斉宣王「やっていないということと、能力がないということの違いを教えてください。」
孟子「『泰山を抱えて渤海を飛び越えるようなことは、私はできない』と言うとき、それは能力がないということです。一方、『目上の人におじぎをすることは、私にはできない』というとき、それはやっていないということです。能力がないはずがない。つまり、王が王としての資格が無いのは、山を引っこ抜いて海をひとまたぎするようなことをしないからではなくて、本当はできるはずの目上の人へのおじぎをしていないようなものだからなのです。自分の親を敬う心を他人の親にまで及ぼし、自分の子供をいつくしむ心を他人の子供にまで及ぼせば、天下は手のひらで転がすがごとく用意に手に入りましょう。詩経にこうあります。
文王、妃に家法を示したまい、
兄弟にまで掟をおよぼし、
かくのごとくして、ようよう家整い、国家を御したまう。
(大雅『思齊』より)
こういうわけです。身内への心を家の外までも及ぼした、ということを言っているだけなのです。ゆえに、身内への心を外に展開させれば、それだけで天下を保つのに十分となります。逆に、身内への心を外に展開させることがないようならば、そんな思いやりのなさでは己の妻と子をつなぎとめることすらできますまい。いにしえの人が今の人より優れていた点は何か?なんということはない。身内への心を外にまで展開できた、それだけなのです。王は今、情けのお心を禽獣どもにまで及ぼされた。なのに人民に恩沢が至っていないというのは、どうしてなのでしょうか。モノの重さはハカリで量り、モノの長さはモノサシで計ります。モノはこうやってみな基準の道具ではかることができます。だが、心の大きさ情けの深さははかることが大変難しい。それでも王よ、どうかご自分の心の大きさ深さをはかるように、気を配られませい。