私はルフトハンザのエアバッグを|膝《ひざ》にのせて椅子に座り、順番が来るのを待った。女子大生たちは荷物を持っていなかったので、彼女たちの洗濯ものが既に乾燥機のドラムの中に入っていることがわかった。とすればその四つの乾燥機のうちのどれかがあけば、次が私の番ということになる。まあそれほどは時間はかかるまいと思って、私は少しほっとした。こんなところで回転する洗濯ものを眺めて一時間近くも時間をつぶすなんて考えただけで気が|滅《め》|入《い》ってしまう。私に残された時間は既に二十四時間を割っているのだ。
私は椅子の上で全身の力を抜いて、空間の一点をぼんやりと眺めていた。ランドリーの中には衣服の乾燥していく独得の|臭《にお》いと洗剤の臭いがいりまじった不思議な臭いが漂っていた。となりでは二人の女子大生がセーターの|柄《がら》について話しあっていた。どちらもとくに美人というわけではない。気の|利《き》いた女の子は日曜日の午後にコイン・ランドリーで雑誌を読んだりはしていない。
乾燥機は私の予想に反してなかなか|停《と》まらなかった。コイン・ランドリーにはコイン・ランドリーの法則というものがあって、「待っている乾燥機は半永久的に停まらない」というのがそのひとつだ。外から見ているともうすっかり洗濯ものは乾いているように見えるのだが、それでもドラムはなかなか回転をやめないのだ。
十五分私は待ちつづけたが、それでもドラムは停まらなかった。そのあいだにほっそりとした身なりの良い若い女が大きな紙袋を手にやってきて、洗濯機の方に赤ん坊のおしめをひとかかえ|放《ほう》りこみ、洗剤のパックの封を切ってその上にふりかけ、ふたをしめて機械にコインを入れた。
私は目を閉じて眠ってしまいたかったが、私が眠っているあいだにドラムが回転を停めてあとから来た|誰《だれ》かが先にそこに洗濯ものを放りこんでしまうかもしれないと思うと眠るわけにはいかなかった。そんなことになればまた時間が|無《む》|駄《だ》に費されてしまう。
何か雑誌を持ってくればよかった、と私は後悔した。何かを読んでいれば眠らずにすむし、時間も速く過ぎてしまう。しかし時間を速くすぎさらせることがはたして正しいことなのかどうか、私にはわからなかった。おそらく今の私にとって時間はゆっくりと経過させるべきものなのだろう。とはいうもののこのコイン・ランドリーの中でゆっくりと過ぎていく時間にいったい何の意味があるというのだ? それは消耗を拡大するにすぎないのではないだろうか?
時間について考えると私の頭は痛んだ。時間という存在はあまりにも観念的にすぎる。だからといってその時間性の中にひとつひとつ実体をはめこんでいくと、そのうちにそこから派生して生じるものが時間の属性なのか実体の属性なのかわからなくなってしまうのである。
私は時間についてそれ以上考えることをやめ、コイン・ランドリーを出てからどうするかについて考えてみることにした。まず服を買う必要がある。きちんとした服だ。ズボンをなおしている暇はもうないから、地底で心に決めていたようなツイードのスーツを作るのは無理だった。残念だがそれはあきらめるしかない。ズボンはこのチノ・パンツで我慢して、ブレザーコートとシャツとネクタイを買うことにしよう。それからレインコートだ。それだけあればどこのレストランにだって入ることができる。服を|揃《そろ》えるのに要する時間が約一時間半というところだろう。おそらく三時までには買物は終る。それから待ちあわせの六時までには三時間の空白があった。
私はその三時間の使い方について考えをめぐらせてみたが、良い考えはさっぱり浮かばなかった。眠気と疲れが私の思考を妨げていた。それも私の手の届かないずっと奥の方で妨げているのだ。
私が私の思考を少しずつときほぐしているあいだにいちばん右の乾燥機のドラムが停まった。私はそれが目の錯覚でないことを確認してから、まわりを見回した。主婦も女子大生もそのドラムにちらりと目をやったが、どちらもそのままの姿勢で椅子から立ち上がろうとはしなかった。私はコイン・ランドリーのルールにしたがってその乾燥機のドアを開け、ドラムの底にぐったりと横たわっているなまあたたかい洗濯ものを|扉《とびら》の把手にかかっていたショッピング・バッグに詰め、そのあとに私のエアバッグの中身をあけた。そしてドアを閉めてコインを入れ、ドラムが回転しはじめるのをたしかめてから椅子に戻った。時計は十二時五十分を指していた。
主婦と女子大生たちは私の一挙一動を背後からじっとうかがっていた。それから彼女たちは私が洗濯ものを入れた乾燥機のドラムに目をやり、次にちらっと私の顔を見た。私も目をあげて私の洗濯ものが入っているドラムを見た。根本的な問題は私の入れた洗濯ものの量が圧倒的に少なすぎることと、それが全部女ものの衣類と下着であることと、それがみんなピンクであることだった。いくらなんでも目立ちすぎるのだ。やりきれない気持になって私はビニールのエアバッグを乾燥機の把手にかけ、どこかべつのところで二十分時間をつぶすことにした。
細かい雨はまるで何かの状況を世界に|示《し》|唆《さ》するように朝とまったく同じ調子で延々と降りつづいていた。私は|傘《かさ》をさして町の中をぐるぐると歩いてみた。静かな住宅街を抜けるといろんな店が並んでいる通りがあった。床屋があり、パン屋があり、サーフ・ショップがあり——どうして世田谷区にサーフ・ショップがあるのか私には見当もつかない——、|煙草《た ば こ》屋があり、洋菓子店があり、レンタルのヴィデオ・ショップがあり、洗濯屋があった。洗濯屋の店先には〈雨の日にお持ちになりますと一割引きになります〉という看板が出ていた。どうして雨の日に洗濯ものが安くなるのか、私には理解できなかった。洗濯屋の中では頭のはげた主人が気むずかしい顔つきでシャツにアイロンをかけているのが見えた。天井からアイロンのコードが太いつた[#「つた」に丸傍点]のように何本か下がっていた。主人が自分の手でシャツにアイロンをかける昔ながらの洗濯屋なのだ。私はなんとなくその主人に好感を持った。そういう洗濯屋ならたぶんシャツの|裾《すそ》に預り番号をホッチキスでとめたりはしないだろう。私はそれが|嫌《いや》でシャツをクリーニングに出さないのだ。
洗濯屋の店先には縁台のようなものが置いてあって、その上に|鉢《はち》|植《う》えがいくつかならんでいた。私はそれをしばらく眺めていたが、そこに並んだ花の名前はひとつとしてわからなかった。どうしてそんなに花の名前を知らないのか、自分でもよくわからなかった。鉢の中の花はどれも見るからにありきたりの平凡そうな花だったし、まともな人間ならそんなものはひとつ残らず知っているはずだという気がした。軒から落ちる雨だれがその鉢の中の黒い土を打っていた。それをじっと見ているとなんとなく切ない気持になった。三十五年もこの世界に生きていて、私にはありきたりの花の名前ひとつわからないのだ。
洗濯屋ひとつとってみても、私にとってはいろんな新しい発見があった。花の名前にたいして私が無知であったというのもそのひとつだし、雨の日に洗濯ものが安くなるというのもそのひとつだった。ほとんど毎日この通りを歩いていながら、洗濯屋の前に縁台が出ていることにさえ私はそれまで気がつかなかったのだ。
縁台にはかたつむりが一匹|這《は》っていたが、私にとってはそれも新しい発見のひとつだった。私はそれまでかたつむりというのは梅雨どきにしかいないものだと思いこんでいたのだ。しかしよく考えてみれば、もし梅雨どきにしかかたつむりが現われないとすればそれ以外の季節にかたつむりがどこで何をしているというのだ?
私は十月のかたつむりを鉢植えの中に入れ、それから緑の葉の上にのせた。かたつむりはしばらくその葉の上でぐらぐらと揺れていたがやがて|傾《かし》いだまま安定し、じっとあたりを見まわしていた。
それから私は煙草屋にあともどりしてラークのロング・サイズを一箱とライターを買った。煙草は五年前にやめていたが、人生の終る最後の日に一箱くらい吸ったってそれほど害はないはずだった。私は煙草屋の軒先でラークを|唇《くちびる》にくわえ、ライターで火をつけた。久しぶりに煙草をくわえると想像以上に唇に異物感があった。私はゆっくりと煙を吸いこみ、ゆっくりと吐きだした。両手の指先が軽くしびれ、頭がぼんやりとした。
次に私は洋菓子屋に寄ってケーキを四個買った。どれも長いフランス語の名前がついていて、箱に入れられてしまうといったい何を買ったのか思いだせなくなった。フランス語なんて大学を出たとたんに全部忘れてしまった。洋菓子屋の店員はもみの木のように背の高い女の子で、|紐《ひも》の結び方がひどく下手だった。私は背が高くて手先の器用な女の子に一度もめぐりあったことがない。しかしそれが世間一般に通用する理論なのかどうか、私にはもちろんわからない。それはただの個人的なめぐりあわせにすぎないのかもしれない。
そのとなりにあるレンタルのヴィデオ・ショップはときどき私の利用する店だった。主人夫婦はだいたい私と同年配で、奥さんの方はなかなかの美人だった。店の入口に置かれたディスプレイの二十七インチTVはウォルター・ヒルの『ストリート・ファイター』を流していた。チャールズ・ブロンソンがベア・ナックルのボクサーに|扮《ふん》し、ジェームズ・コバーンがそのマネージャー役をやる映画だった。私は中に入って備えつけのソファーに座り、暇つぶしに試合のシーンを見せてもらうことにした。
奥のカウンターでは奥さんが一人で退屈そうに店番をしていたので、私は彼女にケーキをひとつ勧めた。彼女は|洋《よう》|梨《なし》のタルトを選び、私はレア・チーズケーキを選んだ。そして私はケーキを食べながらチャールズ・ブロンソンが頭のはげた大男と殴りあう場面を見た。観客の大多数は大男の方が勝つと予想していたが、私は何年か前に一度その映画を見ていたのでチャールズ・ブロンソンが勝つことを確信していた。私はケーキを食べ終えると煙草に火をつけて半分ほど吸い、チャールズ・ブロンソンが相手を完全にノックアウトするのを確認してからソファーを立った。
「もう少しゆっくり見ていけばいいのに」と奥さんが言った。
そうしたいんだけどコイン・ランドリーの乾燥機に洗濯ものを入れっぱなしなんで、と私は言った。ふと腕時計を見ると、時刻はもう一時二十五分だった。乾燥機はとっくの昔に停まっている。
「やれやれ」と私は言った。
「大丈夫よ。誰かがちゃんと外に出して袋に入れといてくれるわよ。誰もあなたの下着をとったりしないもの」
「まあね」と私は力なく言った。
「来週になるとヒッチコックの古いのが三本ばかり入るわよ」と彼女は言った。
私はヴィデオ・ショップを出て同じ道をコイン・ランドリーまで戻った。ランドリーの中にはありがたいことに人の姿はなく、私の入れた洗濯ものは乾燥機のドラムの底に横たわったまま私の帰りをじっと待っていた。四台の乾燥機のうち|稼《か》|動《どう》しているのは一台だけだった。私はバッグに洗濯ものをつめこみ、アパートに戻った。
太った娘は私のベッドの中でぐっすりと眠っていた。あまりにも深く眠りこんでいるせいで最初に見たときは一瞬死んでいるのではないかと思ったほどだったが、耳を近づけてみると|微《かす》かな寝息が聞こえた。私はバッグから乾いた洗濯ものを出してその|枕《まくら》もとに置き、ケーキの箱をライト・スタンドの横に置いた。できることなら私も彼女のとなりにもぐりこんでそのまま眠ってしまいたかったが、そういうわけにもいかない。
私は台所に行って水を一杯飲み、ふと思いだして小便をし、台所の椅子に座ってあたりを見まわしてみた。台所には水道の|蛇《じゃ》|口《ぐち》やガス湯沸し器や換気扇やガス・オーヴンや様々なサイズの|鍋《なべ》ややかん、冷蔵庫やトースターや食器|棚《だな》や包丁さしやブルックボンドの|大《おお》|缶《かん》や|電《でん》|気《き》|釜《がま》やコーヒーメーカーや、そんないろいろなものが並んでいた。ひとくちに台所といっても実に種々雑多な器具・事物によって構成されているのだ。台所の風景をあらためてじっくりと眺めてみると、世界を構成する秩序の有する不思議にこみいった静けさのようなものを私は感じとることができた。
このアパートに越してきた|頃《ころ》、私にはまだ妻がいた。もう八年も前のことだが、その当時私はよくこの食堂のテーブルに座って一人で夜中に本を読んだものだった。私の妻もとても静かな眠り方をしたので、ときどきベッドの中で死んでいるのではないかと心配したものだ。私は私なりに、たとえ不完全であるにせよ彼女を愛していたのだ。
考えてみれば私はもう八年もこのアパートに住んでいるのだ。八年前この部屋には私と妻と|猫《ねこ》が住んでいた。最初に去っていったのが妻で、その次が猫だった。そして今、私が去り行こうとしている。私は|皿《さら》のなくなった古いコーヒー・カップを灰皿がわりにして煙草を吸い、それからまた水を飲んだ。どうしてこんなところに八年も住んでいたのだろう、と私は我ながら不思議に思った。べつに気に入って住んでいるというわけでもないし、家賃だって決して安くはない。西日があたりすぎるし、管理人も不親切だった。それにここに住んでからとくに人生が明るくなったというわけでもないのだ。人口減少だって激しすぎる。
しかしいずれにせよ、あらゆる状況は終りを告げようとしているのだ。
永遠の生——と私は考えてみた。不死。
私は不死の世界に行こうとしている、と博士は言った。この世の終りは死ではなく、新たなる転換であり、そこで私は私自身となり、かつて失い今失いつつあるものと再会することができるのだ、と。
そのとおりかもしれない。いや、たぶんそのとおりなのだろう。あの老人は何もかもを知っているのだ。彼がその世界が不死であると言うのなら、それは不死なのだ。しかしそれでも私にはその博士の言葉は何ひとつとして訴えかけてはこなかった。それはあまりにも抽象的にすぎるし、あまりにも|漠《ばく》|然《ぜん》としすぎていた。私は今のままでも十分に私自身であるような気がしたし、不死の人間が自分の不死性についてどう考えるかなんて、私の想像力の狭い範囲をはるかに超えた問題だった。一角獣や高い壁が出てくるとなるとなおさらだ。まだ『オズの魔法使い』の方がいくぶん現実的であるような気がする。
いったい私は何を失ったのだろう? と私は頭を|掻《か》きながら考えてみた。たしかに私はいろんなものを失っていた。細かく書いていけば大学ノート一冊ぶんくらいにはなるかもしれない。|失《な》くしたときはたいしたことがないように思えたのにあとで|辛《つら》い思いをしたものもあれば、逆の場合もあった。様々なものごとや人々や感情を私は失くしつづけてきたようだった。私という存在を象徴するコートのポケットには宿命的な穴があいていて、どのような針と糸もそれを縫いあわせることはできないのだ。そういう意味では誰かが部屋の窓を開けて首を中につっこみ、「お前の人生はゼロだ!」と私に向って叫んだとしてもそれを否定できるほどの根拠はなかった。
しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を|辿《たど》るだろうという気がした。|何《な》|故《ぜ》ならそれが——その失いつづける人生が——私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。
かつて、もっと若い頃、私は私自身以外の何ものかになれるかもしれないと考えていた。カサブランカにバーを開いてイングリット・バーグマンと知りあうことだってできるかもしれないと考えたことだってあった。あるいはもっと現実的に——それが実際に現実的であるかどうかはべつにして——私自身の自我にふさわしい有益な人生を手に入れることができるかもしれないと考えたことだってあった。そしてそのために私は自己を変革するための訓練さえしたのだ。『緑色革命』だって読んだし、『イージー・ライダー』なんて三回も|観《み》た。しかしそれでも私は|舵《かじ》の曲ったボートみたいに必ず同じ場所に|戻《もど》ってきてしまうのだ。それは私自身[#「私自身」に丸傍点]だ。私自身はどこにも行かない。私自身はそこにいて、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ。
人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか?
私にはわからなかった。絶望なのかもしれない。ツルゲーネフなら幻滅と呼ぶかもしれない。ドストエフスキーなら地獄と呼ぶかもしれない。サマセット・モームなら現実と呼ぶかもしれない。しかし|誰《だれ》がどんな名前で呼ぼうと、それは私自身なのだ。
私には不死の世界というものを想像することはできなかった。そこでたしかに私は失ったものをとり戻して新しい私自身を確立するかもしれない。誰かが手を|叩《たた》き、誰かが祝福してくれるかもしれない。そして私は幸せになり、私の自我にふさわしい有益な人生を手に入れるかもしれない。しかしいずれにせよ、それは今の私とは関係のないべつの私自身なのだ。今の私は今の私自身を抱えている。それは誰にも動かすことのできない歴史的事実だった。
しばらく考えた末に、私はやはり二十二時間と少しあとに自分が死ぬ[#「死ぬ」に丸傍点]と仮定した方が筋がとおっているだろうという結論に達した。不死の世界への移行などという風に考えると話が「ドン・ファンの教え」みたいになって、おさまりが悪くなる。
私は死ぬのだ——と私は便宜的に考えることにした。その方がずっと私らしい。そう考えると私の気分はいくぶん楽になった。
私は煙草の火を消して寝室に行き、娘の寝顔をちょっと眺めてから、ズボンのポケットに必要なものが全部入っていることを確認した。しかしよくよく考えてみれば、今の私にとって必要なものなんてもう|殆《ほと》んど何も存在しないのだ。財布とクレジット・カード——その|他《ほか》に何が必要だというのだ? 部屋の|鍵《かぎ》なんて使いようもないし、計算士のライセンス・カードもいらない。手帳もいらないし、車を乗り捨ててきたからそのキイも不要だ。ナイフだっていらない。小銭だってもう必要ない。私はポケットの中にあった小銭を洗いざらいテーブルの上にあけた。
私はまず電車で銀座に出て、〈ポール・スチュアート〉でシャツとネクタイとブレザーコートを買い、アメリカン・エクスプレスで勘定を払った。それだけを全部身につけて鏡の前に立ってみると、なかなか印象は悪くなかった。オリーヴ・グリーンのチノ・パンツの折りめが消えかけているのが多少気になるが、まあ何から何まで完全というわけにはいかない。ネイビー・ブルーのフラノのブレザー・コートにくすんだオレンジ色のシャツというとりあわせはどことなく広告会社の若手有望社員という|雰《ふん》|囲《い》|気《き》を私に与えていた。少くともついさっきまで地底を|這《は》いまわっていて、あと二十一時間ほどでこの世界から消えていこうとする人間には見えない。
きちんとした姿勢をとってみると、ブレザーコートの左の|袖《そで》が右より一センチ半ばかり短かいことがわかった。正確には服の袖が短かいのではなく、私の左腕が長すぎるのだ。どうしてそうなったのかはよくわからない。私は右ききだし、とくに左腕を酷使した覚えもないのだ。店員は二日あれば袖を調節できるからそうすればどうかと忠告してくれたが、私はもちろん断った。
「野球のようなものをやっておられるのですか?」と店員がクレジット・カードの控えを渡しながら私に|訊《き》いた。
野球なんかやっていない、と私は言った。
「大抵のスポーツは体をいびつにしちゃうんです」と店員が教えてくれた。「洋服にとっていちばん良いのは過度な運動と過度な飲食を避けることです」
私は礼を言って店を出た。世界は様々な法則に満ちているようだった。文字どおり一歩歩くごとに新しい発見がある。
雨はまだ降りつづいていたが、服を買うのにも飽きたのでレインコートを探すのはやめ、ビヤホールに入って生ビールを飲み、生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。何番のシンフォニーなのかはわからなかったが、ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない。とにかくビヤホールでブルックナーがかかっているなんてはじめてだ。
ビヤホールには私の他には二組の客しかいなかった。若い男女と帽子をかぶった|小《こ》|柄《がら》な老人だった。老人は帽子をかぶったままひとくちひとくちビールを飲み、若い男女はビールにはほとんど手もつけずに小さな声で何事かを話しあっていた。雨の午後のビヤホールなんてだいたいそんなものだ。
私はブルックナーを聴きながら五個のカキにレモン|汁《じる》をかけ、時計まわりの順番に食べ、中型のジョッキを飲み干した。ビヤホールの巨大な掛時計の針はあと五分で三時を指そうとしていた。文字盤の下には二匹のライオンが向いあって立ち、交互に身をくねらせながらぜんまいをまわしていた。どちらも雄のライオンで、|尻《しっ》|尾《ぽ》がコートかけのようなかたちに曲っていた。やがてブルックナーの長いシンフォニーが終り、ラヴェルの「ボレロ」に変った。奇妙なとりあわせだ。
私は二杯めのビールを注文してから便所に行ってまた小便をした。小便はいつまでたっても終らなかった。どうしてそんなに沢山の量の小便が出るのか自分でもよくわからなかったが、とくに急ぎの用事があるわけでもなかったので私はゆっくりと小便をつづけた。その小便を終えるのに二分くらいの時間がかかったと思う。そのあいだ背後では「ボレロ」が聴こえていた。ラヴェルの「ボレロ」を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。
長い小便を終えると、私は自分がべつの人間に生まれかわってしまったように感じた。私は手を洗い、いびつな鏡に自分の顔をうつしてみてから、テーブルに戻ってビールを飲んだ。煙草を吸おうと思ったがラークの箱をアパートの台所に忘れてきたことに気づき、ウェイターを呼んでセブンスターを買い、マッチをもらった。
がらんとしたビヤホールの中では時間がその歩みをとめてしまっているように感じられたが、実際には時は刻々と移っていた。ライオンは交互にその一八〇度の旋回をつづけ、時計の針は三時十分のところまで進んでいた。私はその時計の針を|眺《なが》めながらテーブルに|片《かた》|肘《ひじ》をつき、ビールを飲んだりセブンスターを吸ったりした。時計の針を眺めながら時間を過すのはどう考えても純粋に無意味な時間の過し方だったが、それにかわる良い案も思いつけなかった。人間の行動の多くは、自分がこの先もずっと生きつづけるという前提から発しているものなのであって、その前提をとり去ってしまうと、あとにはほとんど何も残らないのだ。
私は財布をポケットから出して、中のものをひとつひとつたしかめてみた。一万円札が五枚、と千円札が何枚か入っていた。反対側のポケットには一万円札が二十枚クリップにはさんで入っている。現金の他にはアメリカン・エクスプレスとヴィサのカードが入っていた。それから銀行のキャッシュ・カードが二枚ある。私はその二枚のキャッシュ・カードを四つに折って灰皿に捨てた。どうせもう使いみちもないのだ。室内プールの会員券とレンタル・ヴィデオの会員券とコーヒー豆を買ったときにくれるサービス・シールも同じように捨てた。運転免許証はとっておいて、二枚の古い名刺を捨てた。灰皿の中は私の生活の|残《ざん》|骸《がい》でいっぱいになった。結局私に残されたものは現金とクレジット・カードと運転免許証だけということになった。
時計の針が三時半まで進んだところで、私は席を立って勘定を払い、店を出た。ビールを飲んでいるあいだに雨はもうほとんどあがっていたので、私は|傘《かさ》を傘立ての中に置いていくことにした。悪くない徴候だった。天候は回復し、私は身軽になりつつある。
傘を失くしてしまうと私はとてもさっぱりとした気分になって、どこかべつの場所に移りたくなった。それもなるべく沢山人のあつまっている場所がいい。私はソニー・ビルでアラブ人の観光客と一緒にずらりと並んだTVの画面をしばらく眺めてから地下に降り、丸の内線の切符を新宿まで買った。シートに座ったとたんに私は眠りこんでしまったらしく、ふと気がついたとき電車はもう新宿に到着していた。
地下鉄の改札口を出ると新宿駅の荷物預けに頭骨とシャフリング・データを預けっぱなしにしてあることを思いだした。今更そんなものが何かの役に立つとも思えなかったし預り証も持っていなかったが、他にすることもないのでそれをひきとることにした。私は駅の階段を上り、荷物の一時預けの窓口にいって荷物の預り証をなくしてしまったと言った。
「ちゃんと探してみました?」と係の男が|訊《き》いた。
よく探してみた、と私は言った。
「どんなものですか?」
「ナイキのマークのついたブルーのスポーツバッグ」と私は言った。
「ナイキのマークってどんなの?」
私はメモと鉛筆を貸してもらってブーメランが押しつぶされたようなナイキのマークを|描《か》き、NIKEとその上に書いた。係の男は疑わしそうにそれを見てからメモを片手に持って|棚《たな》を見まわし、やがて私のバッグを持って戻ってきた。
「これ?」
「そう」と私は言った。
「住所と氏名を確認できるものあります?」
私が運転免許証をわたすと係の男はそれとバッグについた札とを見比べた。それから札をとってボールペンと一緒にカウンターに置き、「ここにサイン」と言った。私はその札にサインをし、バッグを受けとって相手に礼を言った。
荷物をひきとることには成功したものの、ナイキのマークのついたブルーのスポーツバッグはどうみても私の格好にはそぐわなかった。ナイキのスポーツバッグをかかえて女の子と食事に行くわけにはいかない。|鞄《かばん》を買いかえることも考えてみたがその頭骨の収まる大きさの鞄といえば大型の旅行用スーツケースかボウリングのボールケースくらいしかなかった。スーツケースは重すぎるし、ボウリングのボールケースを持つくらいならこのままナイキのバッグを持っていた方がずっとましだ。
結局いろいろと考えた末にレンタ・カーを借りてその後部座席にバッグを放りこんでいくのがいちばんまともなやり方ではないかという結論に|辿《たど》りついた。それならバッグを提げて歩きまわる面倒もないし、服とのとりあわせを気にする必要もない。車はできることならシックなヨーロッパ車がいい。べつにヨーロッパ車が好きというわけではないのだが、これは私の人生にとってかなり特殊な一日なのだからそれなりに趣向をこらした車に乗っても良いような気がした。私は生まれてこのかた廃車寸前のフォルクスワーゲンか国産の小型車以外運転したことがないのだ。
私は喫茶店に入って職業別の電話帳を借り、新宿駅の近くにある四つのレンタ・カーの代理店のナンバーにボールペンでしるしをつけ、順番に電話をかけてみた。どの代理店にもヨーロッパ車はなかった。この季節の日曜日にはレンタ・カーはほとんど残ってはいないし、外車なんてそもそも置いてもいないのだ。四軒のうち二軒にはもう乗用車と名のつくものは一台も残っていなかった。一軒にはシビックが一台残っていた。最後の一軒にはカリーナ 1800GT・ツインカムターボとマーク㈼が一台ずつ残っていた。どちらも新車でカー・ステレオがついています、とカウンターの女性が言った。私はそれ以上電話をかけるのが面倒になったので、カリーナ 1800GT・ツインカムターボを借りることにした。もともと車にそれほどの興味があるわけではないから、結局はべつになんだっていいのだ。新型のカリーナ 1800GT・ツインカムターボとマーク㈼がどんな形をしているかさえ私は知らないのだ。
それから私はレコード店に行って、カセット・テープを何本か買った。ジョニー・マティスのベスト・セレクションとツビン・メータの指揮するシェーンベルクの『浄夜』とケニー・バレルの『ストーミー・サンデイ』とデューク・エリントンの『ポピュラー・エリントン』とトレヴァー・ピノックの『ブランデンブルク・コンチェルト』と『ライク・ア・ローリング・ストーン』の入ったボブ・ディランのテープという雑多な組みあわせだったが、カリーナ 1800GT・ツインカムターボの中でいったいどんな音楽が聴きたくなるものなのか自分でも見当がつかないのだから仕方ない。実際にシートに腰を下ろしてみると実はジェームズ・テイラーが聴きたかったということになるかもしれない。あるいはウィンナ・ワルツが聴きたくなるかもしれない。ポリスかもしれないし、デュラン・デュランかもしれない。それとも何も聴きたいとは思わないかもしれない。そんなことわからないのだ。
私はバッグの中に六本のテープを放りこんでレンタ・カーの代理店に行き、車を見せてもらい、それから運転免許証をわたして書類にサインした。カリーナ 1800GT・ツインカムターボの運転席は私のいつも乗っている車に比べるとまるでスペース・シャトルの操縦席みたいに見えた。カリーナ 1800GT・ツインカムターボに乗りなれている人が私の車に乗ったらおそらく|竪《たて》|穴《あな》|式《しき》住居のように見えるのかもしれない。私はボブ・ディランのテープをデッキにつっこんで『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー』を聴きながら長い時間をかけてパネルのスウィッチをひとつひとつためした。運転中にスウィッチを間違えて押したりしたら困ったことになってしまう。
私が車を停めたままスウィッチをひとつずつ確認していると私の応対をしてくれた感じの良い若い女性が事務所から出てきて車のわきに立ち、何かお困りのことがございますか、と私に訊いた。彼女の微笑はよくできたTVのコマーシャルみたいに清潔で気持が良かった。歯も白いし、|顎《あご》の肉もたるんでいないし、口紅の色もいい。
べつに困ったことはない、この先困ることがないようにいろいろ調べてるだけです、と私は言った。
「わかりました」と彼女は言ってまたにっこりと笑った。彼女の笑いかたは私に高校時代に知っていた女の子のことを思いださせた。頭の良いさっぱりとした女の子だった。聞いた話によれば彼女は大学時代に知りあった革命活動家と結婚し、子供を二人産んだが、子供を置いて家出したきり今では誰にも行方がわからないということだった。レンタ・カー事務所の女の子の微笑は私にその高校時代のクラスメイトを思いださせた。J・D・サリンジャーとジョージ・ハリソンが好きだった十七歳の女の子が何年か後に革命活動家の子供を二人産んでそのまま行方不明になるなんて誰に予測できるだろう。
「みなさんがそれくらい注意深く運転して下さると私たちもとてもたすかるんですけれど」と彼女は言った。「最近の車のコンピューター式のパネルって、慣れない方には扱いづらいですから」
私は|肯《うなず》いた。慣れないのは私だけではないのだ。「185の平方根の答はどこのボタンを押せばわかるんだろう?」と私は訊いてみた。
「それは次のニュー・モデルが出るまでは無理みたいですね」と彼女は笑いながら言った。「これボブ・ディランでしょ?」
「そう」と私は言った。ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を|唄《うた》っていた。二十年|経《た》っても良い唄というのは良い唄なのだ。
「ボブ・ディランって少し聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。
「ハーモニカがスティーヴィー・ワンダーより下手だから?」
彼女は笑った。彼女を笑わせるのはとても楽しかった。私にだってまだ女の子を笑わせることはできるのだ。
「そうじゃなくて声がとくべつなの」と彼女は言った。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」
「良い表現だ」と私は言った。良い表現だった。私はボブ・ディランに関する本を何冊か読んだがそれほど適切な表現に出会ったことは一度もない。簡潔にして要を得ている。私がそういうと彼女は少し顔を赤らめた。
「よくわからないわ。ただそう感じるだけなんです」
「感じたことを自分のことばにするっていうのはすごくむずかしいんだよ」と私は言った。「みんないろんなことを感じるけど、それを正確にことばにできる人はあまりいない」
「小説を書くのが夢なんです」と彼女は言った。
「きっと良い小説が書けるよ」と私は言った。
「どうもありがとう」と彼女が言った。
「でも君みたいに若い女の子がボブ・ディランを聴くなんて珍しいね」
「古い音楽が好きなんです。ボブ・ディラン、ビートルズ、ドアーズ、バーズ、ジミ・ヘンドリックス——そんなの」
「一度君とゆっくり話したいな」と私は言った。
彼女はにっこり笑ってほんの少し首を傾けた。気の|利《き》いた女の子というのは三百種類くらいの返事のしかたを知っているのだ。そして離婚経験のある三十五歳の疲れた男に対しても平等にそれを与えてくれるのだ。私は彼女に礼を言って車を前に進めた。ディランは『メンフィス・ブルーズ・アゲイン』を唄っていた。彼女に会ったおかげで私の気分はずいぶん良くなった。カリーナ 1800GT・ツインカムターボを選んだかいがあるというものだ。
パネルのディジタル式の時計は四時四十二分を示していた。街の空は太陽を見失ったまま夕暮に向おうとしていた。私は込みあった道路をのろのろとした速度で私の家の方向に走らせた。雨の日曜日でただでさえ道が込んでいる上に、緑色の小型スポーツ・カーがコンクリート・ブロックを積んだ八トン・トラックの|脇《わき》|腹《ばら》に鼻先をつっこんでしまったおかげで、交通は悲劇的なまでに|麻《ま》|痺《ひ》していた。緑色のスポーツ・カーは空の段ボール箱に|誰《だれ》かがうっかり腰を下ろしてしまったみたいな格好に変形していた。黒いレインコートを着た警官が何人かそのまわりに立ち、レッカー車が車のうしろに鎖のかぎをひっかけているところだった。
事故現場を抜けるまでにずいぶん長い時間がかかったが、待ちあわせの時刻までにはまだ間があったので私はのんびりと煙草を吸い、ボブ・ディランのテープを聴きつづけた。そして革命活動家と結婚するのがどういうことなのかと想像をめぐらしてみた。革命活動家というのはひとつの職業として|捉《とら》えることが可能なのだろうか? もちろん革命は正確には職業ではない。しかし政治が職業となり得るなら、革命もその一種の変形であるはずだった。しかし私にはそのあたりのことはうまく判断できなかった。
仕事から帰ってきた夫は食卓でビールを飲みながら革命の|進捗《しんちょく》状況について話をするのだろうか?
ボブ・ディランが『ライク・ア・ローリング・ストーン』を唄いはじめたので、私は革命について考えるのをやめ、ディランの唄にあわせてハミングした。我々はみんな年をとる。それは雨ふりと同じようにはっきりとしたことなのだ。