病気の役者は、やがて生き返る一種の死人のようなものだ。私の灰色の黒板をお目にかけよう。
——六時半、検温。七時、起床。八時、朝食。十一時まで安静。十二時、昼食。二時半の検温まで安静。五時、夕食。九時、消燈就寝……
ある一日は、ほとんど他の一日と変らない。私は、病院の日課と規則との中に横たわって復活を待っているミイラのようだ。
しかし、そのおかげで、手術後の経過ははなはだ良い。骨をとらずにすんだのは大助かりだが、今度こそ、この病気ともすっかり縁切りになれたということが、何よりもうれしい。
先週、入浴と散歩との許可が出た。今週から、退院のための検査がはじまる。術前の気管支鏡検査や、造影検査や、左右別肺機能検査は、避けることのできない憂鬱な試煉だったが、その同じ検査が、こんどは喜ばしい苦痛としてやってくる。
身長一メートル七十一、胸囲八十五センチ、体重六十一キロ、血沈十一ミリ。肺活量は二千七百に減じたが、これも、術後三カ月の状態としては、悲観すべきものではなさそうである。一年後には、ほとんど旧に復するという。三月上旬退院。六カ月静養。術後一年の十一月ごろから、そろそろ仕事をはじめてよろしい。——これが、医師の保証してくれた私の予定表、私の緑色の黒板である。
だが、医師の保証だけで、仕事をはじめることは、出来なくはないが難かしいだろう。ことさらに迂遠な道をとる気はないが、病気はなおった、さあ芝居だと、そう簡単に、まっすぐには行きかねるものが、今、私にある。前の二度の病気の時には、二度とも、一日もはやく仕事をはじめたいと思い、事実そうしたのだが、今度はすこしちがう。どうちがうか、それをくわしく書く余裕はない。一口に言うと、しっかりとした芝居がしたいのだ。
前には、芝居の夢をよく見た。このごろは、何の夢も見ない。ぐっすり眠って六時半に眼をさますと、みごとに腹がへっている。
——一九六〇年四月 悲劇喜劇——