前で納得させるべきだった。顔写真が付いていれば新聞の記録性が高まる。記事に説得力を持たせられる。それは即ち悲惨な交通事故の再発防止に役立つのだ、と。
望月の一件を通じて、悠木は、己の裡《うち》に制御不能な他者を見た思いがした。
以前から薄々勘づいてはいた。悠木は自分を好いてくれる人間しか愛せない。好いてくれているとわかっていても、相手がふっと覗かせる突き放したような表情や態度が許せない。相手に絶対を求め、それが果たされないと知ると絶望的な気分に陥る。だから人と距離を置く。自分に対して好意を覗かせる人間は警戒し、内面に立ち入らせまいとする。傷つきたくないからだ。
父親になってわかったことだった。長男の淳が物心ついた頃から悠木はひどく気持ちが落ちつかなくなった。自分を信頼しきって懐に飛び込んでくる小さな無垢の塊に当惑した。嬉しかったのだ。それがあまりにも嬉しくて淳と接近し過ぎたのだと思う。父親として高みに立つことができなかった。息子の顔色を窺っていた。淳がどう育つかよりも、淳が自分をどう見ているか、この先ずっと自分を尊敬し好きなままいてくれるのか、そのことが常に気になった。
やがて淳の機嫌を取るようになっていた。凄いな。偉いな。よく頑張ったな。心にもない浮わついた言葉の数々を湯水のごとく与えた。そうしてこっそり淳の様子を盗み見ていた。淳が機嫌よくしている時は悠木の心は満たされた。だが、ひとたび淳が反抗の気配でも漂わそうものなら、胸に溢れ返る愛情は一瞬にして底知れぬ憎悪へと変化し、どこまでも冷淡に淳に当たった。時には手も上げた。裏切られたと感じてしまうと頭の中が真っ白になって理性を失った。
父の顔を知らないからかもしれない。幼い頃、父は蒸発したのだと泣き腫らした目の母に聞かされた。蒸発という言葉がひどく恐ろしいものに感じられた。呑み込むことも消化することもできず、それは漠然とした不安として胸に巣食った。どこでどうしているかも知れない。生きているのか死んでいるのかすらわからない。なぜ父は家を出たのか。母に聞くのは躊躇《ためら》われた。家には父の写真一枚なかった。戦争で父親を亡くした友人を羨んだ。父が無であり空白であることが、自分の存在をひどくちっぽけなものに感じさせた。捨てられたのだと思うと悲しかった。恨んだこともあった。いつひょっこり現れるやもしれぬ父との対面に淡い期待を抱いた時期もあった。小学校に上がる少し前、毎夜鏡の前で「お父さん」と呼ぶ練習をしていた。
悠木は父親になり損ねた。
十三歳になった淳は暗い瞳の少年に育った。父親として何を教え、何を伝えるべきだったのか。それは今からでも取り返しがつくことなのか。だが、そもそも息子に伝えるべき大切なこととは何であるのか、それが悠木にはわからなかった。
望月の一件は不問に付されたが、悠木は当時の編集局長に進退伺いを出した。感傷ではなかった。自分には下の者を統《す》べる資格も力量もないと思い知ってのことだった。
望月の死は自殺に類するものだったと思っている。消沈していたのでも、うっかり赤信号を見落したのでもない。おそらく望月は悠木と同じ種類の人間だった。ありふれた日常の出来事に過剰な化学反応を起こし、すべてを消滅させてしまってもいいと直情する人間。だから望月の死そのものに痛嘆の思いはない。だが──。
霊園で会った若い娘の尖った瞳と生気のない両親の顔は、やはり胸に重かった。
局内に人が増えてきた。
三十行ほどの原稿を書き終えた悠木は、それをクリップで止めながら腰を上げた。首を伸ばしてデスクのシマを見やると、政治部のデスク席にもう岸の馬面があった。悠木とは同期入社の陽性な男だ。
「追加だ。青木の原稿のケツにくっつけてくれ」
原稿を机の上に放ると、岸は恐縮の顔を作ってみせた。
「すまんかったな。面倒かけちまって」
「気にするな。どうせヒマだ」
そのまま立ち去り掛けた悠木を岸が呼び止めた。
「夕方の会議出るか」
「何の会議だ?」
「例の無線機だよ」
ああ、と悠木は興味なさそうに頷いた。
去年のことだ、単線の上信電鉄で列車同士が正面衝突する事故があった。現場近くに民家が一軒しかなく、その家の電話をタッチの差で朝日の記者に押さえられてしまった。結果、北関の警察《サツ》廻り記者は、走って十五分も掛かる公衆電話との間を五往復した。無線機が高くて買えないのなら伝書鳩を買ってくれ。若手記者の腹立ちまぎれのその一言がようやく総務部の重い腰を上げさせた。
岸が無線機のカタログを突き出した。
「モトローラ社のになりそうなんだけどな」
「どうせ入れるのなら携帯電話のほうがいいんじゃないのか。日テレの真田が自慢してたぜ」
「ああ、あの馬鹿でかいやつだろ? ダメダメ、使えないよ。荷物になるし、バッテリーが二、三時間しか持たないんだ」
「無線にしたって、また金のことで却下じゃないのか。先月も読売と上毛《じようもう》に部数食われたって総務が嘆いてたらしいぞ」
「かもな。で、会議はどうする?」
「パスだ。今夜、ちょっと出掛ける」
悠木が言うと、岸は思い当たった顔になって笑った。
「聞いた聞いた。山行くんだろ。昨日、ドロちゃんが顔出して話してたよ」
安西耿一郎の泥棒髭のことを言っている。悠木は、その安西を誘って軽く腹に何か入れておこうと考えていたところだった。
「衝立岩に登るんだって? 確かアレだよな。昔、自衛隊が派手にぶっ放してザイルを切った場所だろ」
言いながら岸は首を回した。名前を呼ばれている。「癇癪玉」で知られる局次長の追村《おいむら》が忙しく手招きしていた。
「ま、くれぐれも気をつけてな」
だけどあんなとこ本当に登れるかよ? 言葉とは別の表情を残して岸は小走りで立ち去った。
悠木も同じ思いだった。
果してあんな切り立った岩壁をやれるだろうか──。
窓際の机に戻って受話器を上げ、販売局の内線番号をプッシュした。二時を回ってなお空腹を覚えないのは、暑さと、霊園の出来事のせいだとばかり思っていたが、ことによると衝立岩も原因の一つだったか。呼び出し音を耳にしながら、悠木は微かな体の強張りを感じていた。