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決められた以外のせりふ28

时间: 2019-01-08    进入日语论坛
核心提示:マルセル・マルソーの藝 十年前の冬、マルセル・マルソーが日本へ来た時には、ちょっとした「事件」だった。テレビの舞台中継を
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 マルセル・マルソーの藝
 
 
 十年前の冬、マルセル・マルソーが日本へ来た時には、ちょっとした「事件」だった。テレビの舞台中継をしたNHKは歓迎のパーティーをひらき、参会者はおびただしい数にのぼった。初日の劇場の廊下は、作家、ジャーナリスト、外国文学者、舞踊家、画家、演出家、俳優などでいっぱいだった。むろん、イタリア・オペラも、モスクワ藝術座も、ジャン・ルイ・バロー一座も、コメディー・フランセーズも、まだ日本へは来ていなかった。ほぼ同じころ来日したミア・スラヴェンスカのバレー団とともに、パントマイムのマルソーは、言わば西洋の舞台藝術の、戦後最初の使者として私たちの前に現われたのである。
 あの時のにぎやかさにくらべると、こんどの公演は、ひどく地味におこなわれた。劇場は初演の時よりもはるかに小さく、若い熱心な観客が少なくないにもかかわらず、正味のところ、入りも上乗とは言いかねるように見うけられた。
 しかし十年の間に、変ったのはこちら側の事情だけで、マルソーの藝は、ほとんど変っていないと、私には思われた。まったく変っていないとは言い切れない。白塗りの顔が笑ったり、眉をしかめたりする時、目尻や口許に刻まれる皺が、ずいぶん深くなったような気がする。激しい精力的な動きを必要とするプログラムでは、ときどき、下半身の動きが雑になったような気がする。初演の時には、片足を膝に乗せて、片足で、みごとに空《くう》に腰をおろしてみせたものだが、こんどは、その同じ姿勢が、まるでバーの椅子に腰かけてでもいるかのように、腰高に見える。そういう体力の衰えが、ところどころに感じられはしたが、マルソーの藝は、あいかわらず達者なもので、緊張し、弛緩し、飛躍し、持続する身振りと表情の一貫した動きに、私は十分堪能した。
 十年前、私はマルソーの足の藝に感心したものだ。あの鍛えられた強靱な足がマルソーの藝の核心であり、身体のほんとうの重心を外れかけるぎりぎりのところで踏み止まりながら、見かけ上の重心を作って見せることによって、あのスローモーション・フィルムを見るような独特の動きを描くことが可能になるのだと考えた。その考えは今でも変らないが、こんど見てあらためて再認識したことは、マルソーの藝のいかにもしつこいことである。
 舞踏会へ出かける。手袋をはめる。その手順のばかばかしいほど克明な描写。
 パーティーで左側にいる客に愛想よく話しかける。右側の客から話しかけられて、いかにもつまらなそうに相槌を打つ。また左側の客と上機嫌で話をする。ふたたび右側の客と退屈な話。その左右交互の変化のおそろしく長い連続。
 町のヴァイオリン弾きが、弾こうとするたびに軍楽隊の演奏にじゃまされる。軍楽隊が去った後、昂然として一節を弾き、「どうだ、もう俺の音楽をじゃますることは出来まい、口惜しかったら、何とか言ってみろ」とでも言いたげな表情で、軍楽隊の行った方向をにらむ。また一節弾く。にらむ。弾く。にらむ。弾くのがだんだんみじかくなってゆき、最後は、弦の一とはじき。それがいかにも「ふん!」という感じになっておかしかったが、そこへゆきつくまでの感情の下降の長さ。
 こういうしつこさは、初演の時にもたしかにあったと記憶する。
 日本人ならば、年を経るに従って、より簡潔な動きへ、より単純な身振りへ、より淡白な表情へと移ってゆき、味わいが深まり、円熟した表現となってゆくべきところを、あいかわらずしつこく、克明に、筆致を惜しまず描きあげてゆくマルソーのパントマイムに、私はあらためて「西洋」の藝を感じずにはいられなかった。こういう藝は「枯れる」ことは無いに違いない。
「檻」という、ごくみじかい、単純なパントマイムが、私にはいちばんおもしろかった。
 男が坐っている。立上る。前へ歩む。壁。押しても叩いても、びくともしない厚い壁。壁をつたわって、出口を求める。しかし、出口はない。壁は四方から男を取り囲んでいる。壁の中の空間がだんだん狭くなる。男はうずくまり、身動きが出来なくなる。ついに、奇蹟を求めるように、片手をそっと前の壁へ差入れる。奇蹟がおこる。男は透明な壁をやわらかくかきわけ、ゆっくりと外へ出る。歓喜。前へ歩む。するとふたたび、壁がある。四方から取り囲む壁。せばまる壁の中の空間……
 ひたひたと空間をおさえてゆくマルソーの手は、どんな現実の壁よりも強固な、確実な壁を感じさせた。この地味な小品には、たしかに黙劇という形でしか表現できぬ詩があり、マルソーのしつこい、克明な藝のみが捉えうる単純簡潔な美が、みごとに実現されていると私には思われたのである。
                                                   ——一九六五年七月 文藝——
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